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【女子高生エッセイ】『終止符を打つ側の人間⛹️‍♀️🫧』

どんなことにも終わりはつきものだと思う。

恋愛、友情、環境、生命。

それこそ青春には必ず終止符が打たれる。

どんな形の終止符かは人それぞれ違う。

私は今日1つの青春の終わりを見た。

自分の所属していた部活動(バスケットボール部)の最後の大会で負けたのだ。

俗にいう初没という初戦負けを経験した。

私はマネージャーとして、1人の人間として1つの青春の終わりを経験した。

私たちの部活は、二つ上、一つ上の先輩達が県大会ベスト4に入るほどには強かった。

重いバトンを受け取った私たちは必死に1年をかけたが、あっという間に終わりを迎えた。

弱いなりに精一杯合わせ技を打っただけでは敵わない相手がいることを知った。

私たちは私たちが弱いことを知っていた。

それに対して私はある意味強いのではないかと期待していた。
物理的な強さというより精神力の強さの話になるが。

私は何度も誰かの青春の終わりを見てきた。

先輩たちが相手を負かすたびに一つ二つと青春が終わっていった。

誰かの青春の終わりのシーンをたくさん見た。

でも、私たちの代は終わらされる側だった。
これは運命であることを知っていた。

私たちは泣いた。声が枯れるくらい泣いた。

きっと私たちはこれからも思い出すたびに心の中で何度も嘆くのだろう。

その度に終わった青春に思いを馳せる。

私たちはこれから先必ず強くなりたいと思う。
強者でありたいと願うだろう。

人間として、自分が終わらす側に立ってみたいと。終わらされる側でたまるかと思い繰り返し立ち向かうのだろう。

負けて私たちは学んだ。

弱ければ誰かに終止符の主導権を持たれることを。部活動だけではなく、恋愛や環境、気づいたら命でさえ終わらされてしまうかもしれない。

敗北を経験した人間の大半は自分は無力だと思い込んでしまう。

部活動ひとつをとってもこんな考えになってしまうのだ。

これからのいくつもの困難は私たちに多大なダメージを与える。

これは人間である限りの決定事項なのかもしれない。

挫折を知らない人間はいないと言うように、弱さを知らない大人はいない。

誰しも敗北を知っていて、誰しも勝利の特権を理解している。だからこそ戦う。権利を守るためには戦わなくてはならないのだ。

私たちは人間として強くなっていくのだろう。自分が終止符を打つ側になれるよう、何度も足掻くだろう。

勝利を知り、いつしか、なぜ自分が誰かに終止符を打っているのかを分からなくなる日もくるだろう。

それでも私たちはだんだんと強くなり、名誉に縋り、いつか自分が朽ち果てるまで人、生物、あるいは物にさえ終止符を打ち続けるのだ。

弱い人間も強くなれる。打った終止符よりも打たれた終止符の方がきっと覚えているものだ。

そして人は最期には終止符を打つ側になっていく。
きっと私もだ。

ただ、私は私が打った終止符をできるだけ溢れ落ちないように、少しずつ貯金をするように心の中に溜めていたい。

私は、誰かに打った終止符を忘れないような人間になりたい。


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要約•挿絵あり
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