運を良くする、たったひとつの方法(気分はDyson)
最近、運がいいなぁという出来事が続いてる。
「運よくなるってよかったね!へぇ」って話じゃなくて、
比較的、はたから見ると「大丈夫⁉️」と同情されるレベルで崖っぷちに変わり無い。
ここに書けないほど人生激動中だ。
たぶん、不運の方。
母には「あんたの数ヶ月間…映画見てるみたいよ…」と褒められた?
急転直下、青天の霹靂はたくさん起こるのだけど(2ヶ月間に何度起こったか!)
その度に、どこからか助けの手が届き、助けられ、わたしだけじゃなく子どもたちもなんとか生きてる。
もやし生活を送ることもなく、
母からは娘の誕生日だからとおやつを送ってもらい、
父からも何やら届くらしい。
そして、弟がうちの息子や娘に連絡して、いろいろと世話してくれてる。
「うちの実家はさ、そんなに仲良くなくて…」と、いつも思ってたし、
父も母もくせ強いし、
弟とわたしもそれなりの距離感保って大人な付き合い。ドライだよ、ドライ。中学生のときから、お互いのプライベートには立ち入らない主義だ。
だからかなぁ…
ちいさいときから「実家には頼らない」「両親には頼らない」って決めてたんだけど、
【資金提供はないが物資は届く】という…
結果、【お金がなくても物はある!】ので生きていられてる。物が届くのもありがたい✨(月木星合で8ハウスが発動w)
息子は、この2ヶ月間
一緒に動いてくれたからか、
中1でしなくてもいい経験させてしまった。
そのせいでテストの成績が下がったり、
休み明けに会えると楽しみにしていた友達が、不登校でこなくなってたり……(いや、勉強はコツコツするもんだ!という,わたしの心の声は伝えていない)
娘は、メンタル不良の時もあるけど!
概ね元気で、とりあえず、「早く寝なさい。約束したでしょー」と言われてる毎日だ。
あーだこーだと言われてるうちが、平和である。
なんでだろう?と考えてみたのだ。
ピンチの時に、救いの手が来る。
ピンチの時に、必ず助けがある。
ピンチのときに救いがあると、
やっぱりありがたいし、運がいいなぁと思うのだ。
どうしてかな?って考えた(intpゆえの深掘り)
元を糺せば、きっとこれだけだ。
毎日の信頼の積み重ね。
これしかない。
「たすけて!」と伝えたときに
「あなただから、助けるね」と言われるのは、それまでの信頼関係の証だ。
「この前困って💦」と伝えると
「今度は頼ってよ!」と言ってもらえるのも、信頼関係のなせる技である。
どうしたらチカラになれる?と聞いてくれたり
こんな分野ならチカラになれるよ!と教えてくれたり。これも十分助けになるのだ。
あなただから。
あの人だから。
だから、助けたい。
助けるって烏滸がましいけど、チカラになりたい。
そう、思ってもらえるのは、
お金にならない「はたらき」を日々積み重ねてるだけ。
ハウツーにしたら、本当に簡単な話で。
こんなこと?と拍子抜けだと思う。
でも、大事なのはハウツーの方じゃなくて、
毎日どれだけ、他人に信頼を積み重ねできてるかな?ってこと。
電車の座席を、少しゆずって、座れるようにする時あるじゃん?
おばちゃんがさ、
「あらー、ごめんねー」と言ってきたときに、
笑顔で「いえいえー」と返せるか?
とか。
「早く行くよー」ってときに
「トイレー」とか、どうしようもない理由で(我慢して!とか言えないじゃん?お腹が急にぐるぐるするのは、わたしにはどうにもできない理由だよね)
出発が遅れた場合に、ぐちぐち言わない。
とか。
聞かれたときに、はっきり返事する。
聞き間違いをそのままにせず、聞き直す。
人間関係、円滑にするために、話したことない同僚にあいさつからはじめてみる。
とか。
多分、そういう簡単なこと。
彼女は、きっと運がいい。
というより、
運が爆発してかなり良くなるときが,絶対にあると思う。
こういう小さな積み重ねだ。
善行と呼べるかどうかも怪しいくらいの、
ほんの少しの優しさと心遣いと配慮。
配慮は、する側が使う言葉で、
される側が使う言葉では無いよね。
言うのなら「考慮してください」が正しい日本語である。
ということで、
今日も、変わらず、
おだやかに、他人にも自分にも優しくいこうっと!