自己肯定感にこだわる理由

こんにちは。
おさなです😀

久しぶりの投稿です。
子どもたちが春休みで、毎日バタバタしており、寝おちの毎日でした。
加えて、三男のお宮参り、長男の卒園式・入学式、次男の進級等々ありました💦

でも、無事、それぞれのスタートを切って、新年度が軌道に乗りそうです◎

さて、私は、子育てにおいて大切にしていることがあります。
それは、

自己肯定感

です。

なぜか。

それは、人生を歩んでいくにあたって、


自己肯定感があること=「向かうところ敵なし」


だと考えているからです。

そういう考えに至ったのは、
私自身が自己肯定感が低いことにあります。

できていることになかなか目が行かず、
できていないことに目が行きがちなのです。

それなので、これまでの人生、けっこう苦しい日々を過ごしてきました。

それは、もちろん今も続いていますが、
専業主婦で、閉鎖的社会の中で生きているので、どちらかと言うと、落ち着いています。

学生の頃、社会人の頃は、大変苦しみました。

では、なぜ、

自己肯定感が高いと、無敵!

だと思ったのか。

それは、夫との出会いです。

夫は、私から見れば、自己肯定感が相当高いです。

それなので、仕事でうまくいかないことがあってもへこたれません。
私だったら、めちゃくちゃ落ち込んでしまうな…と思うような出来事があっても、なんのそのなんです。

夫は、いつも楽しそうです。
夫は、今ある幸せに目が行き、今の生活を満足する力が存分にあります。

すごいなぁ、、、

うらやましいなぁ、、、

と、私は、そんな夫を心から尊敬しています。

のろけか?
いえ、決してそういう話ではありません。

夫は、ものすごく、

鈍感

です。
長所と短所は紙一重とは、よく言ったもの。

私からすれば、めちゃくちゃ鈍感です。
家庭生活の中でも、
え?わかるでしょ?!
という場面が多々あり、私をイライラさせます。

そう。
私は、敏感なのです。

よく気がつく。

周りからもそう言われます。

故に、苦しくなるのです。

他人の言動、他人の表情を過度に気にします。

思春期には、友だちに、
「思い込みが激しいんだよ」
と言われていじめにあいました。

社会人では、
他人からの評価を気にしすぎた末に、
うつ病になり、休職を2度経験(再発)しました。

死にたい、、、

そう。

自己肯定感が低いと、
自分を見失います。


自分を見失う苦しさ
ぐらぐらとゆらいでしまう自分とはおさらばしたい!!
もうこんな人生はまっぴらだ!!!

と、思っていた矢先に、子どもが産まれ、
専業主婦となりました。

だから、せめて、

自分の子どもには
私のようにはなってほしくない。

そう思わないではいられないのです。

しかし、長男は、すでに敏感です。
生まれた時からです。

とくに、音に。

とにかく全然寝なかった。

赤ちゃんなのに、寝ない。

ついたあだ名は30分男。

測ったように30分で、起きる。
それ以上は、寝ない。

そんな乳児期を過ごして、
幼児期もとにかく承認欲求がものすごい。

みて!みて!みて!みて!
おかさん!おかさん!おかさん!おかさん!

これが、一日中、休むことなく続く。
毎秒言っている。

頭がノイローゼになった時もあった。

いろいろなところに相談しに行った。

でも、解決はしなかった。

「きっと、〇〇くんは、お母さんの愛情がいっぱい欲しいんですね。人一倍、愛情のバケツが大きい。お母さん、もう少しです。もうちょっとがんばったら、〇〇くんの愛情タンクはいっぱいになるから。それまで、もう少しだよ」

バケツ。
ダム級にデカイな。

いつまで注げばいいのか、、、

ごっこ遊びがだいすきで、
毎日、毎日、がんばって付き合う。
家事しているときも、片時も、目は離さず、
みてみてみてみてみて!
に、付き合う。

1秒でも長男から目を離そうらものなら、

おかさんおかさんおかさん!
みてみてみて!

みて!
おかさん!


みてるよ〜
大丈夫だよ〜

と、声をかけても、
長男の

おかさんおかさんおかさん!
みてみてみてみてみてみてみてみてみて!

は、止むことはない。

乳児期にほとんど寝なかった長男は、
もちろん幼児期も昼寝はしない。

朝5時か6時に起きて、
平然と9時まで起きている。

おまけに、テレビも見ない。
全然見ない。

おかしいでしょ。

なんどもなんども自問自答した。
だって、他の子と、明らかに違う。

友だちとの集まりに出かけても、
長男は、私から離れず、
いっしょに遊ぼうと誘ってくる。
他のママ友は、おしゃべりを楽しんでいる。
私は、長男の相手をする。

未就園児が集う場所に足を運んでも、
活動には、参加しない。
お母さんとこっちでいっしょに遊びたい
と泣いて、別空間で遊ぶ。

家にいるのと変わらんやん!!!


