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【note創作大賞2024恋愛小説部門】君は僕のアンドロメダ⑤

[第2節]
僕は出来損ないだった。

物心がついた時にはすでにできた兄と比べられて育った。

成功しか知らない親と優秀な兄。

僕は平凡すぎた。

他の子より秀でたものなんて持ち合わせていなかった。

僕は優秀な一家には必要のない存在だった。

「あなたなんて産まなきゃよかった。」

母親に何度頬をぶたれただろう。

父も兄も母を止めることなく見守るだけだった。

僕が家族に自分から口を開くことは許されなかった。

大好きな母にごめんなさいを言うこともできなかった。

僕の心は壊れたラジオのように雑音を流し続けていた。

生きていることは作業になっていった。


あの絵に出会うまでは。


小学校に入学してから二回目の春を迎えようとした頃のこと。

父が僕を黙って車に乗せた。

表情筋ひとつ動かさずに一時間ほど車を走らせた。

父は額に汗をびっしょりとかいていた。

父がブレーキを踏み車がゆっくりと停車する。

山の中心に近い部分に到着したことはなんとなくわかった。

そら、今から言うことをよく聞け」

父は僕のことなんて見ずにまっすぐ前を見つめていた。

僕は小さく頷く。

「今日、母さんにお前を山の中へ捨てて来いと言われた。」 

全身に寒気が走り体が震えた。

「だからここまで車を走らせた。ここで宙を下ろしたら多分死ぬ。」

父の声は少し震えていた。

額の汗は先程よりも酷くなっていて流れ落ちた水滴はTシャツを濡らしていた。

「俺は……。母さんに逆らうことはできない。」

僕は息をのんだ。

今日、僕は死ぬのだ。

父は躊躇いながら口を開いた。

「でも俺はお前を見捨てることなんてもっとできない。」

今年に入って父と初めて目が合った。

父の濁った眼からは今にも水滴が零れ落ちそうだった。

「だから俺がここで死のうと思う。」

「それは違う!」

僕は無意識のうちに言葉を発した。

両手で口を押えて頭を下げた。

ぶたれると反射で思ったからだ。


「宙、顔を上げろ。俺は母さんみたいにお前を殴ったりしない。」

僕は静かに手を下ろして目線を父に戻した。

「今までも俺が助けてやらなかったから…。ごめんな」

大きくて暖かい父の手は僕の頭をゆっくりと撫でた。

しばらく慟哭した。

「俺はここに警察を呼ぶ。俺はこの愛車と木にぶつかって死ぬ。覚悟はできてる。」

僕はできる限り大きく首を振った。

「警察が来たら今まで母さんにされたこと全部話したらいい。そうしたら保護してくれるから。」

僕が泣きやまないのを見て父は困ったように笑った。

「いいか、宙。これからは守ってくれる大人と生きていくんだ。俺なんかが父親になっちまってごめんな。」

僕は首を振り続けた。

「宙、じゃあ車から降りろ。お前の父さんの最期はお前しか見れないんだぞ。」

僕は頑なに降りようとしなかった。

「俺も母さんに殺されるよりはましなんだ。最期くらいはお前と二人がいいって思ったんだ。」

父は頭をポリポリと掻いた後に真剣に僕を見つめた。

「宙、降りろ。」

僕はしばらく降りるのを渋った。

父は苦しそうに言葉を放った。

「頼む、最期くらいいい子の宙を見せてくれ。」

この言葉が父の最期の言葉になった。

父が電話する様子をガラス越しに見た。

スマホを鞄にしまった父がちらりとこちらを見てにこりと笑った。

僕も涙でぐちょぐちょになった顔で少しだけ笑って見せた。

父が深呼吸をするのを見て合わせて僕も深呼吸した。

父が何かを僕に呟いた。

僕は首を傾げた。

次の瞬間。

車は方向を変えた。

僕の方に。

どんどん加速してくる。

10メートル。

5メートル。

3メートル。

1メートル。

50センチ。

10センチ。

0センチ。

僕の体は空中を舞っていた。

体が地面に叩きつけられた衝撃を感じた。

感じたことのない痛みがびりびりと押し寄せた。

車が木へぶつかった音がした。


体が全く動かなかった。

仰向けになった僕の目は夜空を捉えた。

こんなにも何も考えずに空を見上げたことがあっただろうか。

満天の星空は僕のことをまっすぐに照らしていた。

世界がきらきら輝いていた。

僕は星になり損ねたかもしれない。

ひとつの流れ星が空を駆けていった。

「今日のことを永遠に忘れられますように」

そう願って静かに目を閉じた。


サイレンの鳴る音が聴こえる。


目を覚ますと知らない天井があった。

医者らしき人物が入ってきて父が亡くなったことと父の遺志で施設で保護されるということだけが説明された。

「まだ頭が混乱していると思いますのでゆっくり休んでくださいね。」

医者は頭を下げて部屋を退出した。


父が亡くなった。

父はどうしてあの時僕を轢いた?

僕が警察に母をかばって嘘を話すことがわかっていたから?

意識の遠い場所で聞こえたサイレンは確実に救急車だった。

警察を呼ぶのも最初から嘘だった?

