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ふゆのそこ。たかまがはら
近畿地方住在者の感覚では、2月初旬から中旬のはじめ頃、冬の底を打つ印象である。またなかなか降雪に見舞われない大阪でも降雪する機会が多いようである。
一方、春の花が開き始めるのもこの頃で、冬の厳しさと春の光が入り混じった面白さを感じることができる。
ということで、奈良・御所の高天原を撮り歩いてみた。
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完全に冬の風景である。冷え冷えとした空と雲、そして一つ残らず葉の落ちた梢。そしてあちこちに降雪の跡がある。
金剛・葛城山系の麓にあたる、この高天原の標高はそれほど高くはないのだが、頻繁に降雪するようだ。
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この地は、全国にいくつか見られる高天原の一つである。御所市ホームページの案内を引用すると
『高天原とは「古事記」の冒頭「天地(あめつち)のはじめ」に登場する神々の生まれる場所・天津神の住まう場所です。出雲の国譲りにより天照大神の孫(天孫)瓊瓊杵命(ニニギノミコト)が高天原から高千穂へ天下る(降臨)したという伝説があります。』
とあり、神の国に一番近い場所とされる。
また、記紀(古事記・日本書紀)における国造りの神話世界と、もっと原始的な巨石信仰は非常に結びつきが深い印象だが、この高天彦神社においても御神体を祀る本殿はなく、背後の山が御神体そのものというのも遠い遠い郷愁をどこか感じさせるに足る雰囲気である。
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高天彦神社と周囲の集落を離れ、わずかに拓けた谷間の棚田を眺めながら下ってゆくと、風景が少し開け、相変わらず続く棚田の下に寺院がある。こちらは、高天寺・橋本院という西暦718年、唐の玄奘より教えを請うた行基がこの地に「光を放ち香気漂う十一面観音菩薩のお姿」を見出したことにはじまる由緒深い寺が見えてくる。
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この高天寺・橋本院は、幾度も焼き討ちに遭うなど、衰退繁栄の繰り返しを経て、現在は素朴な山寺の雰囲気である。また境内では、四季折々の数多の花を鑑賞できる。
時折雪もちらつく寒々とした風景の中で、私は案外春が近いことを知るのだ。
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次回は、和歌浦
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