【女子高生エッセイ】『承認欲求は決勝戦に持ち越します📕』
私は承認欲求が高い側の人間である。
認めて欲しい、褒めて欲しい。
世界が私を求めて欲しい。
実はそんなタイプの人間である。
承認欲求というものは、やっかいである。
欲求というものは、誰にでも潜んでいる。
人間である限り、心のどこかに存在する。
ただその形は様々である。
承認欲求もそのひとつ。
欲求の大小を考慮せずにいうと、基本的には誰にでもあるものである。
他人に認められたいや褒められたいという気持ちがなくても、自分自身を認めたいと思うことも承認欲求なのだ。
中には、親、恋人、親友など特定の人物のみが承認欲求の対象となる人もいるし、誰でもいいから認めて欲しいという人もいる。
だか、私の場合は、『この世界の全員に』認められたいというもの。
本当に面倒くさい人間である。
達成することは現実的に不可能ではあるけど、欲求を言葉にするとこの通りになる。
現実の世界で接する人も、インターネットの世界で接する人も、全ての人間が、私がここに今必要であると言って欲しい。
同じような思いを心に秘めた人間は意外といると思っている、真相はわからないが。
少しだけ、以前の話をさせてもらう。
生徒会で副会長をしていた私、学年で優秀な成績を修めていた私、ダンスで全国まで行った私。
そういえば、絵画や彫刻、ピアノもやっていた。
一言で言うと、期待されていた。
本当の私の実力の何倍もの期待を背負って生きながら、その期待の中に溺れながらも心地よさを感じた。
でも心地よさの中に怖さがあった。
本当の私を見つめてくれている人は1人もいなかった。
本当の私を知った瞬間にみんな、私に失望するだろうな。
そしたら、私はひとりぼっちになってしまうのだろうか。
そんな怖さがあった。
いつか離れてしまうんじゃないかって。
みんなは私の前から消えてしまうんじゃ無いかって。
そうして、その時は案外すぐに来た。
私が病気にかかって学校に行けなくなると、学校という社会から疎外された。
たくさんの仲良かった友人たちは、離れていった。
学業に長けていた私を褒めてくれていた先生たちは、不登校気味の私を厄介者として扱うようになった。
明らかにクラスで浮いている私に声をかけてくれる子はほとんどいない。
学校の社会では、認められるどころか、自分の存在すらも無いように感じた。
学校に行けなくなった私に、家族も期待をしなくなった。
私の将来には価値がないかもしれないと思うようになった。
そうして、今、私自身が私を認めることが難しくなっている。
今まで、これほどの挫折を経験したことがなかったから、立ち止まっている私を受け入れることができない。
"私のいない世界は、毎日変わらず回っている。"
そんな当たり前のことがとても悲しくて辛くて、世界から1人放り出されたような気がした。
そうして、溜まり溜まった承認欲求たちはインターネットへと放出される。
noteだってそうだ。
"本当の私"を書いて、スキという応援の証をもらう。
たくさんの応援の証を受け取って、認められている気がして安心する。
そうすると、また書きたいという気持ちに変換される。
スキの数や、フォロワーさんの人数を他人と比べて悔しい気持ちになる日もあるが、これこそ"本当の私"の価値を測れているような気がする。
インターネットの世界は、『誰かが私を認めてくれているだろう』という漠然な考え方ができるから好きだ。
ただ、あくまで好きであるだけで、満足はすることができない。
私には書き続けることしかできないのだ。
世界で、1人でも多くの対象に私という存在が認められるように、書き続けるのだ。
貪欲であることは、決して恥ではない。
欲望を満たすために行動を起こすことが、いつか未来への橋渡しになる。
そんな風に誰か偉い人が言ってた。気がする。
私にできる行動のひとつが、書き続けること。
言葉を生み出し続けること。
本当の私を書き出して、まずは私が見つめてやること。
認めれなくても、『なんだこいつ手のかかる可愛いやつだなぁ』くらいに思えるようになること。
本当の私を発信して、誰かに認めてもらうこと。
このサイクルで、私の承認欲求は満たされていく。
少ししてから、『貪欲でいいよね』と心の中で呟き書店に立ち寄る。
いつものルートで書店を徘徊していると、目についた本があった。
それを手に取る。
【承認欲求にサヨナラ!】というキャッチコピーを目の中央にとらえながら、心の中で買うか迷う。
そうしていると、BGMがひとつ変わり、好きなロックバンドの歌がきこえた。
私の後ろを通った若者2人組が
「こんな感じの、認められなくても尖ってやっていくって感じのバンドかっこいいよな」
と言っていた。
それを聞いて、迷わず手に取っていた本をレジへと持っていった。
家に帰って、本をカバンから取りだす。
表紙を見つめて、ふと先程の出来事を思い出す。
ん?おかしい。
「私、あの2人組に"認められたい"から、承認欲求捨てようとしてるじゃん」
本を開けようとした手を止める。
この本を開けても閉じても、人に認められたい私は変わらないままじゃん。
本を開けない➡︎初志貫徹型の承認欲求の塊
本を開ける➡︎八方美人型の承認欲求の塊
少し考えて、今日は本を開くのをやめておくことに決めた。
今日は、『貪欲であろう』と思った意思を尊重しておく。
1週間前に買ったあの本は、未だ開かれていない。
枕の下に封印してある。
いつか私があの本の目次以降を見る日が来るのだろうか。
ただの本が、承認欲求の形が変わる可能性を教えてくれる存在になった。
今日も私は、"本当の私"を言葉にして表現する。
矛盾していても、歪んでいても、汚れていても、これが私だと信じて書く。
それが今の最適解なのである。
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