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『人生のカレンダー 「家」の再生の物語(仮)』⑧

「40代になってわかってきたこと…」

「お話しましょ!」

午前中の仕事を済ませたようで、話をするのは昼過ぎくらい。

「はーい」とメッセージを返せば、このままコールが返ってくる。

「もしもし」。

「あー、はいはい、あれ、なんだか、声がきれいだねぇ」。

「あはははは、覇気があるからですよ」。

「あははは、そうだよねぇ、SNS見てると、休みの日にはいつもどこかに出かけてるし、ママ友とはいっぱいしゃべっているみたいだし」。

「そうなんですよ、ママ友とは近所のおいしいカフェに出かけて、楽しい時間を過ごしてます」。

「そうなんだねぇ」。

「そうかと思えば、家でひとりで本を読んでいたりしたら、うちの黒猫ちゃんがニャーっ寄って来て膝の上にのってきて、それを見ていたうちのかわいこちゃんが、ママーって抱き着いてきたりするんです」。

「あははははは、なんかうらやましいなぁ」。

「そうですか?」

「いやー、元気そうで何より」。

「これ、言いましたっけ?私、体重かなり減ったんですよ」。

「おっ、なにそれ!」。

「近所にプールがあるんですけど、週1.2回通ってるんですね」。

「はいはい」。

「泳いでるんです」。

「おーおー」。

「それで、常連みたいな方から泳ぎ方教えてもらったり…、でぇ、プールにはジャグジーがあるんですけど、そこでその人たちが浸かってて、私その人たちの中ではまだ若いほうだから、いろいろいじられるんですね」。

「あははははは、目に浮かぶわ。元お嬢様の今はデラックスな体型の人生の先輩方がそこに浸かっているのね」。

「そうなんですよ。もうなんだか怖いものなしって感じで、豪快な方々が入ってる鍋みたいなところに入っていくんですよ」。

「こりゃまた、良い感じに出汁が出てそうな…」。

「ですよねー」。

「多分、そういう人生の先輩方もさ、今は南の島の野鳥みたいな笑い声で豪快に笑ってるかもしれないけど、それなりにいろんなことを乗り越えてきたんだろうから、良い体験だなぁ」。

「そうですねぇ…」。

「多分ね、細かく話を聴いていったら、結構大変な課題を抱えてたってことってあってさ、そういう課題を解決するために努力したってのもあったと思うけど、結構深刻な課題でも、それが年齢とともに問題でなくなってくるのよ」。

「へー」。

「そのさ、元お嬢さまの先輩方ってさ、現役のお嬢様だった頃って、南の島の野鳥みたいな笑い方してなかったと思うのね、少なくとも素敵な男性の前では、そうじゃなかったと思うわけ」。

「あははははは」。

「でさぁ、もうそんな素敵な出会いがあるわけじゃなくてさぁ、いろんなこと気にしなくてもよくなっちゃったというか、気にしたところでどうにかなるわけでもない年代と体型になっちゃうと、逆に南の島の野鳥みたいな笑い方が生きてくるのよ」。

「へー、あー、たしかにねぇ」。

「だってさぁ、気にすることないわよなんて、豪快に南の島の野鳥が笑ったとしたら、どうでもよくなったりするじゃない。でもさぁ、若いころには、周囲の顔色を気にしたり、周りの視線が怖いとか、いろいろあるわけでしょ」。

「そうですそうです」。

「もう、僕は還暦でさぁ、今20代の人と話したりすると、なんかねぇ、自意識の塊みたいに見えちゃったりするわけ。自分に対する過剰な関心の強さというか、そんなにいろんなこと気にしなくてもいいんじゃないかって思うし、もっと肩の力を抜いて楽に生きたらいいのにって思うんだけどさぁ」。

「そうですねぇ」。

「あれ、なんだと思う?」

「えっ?! なんなんですか???」

「あれねぇ、トレーニングしてるの」。

「えっ?!、なになに」。

「人の顔色とか視線ね、あれが読めるようになるのは30歳過ぎからなのよ。
そりゃ、周囲の人の感情を表情から読めるのは子供の頃からできるような気がするんだけど、あれは単に怖いから警戒しているだけなのね。実はそうじゃなくって、社会の中で相手の表情からいろんなことを推察して、自分からどうしたらいいかって態度や立場を変えたり、相手にどう働きかけたらいいかって判断できるようになるのが30代前半からなのよ」。


