優しい言葉だけ覚えればいい(第三次)
少し前に「シンプルに生きるとは残酷なことだ」と書いた。
ものを増やさずに、手に入れ、そして手放す。どういうことだ?と考えた結果、なるべく形に残らないものにお金を使うことは良いことなのだ、という結論になった。例えば、メンテナンスに十分なお金を使うことも、シンプルに生きることと矛盾しない。
人との食事。ひとりの食事ももちろんそう。
映画を見ること。
旅。
形のないものにも「大切にできることと、いつでも手放せること」の基準は当てはまるだろうか。どうも当てはまらないような気がしている。大切にできるかどうかは、手に入れるまで分からない。そして、手放すかどうかを決める前に、忘れ去られていくものの方が多い。
時間は買うものと言うけれど、時間はただもうそれだけで手放し続けているものだ。君との時間も、手に入れたその瞬間に手放しているのだ。
我很高興跟你聊天
お話できて嬉しいです
互いにもう手放してそこにはないものを、互いに喜べるというのはなんと最高なことか。時間を過ごすなんて、過ごすという言葉がもう、手放すことを前提としているみたいだ。もっともっと人と一緒に手放していきたい。
新しい絵具を買ってしまいます。