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いくら『性』を叫ぼうとも

昔に比べ性を叫ぶ人は随分と増えてきたと思う。私もその一人だと思う。性はいかがわしいもの、隠すもの。エロ。これ、絶対ノーではないと思っているし悪でもないと思ってる。そんな側面もなければ性のあり方は成立してこなかったんだろうし、結果として作り上げられてきたものがそうであるならば多くの意識がそこにあったという証明だろうし。それ以上でもそれ以下でもないなと最近特に感じています。どちらかがよくて何かが悪いなんてなんか結局不健全だと思うから。

人には段階というものがある。
性は特にそれがわかりやすいようで分かりにくいなとも思ってる。
例えば性に対して苦手意識があったりコンプレックスをご自身が抱えている場合、癒しやサポートは必要だと思ってる。またパートナーとのセックスに対して何かしらを悩んで迷子になっている人の場合、知識によってその人が抱える穴を埋める手助けにはなるかもしれない。

だけど、それは解決ではないのだ。

性と向き合うとは自分の本質から逃げないことだと私は思う。それは親であるかもしれないし、兄弟姉妹かもしれないし、パートナーであるかもしれないし、一番みたくない自分自身だと思ってる。

上っ面なとっかかりは何でもいい。だけど性を言い訳に本質からずっと逃げ続けていてもクソにもならないなと。自分を格好の餌食に『誰か』になんてなるなよ。

わかりにくく情報を持て余す時代の落とし穴。苦しくても苦しさを紛らわす方法なんざいくらでもある。そんな世界なんて地獄じゃないか。誰かではなくどうぞ一番にご自分を救ってあげてください。あなたが『あなた』であるために。


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