数時間後、私は母になる
タイトルの通り、私は今、数時間後に控えた帝王切開の手術を待っているところだ。
厳密に言えば、もうお腹には赤ちゃんが280日近くいて育っているわけで、とっくに母親なんだけど、やっぱり顔を見ていないし、この手にまだ抱いてもいないし、母という実感がないものである。
昨日も仕事をしていた私としては、今は一瞬の静寂の時間なのだけど、1番に思ったのは、このソワソワする不安な気持ちをどこかに保存しておきたい! という欲求だった。やっぱり根っからの“ネタ気質”だなーなんて思ったりする。
自覚している妊娠期間は8ヶ月ほどになるのだけれど、もともと子宮に持病があったので、トラブルの多い妊娠期間を予想していた(先生からも、早産リスクは高いからと言われていた)。
でもフタを空けてみれば、体重こそ16キロと予定よりも爆増したくらいで、トラブルは一切なし。つわりとかだるさとかで寝込む日はあったけど、「切迫早産」とか「前置胎盤」といった大きな問題は起きなかった。
コロナの影響で夫も私もフル在宅勤務だったこともあって、感染リスクも自然と抑えた生活を送れたことと、夫が家事をほぼ100%やっていれたことも、とてもありがたかった。
そんなこんなで、私は何の問題もなくここまで来られたのだけど、ここ数日のゆらゆらと揺れるメンタルの話などを書き綴っておきたいと思う。
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ベースとして、私は30代になってメンタルがちょっと落ちることはあっても、アップダウンが激しくて振り回されるといったことはほぼない方だ。繊細ではあるけど、対処法を知っているタイプといったらいいだろうか。
そんな私なのだけど、臨月近くなってくると、「あれれれ?」と感情がザワつくことが何度もあった。
例えば仕事について。
この時期になると、思ったように体も動かないし、気持ちもエネルギーも穏やかモードなので、どうしてもチャレンジとかバイタリティとか、熱い行動は出来なくなる。
でも、Twitterとかを見ると、ある友達は本を出していたり、ある友達は新しい企画を立てていたり、またある人はあたらしい繋がりを構築していたりと、そういうキラキラした投稿が目についた。
普段なら「まわりの活躍は自分の活躍の前兆っていうもんね!頑張ろっ」で終わるところが、「あ、置いていかれている」というネガティブモードに囚われた。
置いていかれるから私も何かを頑張ろうと思っても、残っているエネルギーは終わっていない仕事をこなすのにいっぱいいっぱいで、結果として心がカスカスになったりした。
かと思えば、プライベートでもおかしなモードになったりした。
それは1週間ほど前。やっと赤ちゃんの洋服を一気に水通しして収納していた時のことだ。
赤ちゃんの洋服には、短肌着とか長肌着とかコンビ肌着とかロンバースとか、まあ色んな種類の衣類があるのだけど、全部一気に洗って1枚1枚種類別に分類して畳もうとしたら、急にこの先のことが怖くなった。
パッと見て服の種類も区別できないし、どう着せたらいいかもよく分からないし、どういうふうに畳んで収納したら良いのかも分からないのに、これからママになって大丈夫なんだろうか。
そんな風に思ったら、急に涙が出そうになった。というか、ちょっと出た。
知らないことは極力備えて完璧を目指したいタイプ故に、知らないことしかない育児準備に、心が持っていかれてしまった。
書いている今は、「本当私って、浸りこむのが好きだよね!」と笑える感じにはなっているのだけれど、こういった普段の自分では想像も出来ないような感情のアップダウンが、ここ1ヶ月ほどは続いた。
そのつど内省し、場合によっては夫に共有し、場合によっては子育て経験者に話を聞いて解消したけど、なにより最近「完璧よりも全力を評価する自分になろう」と思えたら、色んなことが楽に思えるようになった。
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なんだか1つ強くなった気がして、ちょっと前、子育て中の友達が「私は子育てを通して凄く成長できたよ」と言っていたことが、こういうことの積み重ねなのかもしれないなーなんて思ったりもした。
特にオチもない話だけど、こうして振り返って冷静に分析してまとめたりすると、心がスーッと落ち着くような気がする。
出産した人はよく「世界が一変する」と表現するけど、今は世界が一変するのも楽しみだし、変わる前の今の世界も、とても尊いものだなと思う。ただ、腹を切るのはやっぱり心配だけど。
最近自分のSNSでの話題がもっぱら妊娠にまつわる話だったので、回りから見たらマタニティハイまっしぐらに見えたかもしれない。
自分としては1回も「ベビちゃん早く来て〜〜」みたいなハイになることはなかったのだけど、これから実際の赤ちゃんと対面したらどんな気持ちになるのかな。書いていたらちょっと楽しみになってきた。