「へーーーーーー!!!!!」。

「脳がそういう発達の仕方をするらしいのね」。

「へーーー」。

「若いころの自分を守りながら恐る恐る周囲と関わるのは、赤ちゃんがハイハイからつかまり立ちしだすようなもので、少しずつチャレンジして、身体の発達に応じてスムーズにできるようなトレーニングをしているわけね、これとおんなじ」。

「へーーーーー」。

「それでさぁ、歌の歌詞みたいに、若いときはさぁ、誰かを傷つけたとか傷つけられたとかいうじゃない? あれも社会脳が未発達だからそりゃ相手の表情とか互いに読み間違うわけでね。精神的にはまだよちよち歩きだからそりゃ転ぶし、膝擦り剥くしで、でもこれを恐れていたら歩けないわけよ。人生のベテランのお姉さま方は、そんなこと言わないでしょ、傷ついたからって死ぬわけじゃないんだからがんばんなさいよとかいうわけよ」。

「はぁ・・・」。

「なんか話がずれたような気もするけど、例えばさぁ、いわゆるしつけって、6歳までは有効なのね。これね、なんでかというと、心と身体の使い方を学習している時期なのよ」。

「うんうん」。

「しつけって、これだめでしょあれだめでしょって、ダメダメ言うんじゃなくて、喜怒哀楽のような人の基本的な感情を体験して、これを身体に覚えこませることでもあるのね」。

「はいはい」。

「感情は身体と密接に結びついていて、恥ずかしいことがあると顔が赤くなるでしょ。心配事があると胃がキリキリしてきたり、やりたくないことをどうしてもやらなくちゃいけないとかは、足が重かったり」。

「あー、わかります、ありますよね」。

「そういうことを学んでるのよ」。

「あれは学習と訓練でああなるんですか?」

「そうとも言い切れないところはあるけど、身体は身体として生きようとしていて、心に様々なメッセージを送っていることは間違いなさそうだよ」。

「ふんふん」。

「僕は子供いないから話半分に聞いてほしいんだけど、子供のしつけで大切だといわれているのは、どんな時にどんな感情が湧いてきたかということを聴いてあげることが重要で、さらに言うと、さっきみたいに身体がどんなふうになったかということを聴いていくと、身体と相談できるようになって、どんどん自分とつながっていけるのよな」。

「へー」。

「これは大人になっても有効で、感情を発見する・感情を育てる・感情を動かして使いこなしていくというようなことは、生涯にわたって必要なことよね」。

「そうなんですね」。

「ここら辺の話してたらきりがないんだけど、20代までは、決まった計算の早さとか記憶力とか、そういう競争で測れる能力がとても高いのね。ところが、30代に差し掛かると人の表情から感情を推し量ったり、人に働き掛けして満足させられるような競争とは違う内面的な能力が伸びてきて、いわゆる対人交渉が出来る能力が身についてくるのさ」。

「うんうん」。

「それで、こういう能力が伸びてくると、いろんな人と一緒に仕事をする能力も伸びてくるし、40代は仕事に集中できる集中力がピークだといわれているのよ」。

「へー」。

「それで、何が言いたいかといえば、元お嬢様の人生の先輩方は、人の表情から感情を推し量ったり、自分が今何を言えばどう受け止められるかということも十二分に分かっているし、成熟したご婦人は、そういう能力でいえば現役のお嬢様方からすれば達人レベルなわけよ」。

「まぁ、そうですよね、もう自由自在というか、なんというかあははははは」。

「だからってわけではないけど、ある程度努力したり、行動したり、体験や経験を重ねていくことで出来るようになることもあるんだけど、身体とか脳が成熟してくるのを待つということも必要だし、そうやって成熟してきたら、おのずと解消されてくる課題っていうものもあるのよ」。

「年齢を重ねるってことには、良いこともいっぱいあるんですね」。

「そういうことだわなぁ」。







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