もう、がんばって出かけるのが疲れる。

むしろ、出かけると、みじめになってくる。

家にいた方がマシ。

育てにくさを、
感じずにはいられなかった。

でも、どこで相談を受けても解決しない。


そんな長男が6歳(年長さん)になったころ、
少しずつだけど、承認欲求が減ってきた。

そのころ、やっと、ひとつのワードがヒットした。

HSC

Highly Sensitive Child

コレだ。

そう思った。


「HSC」とは「Highly Sensitive Child」の略称で、日本語では「ひといちばい敏感な子」と紹介されている概念です。
5人に1人の割合で存在するとも言われているこの気質。そうした子どもは他人の気持ちに敏感で、うるさい環境や集団が苦手、といった傾向があり、学校生活に馴染めないことも多いといいます。

https://www.tsuushinsei-navi.com/real/expert/2039/


向かいのアパートの人のくしゃみで驚き起きていた乳児期。

家の中の、エアコンや冷蔵庫の音が怖いと言い、また、集団の活動になかなか入れなかった幼児期。

HSCは、病気ではないとされている。

ひとつの特性。気質。

そう、私もきっと、これだ。
HSCは子どもバージョン。
大人は、HSPというそうだ。

私も、幼少期、いろいろな先生たちに、
感受性の高い子
と、言われてきた。

母は、高い評価をいただいたと思っていたのか、よく、そのことを周りの人たちに話していたことを憶えている。

そう。
私の母は、過干渉だった。

母の言うことは絶対。

「〇〇しなさい。」
という命令口調ならまだしも、
少しでも反発しようものなら、

「そう!じゃぁ、勝手にしなさい!」

これは、母のMAXの命令である。

勝手にしなさい。

と言ってはいるが、
子どもにとっては、脅迫だ。

勝手にしてはいけない。
きちんと言うこと聞きなさい。

という、母の暗黙のメッセージが
恐怖となって、押し寄せてくるのだ。

保育園児のころだったろうか。
もうその頃には、母の顔色をいつも伺っていた。

やりたいこと
ほしいもの
たべたいもの

自分の意思があるとき、
母の機嫌を伺って、申し出る。
とにかく、やることは、


母の顔色を読む

そんな毎日が、私という人間性を作っていった。

母に従ってさえいれば、
母は、機嫌がいいし、
母に褒められたくて、がんばるし、
結果を出せば褒めてくれる。

条件付きの承認

である。
私という存在、
存在しているだけで十分なんだという承認は、なかなか得られなかった。

母は、
清楚な子どもがいいし、
勉強や運動ができる子がいい。
聞き分けがよく、家事の手伝いをし、
何でも一生懸命に取り組める子がいいのだ。

母が選んだ服を着て、
母が選んだ習い事をして、
母から言われた通りの手伝いをして…


どんな子であろうとも、
私という存在が大切だよ

欲しかったのは、きっと、そんな言葉だ。


無条件の承認


母が原因か。

それはわからない。

父が認めてくれていたら、違ったかもしれない。

自己肯定感の低い私。

他人の顔色ばかりを伺って、自分というものがぐらぐらゆらいでしまう私。

こんな歳になっても、
他人から承認されたいという欲求のある私。

そんな私は、脆い。

自己肯定感があれば。
自己肯定感さえあれば。
私は、私のままでいいんだとさえ思えれば。

きっと、もっと、楽しく生きていた。

楽になれただろう。

そう思わざるをえない。


だから、すでに、私に似たHSCの長男には、

私のようになってほしくない。

長男だけでなく、もちろん次男にも、産まれたばかりの三男にも、

自己肯定感は高くあってほしい。

だから、私は、一日の終わりに子どもたちに言う。

産まれてきてくれてありがとう
だいすきだよ

と。

HSCの子は、不登校になりやすいだとか、社会に適応しにくいだとか言われている。

もしかしたら、そういう日が来るのかもしれない。

でも、そうだとしても、私は、どんな場合でも、そのまま我が子を受け入れたいし、その時も、

だいすきだよ

そのままでいいんだよ

だいじょうぶだよ

って、言いたい。

長男の小学校生活がスタートした。
がんばって登校している。
これから、たくさんのことを経験していく長男に寄り添い、見守っていきたい。

決して、干渉しすぎず。

長男が、どうしたいのか

を、聞いてあげたい。

選択するのは、長男自身だ。

私の人生ではない。

手探りではあるが、自己肯定感を高めてあげられたら…と願っている。

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