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メンタルストーリー(双極性障害Ⅱ型。50年を振り返ってみた②)

こんにちは。アラ50鍼灸師おさむです。

前回の投稿からだいぶ時間が経ってしまいました。これからぽつぽつ書いていこうと思います。

前回までのあらすじ

・小学校までは活発でよく笑う二人兄妹の次男。中学2年生の時に兄が有名大学に合格したのをきっかけに自分の人生が大きく変わってしまった。
・「自分も有名な大学に入らないといけないのではないか?誰からも認めてもらえないのではないか?」そんな感情が湧いてきて人目が気にするようになって笑わない子供になりました。
・絶えず監視されているような感覚でいつも緊張していて疲労感が抜けなくて足が鉛のように重たかった。運動大好き少年から引きこもりの生活になりました。学校と自宅の往復だ毛で精一杯でした。
・どうにか大学を卒業したものの社会人になると人と関わらないと生きていけません。二度目の職場を退職した頃に職場になじめず人生に絶望しました。「自分は社会人として失格なのではないか?」
・「これは治療が必要だ。精神科に入院すれば早く治るはずだ」こうして自ら望んで入院することにしました。思い込みが激しいですね。それだけ「早く普通の生活に戻りたい。この絶望感をなかったことにしたい、消し去りたい。」普通って何なんだろう?その時の自分にはそんな疑問を持つ余裕がないほど追い込まれていました。「このままでは優秀な兄と差が大きく開いてしまう。有名な大学を出たわけでもなく有名な企業に入ったわけでもない。俺は人生の落伍者だ」そんな毎日でした。

最初の入院


「精神科を受診しよう。入院すれば早く治るはずだ」。
①今考えると精神科を受診することは正解だったと思う。もっと早くに受診していればよかったと思う(中学生の時)が精神科のハードルはかなり高いのです。今は「うつ病、メンタル疾」という言葉は一般の方にも認知されていますが30年前は「普通じゃない人、働けない人、近寄らない方がいい」
心の病は「気合が足らない。怠けものの言い訳だ!」という根性論が常識だった時代。「風邪を引いたから内科を受診しよう」とは全く違う、医療とはかけ離れた世界、それが精神科だと思っていたので受診0するタイミングがはありませんでした。精神的に病んでいる自覚もなかったです。親族に精神疾患で自宅療養と入院を繰り返している人がいました。精神科に罹るなんて人生終わった人という偏見もありました。
②入院すれば早く治る。これには2つの間違いがあります。現在では働きながら(若しくは休職して)治療を受けることが原則です。社会から隔離した生活は復職までに時間がかかるので自宅療養しながら治療をすることが望ましいとされています。またメンタル疾患は「治る」というより病気と伴走しながらうまく付き合っていく、と考えた方がいいと思います。「治そう」と思うと焦燥感にかられ「どうして治らないんだ、やっぱり俺はダメな人間だ。いっそ死んだ方がマシだ」という負のスパイラルに落ち入ります。

入院しても良くならない?

入院して最初に感じたことは「何もしない」ということ。
朝決まった時間に起きる。
◆一日三食取る。
◆薬を忘れず飲む。
◆夜決まった時間に寝る。

この生活リズムを定着させること。これが最も大事な治療でした。

「これなら自宅でも出来るわ」と思い入院後最初の受診で先生に「退院して日常生活の中で治療したい」という希望を伝えました。その1週間後に退院となりました。

退院したはいいけれど。

入院前、私は仕事を辞めていました。「さぁー、今すぐ働くぞ」という気持ちにはなれませんでした。退職した時の絶望感は消えておらず外に出ることが怖くなっていました。入院中の規則正しい生活も家に帰ると乱れました。

「何をすればいいのか分からない…」

平日の昼間に20代の男が家にいるなんて「おかしい」と思っていました。人の目が気になり外に出ることもできません。「男は平日昼間は仕事をして休みは週末が常識、当たり前だろ」という考えに縛られていました。平日休みの人もいるのに。かなり狭い世界での常識、しかも自分で作り上げた凝り固まった「常識」です。時間を持て余しているので本でも読んで勉強でもするか!と本を開いても文字が頭に入ってきません。目で追っているのに頭に入ってこないのです。「本も読めない。家にいてもやることもない。何もできない。これじゃ何の価値もない」次第に不安、焦燥感に陥り痙攣が起きるようになりました。母親に見つかると「何やってるの、やめなさい!」と怒られるので自室で布団に潜り込んで必死に痙攣を抑え付けようと苦しんでいました。親は腫物に触るような態度で特に話し合ったり出かけたりすることはありませんでした。家にいても孤立、孤独でした。きっと親としてもどうしたらよいのか分からなかったのだと思います。この時の最大の失敗は病院からもらった薬を飲まなかったこと。「こんな薬飲まなくても大丈夫。自分は”普通の人間”だから飲む必要なんてない」と捨ててしまいました。薬をしっかり飲む、という治療の原則を自ら放棄していました。

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