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非モテアラサー、地縛霊と飲み友達になる。【小説】

 男は築五十年にもなろうかというオンボロ木造アパートを出て、太陽を睨んだ。頭上には突き抜けるような夏空が広がっている。プールバックをぶんぶんと振り回しながら小学生軍団が駆けていく。楽しそうに声を上げ、無邪気に夏を迎え撃つように。対照的に男はうなだれながら、いつもの通勤路を歩くのだった。
 男の勤める不動産屋は、都市部から数㎞外れたベッドタウンにあった。この土地というのも、近年の働き方の多様化により価値を見直され、近年注目を集める郊外のひとつであり、男が勤めだした矢先にその波が来たものだから、人生分からんもんだなと思うのだ。
 こんな風に俺も再評価され、モテ期が来ないもんかな。男は虚しい願いを胸に今日も会社へ向かう。

「おはようございます」
 オフィスに入ると、いつものようにエアコンをガンガンに稼動させ、社長がゴルフクラブを磨きながら職務怠慢を満喫している──はずだった。
 だがこの日は珍しい光景が広がっていた。研修中の新入社員のように勤勉な面持ちでデスクに向かう社長の姿があったのである。
「ええと、一体どういった風の吹き回しですかね?」
 男は自身のデスクに荷物を置くと首を傾げた。待ってましたと言わんばかりに、同僚の沙織さんがこっそり耳打ちする。
「心理的瑕疵物件……いわく付き物件らしいよ。まじで出たんだってよ」
 はあ、と男は曖昧な返事を返す。今時、幽霊が出るなど古臭い噂などあるのだろうか。この業界に入った頃はオカルトな好奇心を抱いていたものだが、もはや色褪せてしまった。男は「そんなことか」と言葉を漏らすと自身の席に着いた。
「はいはい。それで、どんな物件なんですか?」
 待ってましたと言わんばかりに、沙織さんはらんらんと目を輝かせる。ショートカットの髪を耳に掛け、「──さて」と人差し指を立てると、名探偵気取りに話をはじめた。
 詳細を話せば長くなるため簡略化して述べると、あるアパートの一室に女性の怨霊が出てくる、以上。その背景にはある男性への色恋沙汰が絡んでくるものらしいが、こちらとしては知ったこっちゃない。男は半分聞き流していた。なにもこの時代に、幽霊だのなんだの存在するはずはない。
「ということなので、君に任せたよ」
「はあ、分かりました……って何の事で?」
 男は何かを了解してしまったらしい。沙織さんと社長は顔を見合わるとにんまりと薄気味悪い笑顔を浮かべ、高らかに宣言をした。
「君を悪霊退散特別任務、担当係に任命する〜!」

 勝手なものだよなあ、とじりじり太陽が照らす下で男は煙草に火を点けた。
 そういえば、と男は社長から持たされた紀伊國屋のエコバックの中を覗いてみた。いわく、とっておきの除霊アイテムを入れておいたとかなんとか。見た目は平々凡々な主婦の装備で、霊を払える気なんてしない。だってモスグリーンの紀伊國屋エコバッグだぜ? 中にはそれなりに良いグッズを入れてくれるのだろうと、男は立ち止まり物色した。
 お札、蝋燭、線香、袴、にんにく、たまねぎ、トマト……あれ? 俺は何をしに行くのだろう。幽霊に手料理でも振舞うつもりか。少なくともこの内容物から、社長は男に協力する気がないことだけが理解できた。
 男は心に決めた。「もし俺が死んだら、あいつらに取り憑くのだ」と。ふと、バックの底を覗くとビールのロン缶が三本入っていた。
 いやいや、ビールで許すわけねえよ。有り難く頂いておくけども。

 当該のいわく付き物件というのは、築二十年ほどの鉄筋コンクリート造マンションの五〇三号室だ。駅からは徒歩十分強で、間取りも1DKがメインと単身世帯向けの物件である。エレベーターやインターホンも付いており、お風呂も追い炊き機能付き。男の住んでいるボロアパートとは比較にならないほどだ。
 外廊下を歩いても特に異常は感じられず、ドア前までスムーズに到着する。いい歳になったとはいえ「出た」という実績を誇る部屋を前にすると、底知れぬ寒気がするものだ。男はぶるっと身震いをすると、ドアに鍵を差し込んだ。
「し、失礼します……」
ガチャッという音と共に、ドアが開く。男は音を立てぬようそっと室内を覗き込んだ。前の住人が退去したばかりで、クリーニングはまだ入っていない。生活臭のような生臭さが充満しており、思わずウッと鼻を塞ぐ。水垢や髪の毛が残る水回りが生々しい。男はそろりと歩みを進める。ギシギシという音のみが聴覚を支配した。ギシギシ、ギシ……待てよ、足音が二つないか?
 そう理解した刹那、全身の血が引けたようだった。待て待て待て。振り向くべきなのか、いや振り返って何かがいたらどうする。かといって前進する勇気もない。それだったらもう、引き返すしかあるまい。
 振り返ると背後には、ただ、薄暗い廊下が玄関まで伸びているだけだった。
 男は「はぁ〜」と深く長い溜め息をつき、胸を撫で下ろし前を向いた。やれやれ、極度の緊張で聴覚おかしくなっていただけだろう。まったくこれだから人間ってのは──

