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SNSの言葉が怖くなるとき

「あのセリフってどんな意図で投稿してんの?」
「えっ? どれです?」
「これこれ」
「いえ、意図も何も、この方が気軽かと思って」
「いや、横柄に見えるで?」
「うん、わたしもそう感じる」
「わたしは思わなかったかなぁ」

そのほかにもいろいろ言っていただいたけど、わたしの中ではそこが引っかかり、その後の言葉は入ってこなかった。

それからというもの、
Instagramの投稿が怖くなって、
まだ投稿できてない。

毎日投稿!と決めてたのに、
ドキドキして書けなくなってしまったのだ。
他人に送るLINEも、
お礼状のメッセージさえも
怖くなってしまって、まだ送れてないのだ。


思ったより繊細な、わたし。
一度怖くなると、逃げたくなる。
使う言葉が独特だからこそ、
文芸部のときも詩歌担当だった 苦笑
ライティングのときは、
かなり気をつけてると思うのだが、
気をつけてることを指摘されると倍速でしょげてしまうのだ。


「期待してるよ!」
とフォローされたが、
傷口に塩でしかなくて、
褒められることに嫌悪感のあるわたしの性格はなかなかに厄介だなぁ、と思うのである。


『そんなアドバイス無視すれば?』

と言われるときもあるけど、
それはイヤなの。
わたしのポリシーに反するから。


わたしね、
アドバイスやご指摘、ご指導、面白そうなアイディアをもらったら、
必ず検証することにしてるの。

絶対一度はやってみて、
 自分に合う
 合わない
 100%は取り入れるのは無理
 70%なら取り入れられる
 絶対取り入れられないと思うけどそれはなぜ?

と、必ず一旦検証する。

その上で、
何%取り入れるかを決めるのだ。


なぜって?

わたしの知らない「新しいわたし」を見つけてくださって
未知の可能性をみて言ってくれてるかもしれないから。
すべてを「はい、わかりました」と鵜呑みにするのは怖いけど 
「わたし、これでいいんで!」と突っぱねるのも違うと思うから。

柔軟宮の星座はほとんどないけど。
10天体のうち、水星座ばかりだからこそ、
言いにくいことを言ってくれた人の感情を感じてしまうのだろう。
伝えてくれてありがとう、と思うから。
無碍にはしたくない。


考えるきっかけをくれたことには感謝だけど、
横柄
上から目線

の言葉にならないように
Instagramは気をつけてたからこそ、
余計に刺さってしまったのだ。
(ちなみに、noteは思う存分、自由に書いているので「とみいせいこ」は数人いる説まで浮上してきた今日この頃である)



とはいえ、
ライティングも教えてる身としては、
今回は、なかなかに痛いのである。


そんなつもりで言ってない!


と本人はおもっていても、
初めて見る人もいるわけで、
きちんとしたいと思うのだ。

で、
本屋で、
美しい日本語の本を立ち読みしてみたが、



ダメだ……
回りくどすぎて、何も響かない。
心に届いてる気がしない。


美しい日本語の言い回し以前に、
そこに流れるエネルギーというか、心というか、何かを感じ取ってしまうんだろうなぁ、と思う。


傷つける言葉は簡単だ。
だって、大体の人が傷つくし、
わたしも言われたら傷つくから、
「赤点レベルの言い回し」を避けるのは簡単なのだ。

心の琴線に触れる言葉、
そして、
曖昧な言葉こそ難しいと思う。

琴線に触れずに、素通りする言葉はいいのだ。
無視されるだけだから、
プラスもマイナスもない。
仕事なら触れてくれないと困るからマイナスであるが、普段の投稿ならナンセンス!マイナスなんてほぼない。

琴線に触れる言葉は、人を元気にする。勇気を渡せる。
そっとあなたの背中を押せる。


困るのが、
曖昧な言葉だ。

横柄、失礼、上から目線。

これは、人によって価値観が違う。
そう捉える人もいれば、そう捉えない人もいる。捉えるかどうかは、50:50に近いのだと思うし、
時代背景でも言葉は変わると思うから、
かなり気を使う。

たしかに、
最近
慣れてきて、
気を配ってなかったかもしれない。

と、
思い当たることができたのだ。


どこまでいっても、日々成長しかないのだろうなぁ。


「真面目なのがすごい伝わる」

言われて、それも気にしてたけど、
今は逆に強みだなぁと思う。
仕事を任せるなら、
わたしは、はにかむように笑う真面目そうな人に頼みたいのだから。


その素質は生かすも殺すも自分次第なのだろう。

真面目がよく出る時もあれば、
悪く出る時もあるのだから。

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