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なぜ「国語」を選んだのか

はじめに

 これまで「noteを書きはじめた理由」や「今さらながら自己紹介」など、自分についての記事をいくつか書いてきた。この仕事をしていると「なんで教師になったんですか?」と聞かれることが多くある。特に進路選択を控えた生徒に聞かれることが多い。理由は過去の記事通りなんだけど、子どもたちに真剣に答えるのは照れくさく、結構はぐらかしてしまう。それと一緒に聞かれるのは、「なぜ国語の先生になったのか?」という質問。今日はそれについて書いてみようと思う。

国語教師になった理由

避けて通れない教科だから

 国語は生きているかぎり、絶対に避けて通れない学問である。他の教科を学ぶときも日本語を使うし、友人とのコミュニケーションにも、日本語を使う。もっといえば、感情や思考も全て、日本語でしているというのが現実だろう。つまり、それをよりよく使えることが「人生をよくすること」に直結している。「言葉が世界を作っている」なんていわれる程、その人の言葉の幅人生の豊かさを決める。だから、オレが少しでも言葉を使う重要性や面白さを子どもたちに伝えて、充実した人生を送って欲しいと考えている。

自分の考えを伝えられるから

 国語は「解釈」の教科である。本文を通して、どのように解釈するのか。その内容と術を伝えていく。解釈には当然があり、教える人により、それは変化する部分がある。その幅こそが魅力である。言い換えれば、国語が一番「オレがやる意味がある」と感じる。自分の経験や考えを反映させることが出来、想いを込めて授業が出来る。例えば数学なら、計算の仕方や公式に幅はないし、社会なら歴史的事実は教える人によって変化しない。もちろん、それをどう教えるかという奥深さが存在していることはわかっている。一方国語は、「走れメロス」をスタートにし、オレの体験を重ねて具体場面を想像させることが出来る。自分がやる意味というのが、働く上で重要になる。だからこそ、国語という教科が魅力的にうつった。

一石二鳥の教科だから

 国語の勉強をしていると、もちろん多くの文章を読むことになる。たくさん読めば読むほど、「文章を読む力」が醸成される。それに加え、文章の中身が「知識」として、蓄積される。国語の問題を解く力と、知識の両方を同時につけられるお得感も国語という教科の魅力だと思う。

おわりに

 こういう真面目な文章は書いていると、本当に照れくさい心のなかをさらすということはそういうことなんだと思う。くれぐれも言っておきたいのは、国語が優れているとか、他の教科が面白くないといっているわけではないということ。学校現場では入試科目でない実技科目を「副教科」なんて呼ぶことがあるが、その感覚はおかしい。どの教科も真剣に学ぶことで奥深さを知ることが出来る。オレがしなければならないのは「国語の魅力を伝える」ということなので、これからもそれを追究した授業を展開していきたい。実はオレの授業では「読解のバイブル」という自作の参考書にようなものを使っているので、いずれそれも、少しずつ公開していけたらと思う。

それでは、今日も一緒にいい日にしよう

おまけ(今日のTikTok)

@oshaberi_sensei

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♬ 紡ぐ - とた


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