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自然からのギフト ー見えない土地を巡るー

その土地が与えるもの。


今回のビエンナーレで所どころに見つけた言葉である。

私は群馬の中之条で行われている中之条ビエンナーレに行ってきた。中之条は千と千尋の神隠しのモデルとなったと言われている、「四万温泉」で有名な場所だ。

今年で9回目の開催となるこのビエンナーレは9/9~10/9の1か月間
開催されていた。期間中にはアーティストパフォーマンスも行われていた。
私は早くいかなければと思いながらも、場所が場所なだけに中々腰が上がらずにいなかった為、終了日前日に駆け込んできた。

もっと早く行けばよかった。心底そう思う。期間中はパスがあれば入場自由だし、到底1日では回りきれない量の作品数だ。再来年の反省とでもしよう。



まず向かったのは、中之条市街地エリア。

・旧広盛酒造(広は旧字体)
元々酒蔵だった会場だ。
人の顔が描かれた絵がたくさんあった。人々はさまざまな考えや感情を持っているが、社会ではそれをあまり出さず偽っている。皮一枚を剥がし、その人本来の表情を描いているらしい。テーマとしては全く理解できるところだが、私はこのテーマが嫌いだ。なぜひき剥がし、その人の内面を出していこうとするのか。その人がこの生きにくい現代で、生き抜いていくために身につけた一種のすべである。必要だと思ったから、ある種の仮面をかっぶているのである。それをあたかも素直になるのが正義だとか、あの人にはこんな一面もあるかもしれないだとか。ピュアになろうなんて、その人が考えてきたことを否定している気分になる。

他の部屋には天井から吊るされた板に球が乗っているという作品。
酒蔵が会場だから、この作品に酔って欲しいという。板をゆらし、球が転がる音を聞く。
僕は船酔いをした。ゴロゴロと転がる音は、波がテトラポットや船に当たる音に思えた。毎週のように、海へ行っていた小学校の夏休み時代を思い出す。
ちなみに連れは人酔いしたらしい。渋谷のスクランブル交差点なんだって。

2階には、木にかわいらしい顔が描かれた作品が小人のようにたくさんいた。
木の髪をイメージしているみたいで、生命を感じた。


・旧もりやま
地元の高校生達が作った作品があった。中之条に昔からあるお店の座標をx,y軸としてそれを線で結ぶ。うまく説明はできないがなんかよかった。


・伊勢町民家
ガラスが割れた作品を太陽系のようにぐるぐる円を書いて置かれていた。
痛みや悲しみが感動に変わることがあるというテーマ。
不自然に割れたガラスが太陽の光で光った時、痛々しさから神秘さに変わった。
そこに置かれていたノートにいろんな人の体験が書かれていた。心がキュッてなった。
私も読者に心を絞られるような気持ちになって欲しいのでここに書いてみる。

母方の祖母の余命が5年だと聞いたのは前々回の帰省の時。
レビー小体型認知症
3大認知症のひとつ。
脳の神経細胞が徐々に減っていって、歩行困難や呼吸困難、パーキンソン症状が出るらし。
母から聞く限り、すごく進行しているわけではないみたいだが調子が悪い日は母が悲しくなるくらいひどいらしい。
余命5年と聞いてもあまり現実味がないし、深く考えたこともなければ、途方もない悲しみにはまだ駆られていない。
でも、この作品を見て感じたことがある。
あと5年で死ぬことは悲しいけど、だからこそ一緒に過ごす時間がかけがえのないものになる。今一緒にいられることは嬉しいし、この時間を大切にしたい。忘れたくない。
そんなふうに思いながら、時間を過ごせることは感動に値すると思う。
おばあちゃんのことを文字にしはじめたら、初めて涙が出てきたのでここら辺で終わらさせてもらう。

中之条市街地エリアはこれでおしまい。



次に向かったのは伊参エリア

こっちはあんまり面白くなかった。
特に感想はない。

唯一中之条ガーデンは面白かった。
今度はお花が綺麗に咲いている時期に行ってみたい。
枯れた紫陽花を見て連れが、枯れている方が好きだと言った。
???
私には意味不明。紫陽花は色鮮やかな方が美しくて断然好きだ。でも、美しいのに何か悪のようなものに侵食されていくのが好きらしい。そこまで聞いて初めてちょっぴり理解できた。



contemporary art festival

この垂れ幕を会場のどこかで見た時、あぁだから私にはピンとこない作品が多いんだなと思った。

やっぱり現代人の現代的な思想に想いを寄せることは私にはまだ難しいらしい。

contemporary modern  あんまり好きになれない言葉だ。

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