「あんたさ、何勝手に人の家に入ってきてるのよ」

 ど肝を抜かれてしまいました、はい。
 前を見たら突然目の前に女性の顔があって、そいつが不法侵入だと怒っているのである。いや、ここは空き部屋だからお前も不法侵入だよ、と言いたいのだが舌が上手く回らない。しかもその女性は半透明に透けている。いやいや、フォトショの透過率60%か〜い、霊のコスプレってか!完成度高いな!……ってあれ、本物?
 一・三秒後、凄まじい悲鳴がマンション中に鳴り響いた。

 香ばしい香りに男は目を覚ました。
「あら? 起きたのね。先、頂いてるわよ」
「あ、どもです。……えっ?」
 目の前で女性の幽霊はパスタを食べていた。状況把握が困難だ。いや、把握なんて不可能だ。
「あんた、丁度にんにくとたまねぎとトマトを持ってたじゃない。それで棚を探してみたらパスタがあったのよ。だから、トマトソースパスタでも作ろうかなって思って」
「……………」
「あれ、顔色が悪いわよ。ほら、食べて食べて」
 女性は平然と美味しそうに食べ続けている。男は彼女に聞いた。失礼がないよう言葉を選んで。
「あ、あなたはこの部屋にいらっしゃるという幽霊なのですか?」
 彼女はこちらに目も向けずに「そうそう」と投げやりに答えた。男はさらに質問を続ける。
「じゃあ、何でこの部屋に留まっているんですか。いわゆる地縛霊ってやつなんでしょうか」
「まあそんなとこ。ここから離れるのが面倒くさいだけ」
「死因は何ですか?」
「自分で首をくくったわ」
「原因は色恋沙汰関係で?」
「まあ、そんなところ」
「相手の方は?」
「今ごろ本妻と幸せな家庭を築いているでしょうよ。あの腐れち○ぽが。いま考えれば、私が死ぬ必要なんてなかったわ。クッソ〜」
「え、言葉悪……。幽霊でも暴言を吐くんですね」
「ハァ? 吐いちゃダメなんて誰が決めたのよ。何時何分何十秒、地球が何回回ったとき?」
「うわ面倒くさ、この人」
 とてもじゃないけど、恐怖感はとっくのとうに消え失せていた。それよりも小学生のように屁理屈をこねながら、稚拙な罵倒をするこの存在がシュール極まりない。男はしっかりとそれを観察してみることにした。
 ふむ、ロングの黒髪か。まるで幽霊と思えないほどの艶があるな。透き通るような白い肌……って実際に透き通っているのでこれは割愛。スッと切れ長の目元が涼しげで、おちょぼ口が愛らしい。あれ、かわいい。もしかすると、とっても美人さんなのでは。あれ、あれあれ。

「あなたは私を追い出しにきたの?」
 問われたときに、男は彼女の悲しげな表情を捕らえた。その後の言葉がどうも続かない。
「別にいい……。死人に部屋は不要だもん。何回も他の業者の人が私を追い出しにきたこともあったから、必死に抵抗してたけれど、もういいの。最期に大好きなパスタも食べられたし、暴言も吐けたし、誰かとご飯を食べられたし。やっぱりお喋りしながらの食事は楽しかった。これで未練もない」
 すぅっと薄くなる霊の姿。
「あっちょ、ちょっと待って! ビールあるから! 成仏するにしてもさ、酒飲んだ後でもいいじゃん! 冷やしてくるから! 蒸し暑い日の冷えたビールって最高じゃん。知ってると思うけど!」
「いや、でも今もう決めたことだから」
「でも、いつでも成仏できるんならさ、ビール飲んだあとでも良いでしょ。ほら、誰かと乾杯したり、酒片手に語らうのも楽しいですよ」
「……一理ある」
「ね、そうでしょう。やっぱり夏ですからキュウリの浅漬けなんかをあてにキュッとやってもいいですし」
「いいね」
「秋が来たら栗ごはん食べつつ、冷やおろしをチビチビやってもいいですね」
「そしたら冬は鍋と焼酎のお湯割りで」
「おでんと熱燗でもいいですし」
「最高じゃん」
「たまんねえす」

 次の日、男はいつもの通り不動産屋へ向かった。ドアを開くと、社長と沙織さんが駆け寄ってきた。
「大丈夫だった?」好奇の目を向ける彼らに、男はこう言い放った。
「あなたたちのせいで、すっかり呪われてしまいました」
 紀伊國屋のエコバッグをどん、と目の前に置く。中にはカツオのたたきと夏酒、そして冷えたビールのロン缶が入っていた。
「てなわけで、今日も五〇三号室で一杯やってきますわ」

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