あの電話では何を話していた?

母が僕を殺せと言ったのは本当なのか?

あの日、僕はいつから父に騙されていたんだ?


頭がズキンと痛くなったので一度考えるのをやめた。

流れ星の願いが叶うことはなかった。

「このまま助からずに死ねますように」

どうせならそう願えばよかった。


周りに入院しているのは老人ばかりで僕は完全に浮いていた。

心に整理がつかないまま退院日を迎えた

これからは施設生活。

あれから出会っていない母と兄。

体は治っても心はおかしくなっていた。

あの日の星がきれいだと思い出すほどに。



施設にいるのは親戚が引き取るまでの間。

施設に着くと優しそうなお兄さんが迎え入れてくれた。

鳴海なるみ宙くんかな?」

首を縦に二回振る。

僕に目線を合わせるためにしゃがんだお兄さん。

お兄さんは美しい目をしていた。

薄い茶色が日光を受け入れてキラキラ輝いていた。   

「俺はゆう。本当はもう一人いるんだけど忙しいみたいで俺一人のことが多いかな。とりあえず荷物もらおうかな?」

「あ、あ、ありがとうございます」

病院でマシになったとはいえ人とまだうまく話せない。

悠さんはニコッと笑って僕の膝に乗っていた荷物をひょいと持った。

「車いす、いつまでくらいなの?」

「んーっと、来月…から松葉杖……できるようになります」

右手で折れた左腕を触りながら答える。

「そっかそっか。困ったことがあったらすぐに言ってね。」

悠さんの笑顔はあたたかくて初めて人と話すことが心地よく感じた。

「あ!悠にいちゃん!!!」

「りっちゃん、新しい子だよ。」

僕は小さく礼をした。

「私、莉鈴りずだよ。りっちゃんって呼んでね、よろしく。」

「え、えっと、鳴海...…」

「なるみ…?なるちゃんね!よろしく!」

「あ、えっと、えっと、うん、よろしく」

悠さんはくすくす笑って僕に行こうかと声をかけて車いすを押した。


りっちゃんに手を振り返して部屋に入る。

「りっちゃん、宙くんのこと女の子って思っちゃったみたいだね。」

悠さんは笑って書類を取り出す。

「でも悪い子じゃないから仲良くしてあげてね。それに宙くんと同じ”なかま”だし。」

なかまという言葉が強く鼓膜に響いた。

「まぁそんなわけだけど書類とかに名前かけるかな?」

「え、あ、はい」

数か月前まで出来損ないと言われていたことをふと思い出してふらっとした。

悠さんはその様子を察してすぐに言葉を出す。

「ごめんね。ここには字が読めない子もいるから、ね。」

「あ、えと、大丈夫、です」

悠さんはまた優しく笑顔を浮かべて僕の手のひらにペンをのせた。

僕はそれをしっかり握って自分の名前と今日の日付を書いた。

2013年7月7日。

「今日そういえば七夕だね。短冊余ってるし願い事かいたらいいよ。」

「…願い事」

「好きなこと書きなよ、俺しか見ないだろうし。」

ペンは思ったよりもすぐに進んだ。

単純でまっすぐな願いだった。

『幸せになれますように』

悠さんのあたたかさに浮かされ平和ボケした願いを書いた。

書き終わった後に急に恥ずかしくなってペンで塗りつぶしてしまおうかと思った。

悠さんは何も言わずに俺の頭をポンポンと優しく叩いた。

父に頭をなでられたときの何倍もの安心感と充実感が全身に溢れた。

そのあと、悠さんの腕の中で一時間ほど泣いた。

悠さんは何も聞かずに背中をさすって僕が泣きやむのを待った。

僕がある程度泣きやんだ時、悠さんはゆっくり口を動かした。

「ごはん食べたら元気たくさんでるからね。俺の前では我慢しなくていいよ。」

「あ、ありがとっ、ございますっ」

しゃっくりと泣いて枯れた声が部屋に響いた。

「顔洗ってみんなと一緒にごはん食べようか」

「っはい」


共同トイレの顔を洗う。

鏡を見ると目がほんのり赤くなっていた。

泣いていたことが周りの子達にばれたらどうしようと思って必死に洗った。

「大丈夫、誰も馬鹿になんかしないよ」

悠さんが後ろから優しく声をかける。

「いけそう?」

悠さんの問いかけに僕はゆっくり頷いた。


ごはんを食べる部屋には長机がひとつあってそこに料理が取り分けられて並んでいた。

「みんな聞いてね、今日から新しい子が来たよ~」

ふたつくくりの女の子が立ち上がる。

「なるちゃんだ!」

悠さんは困り笑いをしながら僕の顔を見た。

僕が頷くと悠さんは続けた。

「そう、なるちゃん。みんな仲良くしてあげてね。」

「「「はーい」」」

そこには想像よりも少ない人数の子供がいた。

自分を合わせて男の子が3人。女の子が4人。

りっちゃんと呼ばれる子だけは他の子に話しかけていた。

それ以外の子達は悠さん以外と話そうともしなかった。

少しだけ家に戻ったような気分だった。


人と食べるごはんは美味しかった。

家族とご飯を食べたことは数えるほどしかない。

