モーニングになっちゃう

秋晴れ。青空はいつも同じ青色なのに、どうしてか季節が伝わってくる。夏のそれとは何かが違くて、どこか爽やかさを含んだ秋の朝の空。

起き抜けに原稿を一本読んで、著者に返事をし、ベッドを出た。今朝は何をしよう。ふと、最近家であまり息をしていないような気がした。息をしよう、と息をつく。

ポットに水を注ぎ、スイッチを入れる。沸くまでの間にコーヒーサーバーにフィルターを置いて、挽いた豆を三杯ほど落とした。

最近我が家には一人分のコーヒーメーカーが届いた。両親が誕生日に、それぞれコーヒーメーカーとコーヒーサーバーをプレゼントしてくれたのだ。うれしいけれど、どうしてコーヒー縛り。

コーヒーといえば、最近お気に入りのコーヒー屋に顔を覚えてもらえたらしい。コーヒー屋で絵を買ったからだ。普通は、コーヒー屋ではコーヒーを買う。でも壁にかけられていた、コーヒー豆を挽く男性を描いたその版画はとてもきれいだった。しかも下に小さく値札がついていたものだから、探していた友人のプレゼントにぴったりだと思ったのだ。

これ買えますか、と尋ねると、彼の顔には驚きより先に喜びが表れた。「これ店の人間たちで一枚一枚刷っているんです」プレゼントだというと、しばらくして「プレゼントっぽくなりました!」と満面の笑みを浮かべた店員さんが二人、並んでいた。紫色のシンプルできれいなリボンが十字にかかっている。心からのお礼を伝え、わたしは贈った友人に、同じものをもらった。

朝食作りは続く。コーヒー屋で買った豆にゆっくりとお湯をかける。合間に、お皿選び。白の平皿と青色の深皿を選ぶ。罪悪感と一緒ににんにくをみじん切りにして、オリーブオイルと一緒にフライパンへ。一度包丁を置いて、バジルとミントをベランダに摘みに行く。またちょっとコーヒーにお湯を注ぐ。トマトと柿を一つずつ、それぞれダイス大にカットしたら、二度目の登場のオリーブオイルとバルサミコが入った深皿に流し込んだ。フライパンに火をかける。

この辺りでようやく心が自分に戻ってくる。

昨日の晩、わたしは500mlのオレンジジュースをコップに注ぐことなく直飲みした。多分夕飯の蒸し野菜の塩気が多かったのと、お腹が空いていたのだと思う。それから、ほっぺにこさえた大きな大きなニキビを潰した。膿を全部出してしまいたくて、左右からグググとひりだす。ティッシュに血がいっぱいついた。本当は夕方ジムに行こうと思っていたけれど、仕事のトラブルでいまいち時間が取れず諦めた。洗濯物は取り込まなかった。湯船にはぎりぎり浸かった。本を握りしめ開くことのないまま眠った。

にんにくの香りを感じて換気扇を回す。といておいた卵を一気に流しこむ。火の通りを待つ間に、サラダの器に塩と胡椒、蜂蜜を回しかけ、大きめのスプーンでぐるんぐるんと和える。摘んでおいたミントもちぎりかけて、味を見て、ああ、やっぱりこれはすごく美味しい、と思った。スーパーで安くなっていた柿を見て、なんとなく思いついたこのレシピ。自分で作る料理でこんなに感動したのは初めてで、SNSに載せたら割と何人もの友達から「やってみた!」と連絡をもらった。すごくうれしかった。彼らの食卓に花を添えられたことも、彼らが連絡をくれたことも。

オムレツに火が通る。今作っているこのバジルのオムレツは、逆に友人がSNSに載せていたものだ。バジルをちぎって手前半分に落とす。なんだかもっといける気がして、もう一度ベランダに出てバジルを摘んだ。若いからこの葉が美味しそう、でも萎れそうなこの葉こそ食べてあげたほうがいいんじゃないか。人に気を遣うことにも遠慮と配慮が必要な世の中で、わたしが思う存分優しくできるのはバジルくらいだ。結局適当にぶちぶち摘んで、オムレツに散らす。思いつきで粉チーズをかけたら手前にぱたりとオムレツを畳んだ。だし巻きも作れるような卵焼き器への冒涜行為。

白い平皿にオムレツを滑らせて、上から黒胡椒を。柿とトマトのサラダをこんもりと隣に盛る。レンジでコップ半分温めておいた牛乳(低脂肪)に出来立てのコーヒーを注いだ。

できた。

お盆に平皿と、お箸と、カフェラテを持って、ベランダに出る。とても気持ちのいい朝だ。日差しはちょっときついけれど、まあ日焼けなんて、いいや。食べて、美味しくて、ああいいなあ、と息をつく。毎日毎日カフェラテを飲むのに、今日のカフェラテは絶対にいつもよりおいしい。

甘やかすことと大切にすることって違うんだな、と考える。食べたいものを真剣に考えたり、欲しいものをじっくり選んだり。ここ一週間、ひとまずお金をかけてものを買い漁り、ルーティンをサボる自分を受け入れたりすることでは満たされなかったどこかが、朝食を作っていたこの短い時間ででっぷりと満足げにしているのを感じる。

書きたかったことは別にあった気がする。でも気づいたらこんな風に朝食のことを書いていた。それはそれと受け入れることは甘えではなく、今の自分を大切にすることなのだと思う。そんなふうに言い訳をして、パソコンを閉じて洗い物をする。体が冷えたので、湯船にも浸かろう。#

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