「イヤ」について

みなさん、こんにちは。今日も、お疲れ様です。マークです。

マークの連投というちょっと珍しい状況になっています。ちょうど話題も続いています。「イヤ」についての話です。

この数日で、イヤについての書籍や文献をいくつか読んでみまして。いくつかわかったことがありました。

〇 イヤな気持ちは有用だから進化のプロセスで消失せず残されてきている
〇 嫌な気持ちには2種類あって「合理的なイヤ」と「生理的なイヤ」がある
〇 「合理的なイヤ」は、どっちが得か有利かなどの合理的な判断である。→つまり「損しそう」って感覚?
〇 「生理的なイヤ」は、危険信号の察知なので、距離を取ろう。

〇 「合理的なイヤ」と「生理的なイヤ」は、脳内で判断する場所が異なる
→ 脳内で判断する場所が異なるということは、次元が違う別物である。
→ 次元が違う別物は分けて考える必要がある。
〇 「イヤ」は止められないので、活用すべき
〇 「合理的なイヤ」への対応は状況次第で検討しよう。
〇 「生理的なイヤ」への対応は無理せず避けよう。

ほうほう。これは、「合理的なスキ」つまり得だ!というのと「生理的なスキ」(おそらく「推し」はこっち)で、分けないとですねぇ。

となると、割と見えてきた感じがします。

ファンクラブビジネスが、なんで、微妙なのかというと、お金儲けのために「合理的なスキ」を判定する脳の部分で考えている感じがするんですよね。それで「生理的にイヤ」な感じがするんだなぁと。

つまり、ファンクラブビジネスは、OFとは「本質的に異なる」と。ああ、思わぬところでアハ体験が。

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