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ナチュラル・ハイ VS アンチ・ナチュラル・ハイ

 こんばんは。ここ数年、健康ブームらしいですね。わかりやすいところでいえば、コンビニ食と言えば、昔はデカい、肉、油という形でしたが、今ではサラダチキンやミニサラダが覇権を左右しています。チェーン店でもココ壱は、他のチェーン店、例えば吉野家や大戸屋などに比べて、野菜のトッピング等が少ない上にハイカロリーなトッピングを重ねていく構造のためコスパが悪く、健康志向の現代人にとっては、敢えて選ぶチェーン店ではなく、一時かなり売り上げが減少したそうです。また、フィットネスジムも増え、誰もが気軽に通えるようになっています。

 とはいえ、最近コロナの収まりと共に下火になっているとも聞きます。最近、私の友人が「最近、筋肉系Youtuberが下火になってきている気がする。」と言っていました。筋肉だけで、一生食っていけるわけではないでしょうし、第一、人は衰えます。アーノルド・シュワルツェネッガーは、今でさえ、背筋よくしゃきっとしていますが、今や議員ですし、また全盛期の筋肉には戻れません。有識者としての知恵はありますが、肉体、皮膚や筋肉は脳に比べても目に見えて衰えていく物です。
 
 健康ブームは下火になりつつも、現在もまだ続いていますし、これからも全く無くなるということはないでしょう。ダイエットという1ジャンルが、昔から今に至るまで、波はありながらも数々の儲けを生むコンテンツとなっています。この商売は、人が基本的にダイエットができない、という前提を元に仕組まれています。全員が全員己の肉体を管理で来ていれば、そもそも儲けにもブームにもなりません。健康ブームにも、ダイエットという1ジャンルと被る点がありますが、健康ブームの中で特に体を鍛えること、これにはダイエットとは別の麻薬的な良さがあります。

 ストレスの解消法、現代人に付きまとう問題の一つです。コレと運動は非常に相性が良い。それから、筋肉にストレスを良い具合にかけ続けると所謂「脳ハイ」と私が勝手に呼んでいる状態になります。ランナーズハイという先行した言葉があります。これは有酸素運動、例えばランニングなどで超時間身体に負荷を加えることで、脳内麻薬(ノルアドレナリン)が放出されることで気持ちよくなるものです。ランナーズハイとうと奇麗な言葉に見えますが、ランナーズハイ中毒者というものが一定数存在し、某国の政治家もこれだったと聞きます。鍛えたくて運動しているのか、キマりたくて運動しているのか、どちらもあるでしょうし、私もどちらもあります。

 まず、鍛えることは、基本的に苦しみをベースにしています。楽に筋肉を鍛えるなどという方法があれば、100%危ない詐欺です。腹筋を震わせる怪しい機械でさえ、あれは筋肉を破壊して再生させるプロセスを踏んでいるわけで、やはり、破壊には苦しみが伴い、使ったことはありませんが筋肉痛などにはなるのでないでしょうか。では、そこまでして苦しみをしてまで何故鍛えるのか。人には、自分のボディイメージというものがあるのです。

 すべての人にボディイメージがあるかと問われれば、NOになります。全てを諦めきった身体をした人を見たことがあるでしょう。自らの身体を見て絶望しつつもどうにもならないと受容することもあるでしょう。
 体を鍛えることは、ボディイメージを自分の理想に近づける行為であり、自己肯定感を上げることを手助けします。また、身体を動かす行為自体が、もともと狩猟を行っていた人間には刺激になって脳にも良いです。
 健康ブーム、そこには、人が自分の外観に以前より意識を向けるように担ったのもあるでしょう。男性用化粧品やSNSへの自分の身体の投稿などを見ても見た目が良いに越したことはなく、またそこにはゴールというものがありません。整形などは不健康ですが、このような美意識への極致です。

 健康、健康。健康が大事なのはわかり、先述の通り気持ちも良いので、私も食事と運動に気を使いはしますが、たまにアンチ健康をやっています。
 これを人によっては、「チートデイ」という言葉を使って表現します。これは、ダイエッターや筋トレイヤーが食事制限をする中で、1週間か2週間かその内1日は何を喰っても良いという日にして、自分の中の抑えきれぬ欲望をどうにかするというものですね。
 私はこの言葉が気に障るので、あまり使いません。「今日はチートデイだから」いや、知らねーよ。お前のルールは。そもそも、人生の中でチートと呼ばれる行為はたくさんあるので、単なる暴飲暴食日をチートデイと名付ける感性が気に入らないのだろうと思います。
 チートデイ、チートというなら、浴びる程酒を飲み、連続喫煙やら、人倫すれすれの行為やアブノーマルな性交、そういったものを指すべきではないでしょうか。

 私は2年半ほどガッツリ喫煙者、つまり中毒者となり、その後ナチュラルハイ法で健康的なランナーとなり中毒から抜けました。はまりやすい人間なので当時は禁煙の反動で毎日10キロとか走ってました。それでも煙草は美味しいものなので、たまに嗜みとして喫煙を愉しんでいます。シーシャなども喫煙経験があったからあまり抵抗なく飲めます。酒も同じです。煙草も酒も人類の愉しみ(或いは祭司的)な文化であり、人を苦も無く、愉しくさせるものです。気持ちよさの前借りの要素が無いとは言い切れませんが、音楽と同じような嗜みであり、完全悪ではありません。アンチ・ナチュ・ハイ。

 私は適度にアンチナチュラルハイとナチュラルハイを行ったり来たりしてバランスをとっています。なので、どちらの言い分もわかります。
 のめり込みすぎない限り、どちらも人生の質を向上させるでしょう。
 どちらもある程度の極までやってみて、どちらも好きということがわかりました。飽き性でもあるので、偏る時期もあるのですが、やはりどちらにも良さはあります。

 健康第一、不健康な物質は悪といって、人の作り出した甘露(アムリタ)を舐めないのはもったいないですし(あまり好きじゃない言葉ですが、人生を損している。)、逆に甘露に浸りすぎて人間性を失えば、元も子もありません。人生を楽しむための甘露に支配されて溺れる。ああ、書いている内に時にはそう言う時もあっていいか、と思えてきましたが、返ってこれる場所を自分で見極めようね、というのが、アンチ・ナチュ・ハイに必要な点で、そこさえ注意すればたまにやるべきと思うのです。ナチュハイと比べれば、とにかくずぶずぶイケてしまうので、苦でなく楽、即物的な自由を感じられます。時々バッドになってしまうという点も、この不完全な人間の生み出した文化の産物を味わっている感じ、自罰的な気分になれて、悪くありません。悪をもって悪を征す。そんなつもりで邪悪なことをして、もっと鬱になっていると、ああ、人間、という気分になりませんか。私はなります。

 健康志向の極致で、鍛えすぎると逆に身体に悪く、血尿と共に筋肉の成分が分解されるとも聞きますが、そこまで行く人間は稀ですし、それはそれで苦行僧的な別境地のハイに向かっているような気がします。

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