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三浦春馬くんは、きっと今頃天国でそろばんで頭をたたかれているだろう

京都のALSの女性は誰かと話したかったのでは?

京都でALS(筋ジストロフィー症)を患った女性が、SNSを使って医師2人に連絡をとり、薬物による安楽死を望んで実行したという事件が起きた。

医者がお金をもらって殺すなんて、その医者たちは、日本のヒトラーのようなものだと感じた。

殺された人の名前をここには書かないが、メディアの報道では、だいぶ障がいが重くなって話せなくなってから殺されたのではないかと思う。殺された時にほんとうにその方が死にたいと希望していたのかは、いまや確かめようもない。

その人は誰かと話したかったのではなかろうか。
障がい者の人には色々な生き方(国会議員もいれば、会計士もいる)をしている人がいるが、それは見えにくくて、失望してしまう人も多いのではないか。

「生きていたくない」という気持ちは
とてもよくわかるときがある。

癌で入院していたとき、夜中に髪の毛一本が鼻のてっぺんにかかり、痒くてたまらなかった。ナースコールは、ガムテープで布団の足元に固定されていたが、その日の当直の看護師が夜中に呼ぶと怒る人だったので、足指が動かなった。涙が止まらなくなった。髪の毛一本で、体中が震えて「いまは死んだほうがいい」と叫んだ。そのときの叫びで吐いた息が、髪の毛を吹き飛ばしてくれて、やはり明日も生きようと思った。

障がい者はそのような思いを繰り返しながら生きていると思う。

ある友達は兄弟から「(障がいを持った)あんたがいるから、私は結婚できない」と言われたそうだ。その人はそれが苦しくて、自殺未遂をした。

生きていれば、一緒に泣いてくれる親もいるし、「あなたの気持ちよくわかるわよ」と言ってくれる友達もいる。周囲の人たちが、生きるエネルギーをあげているのだ。

私も最近67歳になり、肩首腰が痛い。お酒や薬を飲んで我慢していても、やはり夜中に辛くて目が覚める。そんな時にまた死にたくなる愚かな私がいる。

心の痛みと体の痛みはちょっと別なのかもしれない。人生において悩んで死にたいのと、障がいや病気になって苦しくて死にたいのとはちょっと違うのかなと思う時がある。

私は夜中に体が痛くて目が覚め、テレビをつけると、驚いたヘルパーさんが隣の部屋から飛んでくる。「どうしたの?どこか痛いんですか?」と聞かれる。「肩が痛いのね」と言い、長い時間肩を揉んでくださる人もいて、そんな夜は心も揉んでいただいたような気がする。

死にたい時に、大声でそう言える相手が
誰かいればいい

誰かに話しているうちに生きようという気持ちに変わっていく。
人生はそのような繰り返しではなかろうか。

「僕たちは、死にたいと思っても死ねないもんね!」と当時40歳だった筋ジストロフィーの友だちが言った。その頃若かった私は「死ぬ方法はたくさんあるじゃない?あなたはまだ手が使えるのだから、電動車椅子で道路に飛び込んだり、アパートの近くに池があるんだから、そこに落ちればいいんじゃない?それから…」と色々死ねる方法を羅列していたら、彼は「もう聞きたくない!わかったから!僕は生きる!」と返しきた。「そうね、車に轢かれてもっと重い障がいになったら困るでしょ?」と言ったら、彼は大笑いした。「こういう話を出来るのはいいねえ。なんだか生きたいと思えるようになったよ」と言われた。

人間は孤独過ぎて死んでしまう人もいるのかもしれない。でもその彼は85歳まで立派に生き抜いた。彼が死んだという知らせが葉書で届いたのは、彼が亡くなった後だったので、残念だ。お葬式に間に合ったなら、抱えきれないほどの花を持っていきたかったのにと、悲しくて、涙も出なくなり、なぜか体中の緊張がとれた。いつも脳性まひで緊張している力がぬけ、「あぁ、楽だなぁ。彼が私の体をマッサージしてくれているのかもしれない」と思えた。(私も85歳まで生きるからね)とつぶやいた。

筋ジストロフィーでも死にたくない人もいる

そういえば「こんな夜更けにバナナかよ」のモデルとなった鹿野さんは、筋ジストロフィーだったが、死にたいとは言わない人だった。彼はいつもアホな事ばかり言い、泣いているのは女性にフラれたときぐらいだった。「僕は長生きして、人に迷惑をかけながら生きるんだ」といつも言っていた。私はその言葉が大好きだった。彼は強い人だったんだね、あほだけど。アホな人の方が強いかもしれない。

いろいろな人から映画についての前評判は聞いていた。私は「現実と本や映画は違っていて当然。自分もテレビドラマや記事の題材になったときに、いろいろと違うことがあったから」と最初から割り切っていた。

映画はとても感動的だったが、1つだけ注文をつけたいと思っていたことがある。彼が仕事をしているシーンを、2秒間でもいいから描いてほしかった。

というのも、鹿野さんは数年間は札幌いちご会に来て、会計担当だった。そろばんをやっているふりをしていたが、頭の中で全て計算ができていたのだ。彼はただ人に甘えていたのではなく、職業人だった。障がい者が仕事をしている姿を伝えるメディアはまだまだ少ないので、そろばんを頭でたたいていた彼の姿を描いてほしかった。前田監督にそういうシーンをリクエストしようかなと思っていたが、もう撮影も済んでいたようで間に合わなかった。

鹿野さんは、鹿野靖明という人生を送り、こんな夜更けにバナナかよという本でまた生まれ、その後は映画で生まれ変わった。

三浦春馬さんは早く天国に行ったが、きっと鹿野くんとはどこかですれ違うだろう。鹿野さんなら「春馬さん、はやくきすぎだよ。もっともっと女を口説く時間もあっただろう」と、そろばんで頭をたたくにちがいない。
三浦さんもいろいろな形でこの世に生き続けるだろう。
ご冥福をお祈りします。
(写真提供:前田哲監督)


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