2023下半期の課題が決まった。

他人との比較。
これが「苦しくなる」原因だと改めて気付いた😂

これに気付いたのは、ある番組で体格の良い健康的な女性が、とても華奢な女性たちの中でひときわ美しく輝いていた場面を見たからだ。

おいおい、初っ端から華奢な人と「比較」してるやん‼️ってツッコミは置いといて、私が自分自身「やだな」と思っていた特徴を「圧倒的な美」に昇華している女性を見てハッとしたのだ。他人の美と比べない。自分の美を確立する。私もそうなりたい‼️



この私の「体格の良さ」。
初めて自覚したのは19歳の時。入院中で意識が朦朧としてるおじいちゃんと久々に会った時に、
「お里...お里は体格が良いなぁ😳」って驚いたように言われたの。笑
「それに比べて、〇〇(その場にいた私の2個上のイトコ👩)は細いなぁ😳」と続けた。それが確かおじいちゃんとの最後の会話だったんじゃないかな。



当時、華奢な女性が最も素敵‼️と思い込んでいた私はそれ(体格が良いという言葉)を「ネガティブな意味」で捉えた。
とっさに笑えず、ションボリしてしまった。ああ、私は体格が良いんだ。ガッシリしてるんだ。


それからというもの、前勤めていた会社の女子トイレにある大きな鏡の前で、女性社員たちと並んで歯を磨いている時には「わぁ、、私の身幅、みんなの1.5倍あるわ....」って目を背けたり。みんなで撮った写真、私だけ体格良すぎやろ😨って思ったり。



そんな感じでちょっと「でかいこと」に自信を持てなかったの。もう骨格からでかいからさ。

最近は「そこが私の素敵なところよ」と言ってくれる人も身近にチラホラいて、「これも私の美」と受け入れてはいたんだけど。

今日その番組を見て「あっ、体格が良いことを無理矢理『美』だと思い込もうとしていたけど、本当に本当に美しいんだ‼️」って気付いたのよ。その人がとても美しかったから。


仲良しの夫に「見て‼️この人私と同じように1人だけ体格良いけどめちゃめちゃ綺麗だしむしろそれによって魅力が増してる‼️私も希望が持てた‼️」
って伝えたら、

夫『この人は堂々としとるけん美しいとよ』

なるほどねぇ。
「堂々とする」これ、私の2023下半期の課題にするわ😂

そしてその人、もちろんめちゃ美人なんだけど、姿勢、所作、表情、声が美しかったの。低くゆっくりとした、落ちついた話し方。内面から美しかった。
やっぱメイクとか服装じゃなくてココだよな、めちゃ大事なのって。って思ったよ。


世間一般的な美の基準。
私が個人的に思ってた美の基準。
そういうの、もう取り払っていこう。
今の自分を大切にしたいし、全てポジティブに捉えて磨いていきたいな。


そう思うと、おじいちゃんの言葉『お里は...体格が良い...😳』は、今となっては悪い意味ではなく良い意味で言ってくれたのかなって思えるようになった。

場所が変われば美の基準や、色んなことにおいての「正解」は変わる。
そんなものに踊らされるのは馬鹿らしい❣️





そうそうちょっと話は変わるんだけど、
私文章書くの好きだからnoteも続いてるじゃん?標語とかも得意なのよ。

でね、今の会社の全員参加必須の標語募集で佳作に選ばれて、会社のみんなにすごいねぇ☺️って優しく言われたの。

そこで思い出したのは前の会社での出来事。
前の会社でも標語募集で何かに選ばれたんだけど、その時は「こんなヒネリのない作品選ばれたら逆に恥ずかしくない?」ってチームメンバーに笑われたのよ。性格悪すぎじゃない?😂

だから同じ出来事でも、今いる環境によってよく言われたり悪く言われたりする。

美の話とはちょっとズレたけど🤏
周りの目やジャッジなんて気にすんな、堂々としようよ。堂々とするに値する人間だよ、と私自身に言ってあげたいなって思ったのよ。

半年後には「堂々とした」って形容詞が似合うお里になります❤️笑

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