人に味噌汁をかけられることもない。

何も考えずに食事ができることの幸せを知った。


食事が早い子も遅い子も全員が食べ終わるまで待つのがルールだった。

無言でもお互いへの信頼や愛がそこにあることが分かった。

最後の一口を女の子が飲み込んだことを確認して悠さんが合図をする。

「みんな手を合わせて~。せーの」

「「「ごちそうさまでした」」」


そのままみんなは部屋から退出していき僕と悠さんだけになった。

「宙くん、今夜眠れそう?」

「……いや」

「じゃあ星空でも見る?せっかくの七夕だし」

「えっと……はい」

星空を見るのはあの事故の日以来。

脳がひんやり汗をかいたように感じた。


施設の屋上のカギを開けて悠さんは秘密だからね?と笑った。

星がよく見えた。

「あれがアルタイル、そっちがベガ。」

「あるたいる……べが...」

「そう、アルタイルが彦星様でベガが織り姫様。」

「……星、すきです」

「俺も好きだからわかるよ、星ってワクワクするよね」

悠さんは僕の方に首を向けて言う。

「宙くん、天文学者になるとかどう?」

「えっ...…?」

「ずっと星のこと考えられるし、夢があったほうがたのしいよ」

「…将来とか、えっと、なんも考えてなくて」

「俺は宙くんの将来楽しみにしてるよ」

悠さんは優しく微笑んで小さくつぶやいた。

「俺、実は天文学者になりたかったんだ」

「えっと…そうなんですか」

「でも無理だった。だから七夕に出会った宙くんに叶えてもらいたいなぁなんて贅沢なこと思っちゃったわけ。」

「えと、えーっと、頑張ります」

「へっ?いいの?」

「は、はい、期待されるのはじめてなんで……」

「やった。将来楽しみにしとくね。」

僕はコクっと頷いて空を見上げる。

そのまま悠さんは宇宙や星座の話を僕が眠たくなるまで続けてくれた。

僕がうとうとすると部屋まで送って布団をかけてくれた。

悠さんはどうして天文学者になれなかったのかは聞けなかった。

そして僕は深い眠りについた。


翌朝、日の光が顔を照らし目が覚めた。

朝の食事を終えると自由時間が始まって悠さんは僕を呼んだ。

「宙くん髪の毛、邪魔じゃない?」

「ちょっとだけ…?」

しばらく髪の毛を切る機会がなかった僕の髪は肩ほどまでに伸びていた。

「んー、散髪屋行こうか?」

「ねぇ!」

悠さんとの会話を割り込んできたのは予想通り。

「りっちゃん髪の毛切れるよ!」

悠さんは困った顔で聞き返した。

「りっちゃん、本当?」

悠さんが取り出してきたはさみをりっちゃんが奪った。

その時だった。

僕の右腕がバサッと切れてしまった。

赤い血がぼたぼたと垂れる。

ジーンと傷が痛み心臓はドクドクと強く鼓動した。

りっちゃんと悠さんは固まった。

「えっと、えと、僕は大丈夫だから」

りっちゃんの目からは大粒の涙がこぼれた。

「なるちゃん、ごめんなさい」

「う、う、ううん、気にしないで?」

悠さんは黙って救急箱を持ってきて傷の手当てを始めた。

後で泣き叫ぶ女の子には見向きもせず無言で手当てを続けた。

「ゆ、悠さん。ありがとうございます。」

悠さんは顔を上げてへらっと笑って見せた。

りっちゃんは何度も僕に謝って殴らないでと叫んだ。

あぁ、この子も僕と一緒なんだと感じた。

「大丈夫だよ、笑って?」

詰まらずに言葉を発せたのはいつぶりだろうか。

「許してくれるの?」

コクリと頷いた。

「でも、ちゃんと”罪は償う”。」

りっちゃんは大人から借りてきた言葉を放った。

「うん、わかった」

僕はただ返事をした。

はずだった。


変化が起きたのは翌日だった。

りっちゃんの腕に大量の切り傷があった。

悠さんは青ざめて誰かに電話をかけていた。

りっちゃんは動揺している僕に言った。

「毎日、償うから。なるちゃんの痛み刻むから。」

言葉が喉に詰まってでこなかった。

「あれ、足りない?りっちゃん悪い子だった?」

また大きな瞳から涙が零れそうになる。

「い、い、いや。りっちゃんは偉い子だよ」

「ほんと?うれしい!」

眩しすぎる笑顔だった。

「う、うん。優しいんだね」

「なるちゃんも優しいね」


あの日からりっちゃんの腕に傷が増えていくばかりだった。

悠さんがいくらりっちゃんに説得しても状況が変わることはなかった。

僕はりっちゃんを毎日褒めることしかできなくて到底ストップをかけるなんてことはできそうになかった。

りっちゃんは完全に僕に依存していた。

僕も悠さんやりっちゃんと話すことで精神を保つことができた。

嘘の褒め言葉でも喜んでくれるりっちゃんは単純で扱いやすかった。

そうして僕らの偽物の平和な生活が幕を開けた。



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