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「ストローは私の七ツ道具」(車椅子からウィンク〜脳性マヒのママがつづる愛と性〜)


以下は「車椅子からウィンク〜脳性マヒのママがつづる愛と性〜」で私が書いたエッセイだ。1988年 文藝春秋
このエッセイについて、最近「こんな夜更けにバナナかよ」の著者、渡辺一史さんが取り上げてくださったときに考えたことは、別にここに書いてあります。

「ストローは私の七ツ道具」

 いまはとてもいいストローがあり、私たちストローなしでは生きられないものにとって、いい時代になった。

 脳性マヒは口にも硬直が働き、箸でもスプーンでも噛んでしまう。私が子どものころの麦わらストローは、一度噛むとつぶれてしまい、二度とつかえなかった。母はぐらぐら動く私の首をがっしり抱え、あごに大きなタオルを当ててくちびるにコップを当てがってなんでも飲ませてくれた。

 どうみてもあまりかっこうのいいものではなく、大きくなるにつれ、恥ずかしくなってきた。それに、施設に入ると、だれも母のようには飲ませてはくれない。母はそれを心配して、素晴らしい工夫をした。

 母の実家は古物商をやっていた。商売用のオートバイを見てひらめいたのだという。ガソリンタンクとエンジンの間を、細いビニールの管がつないでいる。それを切り取ってストローがわりにしようと思いついたのである。

 ガソリンのにおいをとるために、何日も熱湯に漬けたそうだが、弾力があって何度噛んでもつぶれず、とてもつかいやすいストローだった。

 施設の保母さんや看護婦さんが、
「これはいいね。どこで買ったの?ほかのおかあさんにも教えてあげなきゃね」
と、売っている場所を聞いたけれど、私は母がどこからみつけてきたのか、知らなかった。私が本当のことを知ったら、気持ちが悪いと言ってつかいたがらなくなるだろうと、母は言わなかったのだ。
「かあさん、これ、みんな欲しいって言ってるよ。どこで買ったのって」
と母にいうと、母は困った顔をして、
「そのうち買ってくるよ」と言うだけだった。
 
何週間かたったある日、母はそのビニールの管を何メートルも買ってきた。そしてつかいやすい長さに切って、部屋の子どもたちに配った。
「やっとみつけたよ。いろんな店をまわったけど、金魚屋さんにあったんだよ。水中に酸素を通すときにつかう管よ」
 母の声は弾んでいた。
 そのときはじめて、私は母がどこから取ってきたのかを聞いた。
 ビニールの管のストローは、たちまち施設中に広まった。いまでは全国の障害者がつかっているが、もしかしたら母の発明かもしれない。

 それから母は、私の服すべてにストローポケットをつくった。胸のところに小さな穴をあけ、長い袋をつけたのである。こっちのほうは、あまりかっこうがよくなかったので、流行しなかった。

 数年後、弾力のあるストローが売り出され、わざわざ金魚屋まで行かなくてもよくなった。そしていまでは、曲がるストローまであり、私たちにはたいへん便利になったが、硬直の激しい人は、いまでも金魚屋のストローを使っている。水分を飲むためだけでなく、煙草を吸ったり、鉛筆につけて口にくわえて字を書く人にも便利らしい。クレヨンを入れてつかうと、折れる心配もなくなるのである。

 いま、私のバッグには、いつも三、四十本のストローが入っている。
 ときどき、役人と話し合うため、道庁や市役所に行く。お茶が出てくるようになるまで三年かかったが、お茶が出てくるとしめたもの、こちらのペースにまき込める。
 目の前の課長、係長、ヒラはみんな、またうるさい障害者がきた、という顔をしている。私はボランティアの人に頼んで、バッグからストローを一本取ってもらう。そしてお茶を飲もうとすると、役人たちは口々に叫ぶ。
「あっ、熱いよ。大丈夫かい」
「大丈夫、なれてますから」
 こんなきっかけから、会話が始まるのだ。

 なにかの雑誌に「役所にストローがあればいいのに」というようなことを書いたら、次の日から、役所にストローが置かれるようになった。ストローは三種類もあって、
「小山内さんはどれがつかいやすいですか」
 とたずねられたりした。これこそ行政を大きく変える一歩だと、心の中で「バンザーイ!」と叫んだ。

 しかし、役所では担当者がよく変わる。そのたびにストローが消える。また最初からやり直しである。ほんとうに面倒なものだ。
 私は役所のほかに、寄付金集めのために企業まわりもするが、H銀行をたずねたときのことだ。
 五十歳ぐらいのロマンスグレーの紳士が応対に出てきた。
「いちご会ですか。去年も来ましたね」
と、渡した趣意書を眺めている。
「あなたのような人がたくさん来るんですよね。身障者本人が来るのはあなたたちだけですけど」
と、気のない口調でいう。私はあきらめてそのまま出ていきたい心境だ。そこに美しい女性がお茶を運んできた。
「まあ、お茶をどうぞ」
とすすめられ、私はいつものようにストローを出してもらい、お茶を飲もうとした。紳士の細い目が大きく開いた。
「ええっ、お茶をストローで飲むんですか。大丈夫ですか」
身を乗り出している。
「ええ、大丈夫ですよ。ストローは私の七ツ道具のひとつなんですから」
紳士は心の底から感動したようで、いきなりポケットからハンカチを取り出して目がしらを押さえたのである。
「ストローが七ツ道具ねえ。あんたは、えらいねえ」
その紳士は去年腰をいためて歩けなくなったこと、もう仕事に復帰できないのではないかという恐怖におびえたことなどを、話し始めた。
 彼がなぜこんなに一本のストローに感動したのか、私にはいまだにわからないが、とにかく紳士は、ほかの銀行に行きやすくしてあげようと、あちこちの銀行に電話をかけていちご会の説明をしてくださった。
「こうしておいたら門前払いはありませんよ」
会ったときの印象とは別人のようであった。
その夜はお酒がおいしく飲めたことをおぼえている。

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