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優しい言葉だけ覚えればいい(第十一次)

理由もなく淋しくなる時がある。
淋しくなるということは、持っていた何かを失った時なのだろうけれど、何を失ったか分からない時もある。
気づかなければ、淋しくなることもなかったのに、誰かが持っているものを見てしまったせいで、自分が持っていてもおかしくなかったはずのものを失った気持ちになることもある。

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この淋しさの対処法は、あまり多くはない。そのひとつは失うのは悪いことという考えを捨てること。
日々、ぼくたちはたくさんのものを失っている。しぶしぶ失っているのではない。自ら進んで捨てていることもある。

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もっと上手く絵を描こうとすることもそうだ。
洗練されることがいつも良いとは限らない。
昔描いた絵のタッチでもう一度描くとき、前よりも上手くなっているのを実感する。成長は意識していないところで進む。
でも、その成長の過程の時の描き方は、もう二度とできない。洗練されてしまう淋しさがそこにはある。

寂寞的時候就跳一支舞
淋しい時は踊るの

淋しいと寂しいの違いが何なのかはわからないが、その淋しさたちはどちらもきっと敵ではなく、踊るべき伴侶なのだ。

洗練されてしまう淋しさも、理由もない寂しさも、それに出会う時ぼくは、台湾で知り合ったクリフというシンガーソングライターの歌を思う。

新しい絵具を買ってしまいます。