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私がnoteを始めた訳 自己紹介を兼ねて


私がnoteを始めた訳を話そうと思う。

ぐるぐると考えてしまう夜

約半年前、仕事、恋愛、自分の人格、親のこと、将来のこと、、、
一つ一つは小さいのだが、小さな悩みが重なって夜も眠れない状況になっていた。

「文章」を愛している

私はもともと気持ちを表出することが好きなので、自分のことを話したがるし(あなたは人の話をよく奪うね、と言われた時はさすがに反省した)、考えていることを聞いてもらったり人と討論したりするのが好きだし、リアクションや表情も人より少しオーバーだと思う。

あと単純に、「言葉」というものに美しさを感じる。曲の歌詞の意味を理解したり、本や美しい文章を読むのも好きなので、いわゆる文章フェチのような類なのだと思う。

そして、哲学や答えのないものについて考えるのも好きだ。世の中の大体のことは正解がないし、どんなに考えても答えが出てこない。でもその考える過程に美しさを感じる。

上記のような理由から、私は自分の中の小さな悩みを脳の中で文章にして説明したり、ぶつぶつと話してみたり、どんな言葉でこの気持ちを1番うまく正確に表現できるだろうと探ってみたり、ということをよく行なっていた。

英語の語感にハマり、頭に思いついた文章を「英語で話したらどうなるだろう?」と考えるのが癖になった時期もある。無意識の脳内学習のおかげで一瞬だけ英会話がちょっと得意になり、その時期行った海外旅行ではなんだか現地の人とよくコミュニケーションが取れたりした。

何より、自分の考えを魅力的に話せる人はとても魅力的だと思う。

そしていつものようにぐるぐると考えを巡らして眠れない夜、突然それを書き出してみたいという衝動に駆られた。

初めてちゃんと「文章」を書いてみた

noteのような投稿サイトの存在を知らなかったので、初めはiPhoneのメモ機能に。

今までも考えを箇条書きにまとめたりしていたが、文章にするのは初めてだったかもしれない。文章にすると、一気に言いたい事が増え、気持ちを正確に表現することに欲張りになる気がする。

この文とこの文のつながりは「だから」じゃないんだよな、「逆に」の方が今の気持ちをうまく表している、だとか、
この文とこの文は思考が飛びすぎだ、もっと間に考えていたものがいろいろあるのだ、とか、
点ではなく線で表現することの難しさと楽しさを感じて夢中になった。

前に投稿した2件はその時にまとめたものなので、実は今の私が置かれている状況のタイムリーな投稿ではない。

もう一つの私の習性として、「自分の表現したものを誰かに見て欲しい」という自己開示欲求がある。(誰かに評価を付けられたい、という欲求に近い気がする。この欲求に関しては深掘りが足りていないが、今の私の仕事にも繋がるものなので、またの機会に改めて考えたいと思う。)
ただメモにまとめているだけでは物足りず、投稿できる場所がないか探していた。

noteとの出会い

知り合いがストーリーにnoteの投稿をシェアしているのを見て、noteに興味を持つようになる。ただ、私が文章にしたい衝動に駆られる感情は恥じらいもなく書き出した本音がほとんどなので、個人が特定されるようなことは避けたい。
noteを知ってから始めるまでも、実はかなり時間を要した。

ある時、酔っ払った勢いでnoteのアプリを入れてしまった。
入れてしまったら簡単だった。次の日にはもう投稿をしていた。

そして今

やっぱり文章を書くことは楽しい。
自分の考えがまとまるだけでなく、書き終わったあとは少し前向きな気持ちになるし、これからの自分の道筋が見える気がする。
素敵な文章を書ける訳ではないけれど、書くことで自分の人生が少し素敵に見えたら、それで良いのだと思う。

表現する事により貪欲になり、さらに文章フェチが強まりそうな気がしている。これからも意識的に貪欲に表現していきたい。

どうぞよろしくお願いいたします。

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