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常識の壁は「自分の中」にあった

自分らしく生きようとすると「常識の壁」にぶち当たることがあります。お前はそうしたいのかもしれないが、世の中そうはいかないぞ──そんな壁が立ちはだかることがあります。
はじめのうち、常識は「社会の中」にあると感じていました。でも、途中から、むしろ「自分の中」にあるように思えてきました。

「夜に集まりたい!」と言い出す子どもたち

れんげ舎ではずっと子どもたちのための活動の場をつくっています。宿泊行事もけっこうやりますが、日常的な活動は小学校でやっています。

朝集まって、夕方解散です。
子どもたちの活動ですから、当然ですよね。

もうだいぶ昔の話ですが、ある日、子どもたちが「いいこと思いついた!」と盛り上がって相談にきました。何を思いついたのかと言いますと、

「夜集まりたい! 夜集まって、あそびたい!」

いや〜夜はむりだろ〜とすぐに思いました。子どもたちが通ってくる範囲はけっこう広くて、夜だと往復するのもままなりません。小学校を夜間利用するのも大変です。親たちの協力を得るのも難しいだろうと思いました。

「子どもが夜集まってあそぶのは良くない」という常識の壁の存在を感じました。

試しにひとつずつ検討したら大丈夫だった

それでも、どうすれば夜でも集まって活動出来るのか、子どもたちとひとつひとつ検討していくことにしました。

れんげ舎の子どもの活動の場は、大人が考えたプログラムを子どもがこなすのではなく、子どもたちのやりたいことを子どもの力で実行していくのが基本です。
それでも、子どもだけで実行するのが難しい箇所もあり、その部分は大人が手を貸します。そんな自治の場なのです。

だから、夜集まってあそぶ案に対して内心「無理では…」と思いつつも、「そんなの無理だよ」とは言わずに、「ちょっと出来るかどうか分からないけど、どうやったら出来るか考えてみよう」と応えました。

夜なのに集まってあそぶ子どもたち

結論から言うと、見事に成立して、定例的な場としてしばらく続きました。

場所の問題は、民間の集会施設を好意で貸していただいて、解決しました。送迎については、保護者が解決してくれました。近くの子は親たちが登校班みたいなのをつくって順番に送り届け、遠くの子は車を出し合うなどして調整してくれました。

夜の外出なんて、親たちに反対されるだろうと思ったのですが(実際、それなりに反対もされたのですが)、子どもたちも色々と解決策を考え、その真剣さに応える形で親たちが動いてくれました。

その流れのなかで、「夕飯の時間に近いから、どうせならみんなで夕飯を食べない?」という案が親たちから飛び出し、当初の想像よりもずっと楽しい会になりました。

自分で自分を縛っていた

その夜はキムチ鍋でした。「からい!」とか「熱い!」とかいいながら、大人も子どもも大勢でキムチ鍋を食べながら、思いました。

「やってみたら出来た。しかも、こんな楽しい場になった。それなのに僕は、“無理だろう”と思ったんだ──」

まだ20代だった僕の自己イメージは、「常識の壁」に対して果敢に挑んでいるような、そんなちょっと勇ましいものでした。でも、逆なんだと気付きました。

少なくとも、今回の「常識の壁」は、社会ではなく自分の内側にあった。自分さえそこを乗り越えれば自由に動けたのに、それが外側にあると思い込んでいたために、「越えるのは難しそう…」と尻込みしたのです。

それ以来、僕は自分の内側にある壁を意識出来るようになりました。周囲がどうとか社会がどうとか言いたくなったら、自分の内側を見るようにしています。

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