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 【短編物語】お弁当箱

午前5時、セットされたアラームより2分早く起きた。
手慣れた手つきでアラームを解除し、物音を立てずに階段を降りる。
4人分の朝食とお弁当はこの時間からでないと間に合わない。
外は薄暗く、キッチンの明かりだけが周囲を照らす。

来月からは作るお弁当の数が1つ減る。
大学進学する娘がこの家を去るからだ。
使い古されたお弁当箱を朝日が照らし始める頃
目に浮かんできたのは、このお弁当箱を購入したあの日だった。


「お母さん、ちょっとこの色派手すぎない?」
ピンクが目立つお花柄のお弁当箱を眺める私に対して
沙織の小さく照れた声が聞こえる。
引っ込み思案な沙織には確かに派手かな。
「可愛いのになぁ」と呟く私の声に反応したのは健斗だった。
「ねぇちゃん地味だしこれくらい明るい方がいいよ!」
屈託のない笑顔でこちらを見つめている。
沙織より2歳年下の健斗は、真反対の性格の持ち主。
「うるさい、わかったこれにする」
痛いところをズバッと突かれた娘は半ば折れるように、
そして少しワクワクした面持ちでお弁当箱を手に取った。


このお弁当箱は高校進学に際して購入した。
「お友達作って楽しくご飯食べたいな」
そんな気持ちが伝わってきた気がして、
私自身もワクワクした気持ちになったんだっけ。
これから毎日何作ろうかな、早起き頑張らなきゃ。
美味しいって喜んでもらえるかな。
楽しい毎日を送って欲しいな。


そんな気持ちとは裏腹に
彼女の高校生活は辛いことから始まった。


入学早々、女子生徒から仲間外れにされたと言われた。
彼女のクラスは所謂“陽キャ”と呼ばれる子が多かった。
沙織の性格上、すぐには溶け込めなくても
気の合う子は見つかるだろうと思っていたが、現実は甘くない。
「自分を偽って無理して仲良くするよりも、沙織らしくいればいいのよ」
ぐちゃぐちゃになる頭を何とか冷静に保ち、なんとか絞り出た言葉。
泣き疲れた沙織が眠る頃、残業帰りの旦那の前で
声を押し殺しながらひたすら泣いた。


その後は“1人“の状態が続いた。
家で口数が減っていく娘を見るのは本当に辛く、心が締め付けられる。
でも辛いのはあの子だと言い聞かせて気丈に振る舞った。


辛い1年が終わり、2年生になると転機が訪れた。
同じクラスの女の子が帰宅する方向も同じで
趣味も一緒だったことから仲良くなれたよ、と。
久しぶりに見る嬉しそうな顔に、嬉し涙が溢れた。


3年生になるとすぐに受験と向き合い始めた。
朝から晩まで勉強して、判定結果に一喜一憂して。
それだけ勉強しても第一希望には不合格で。
第二希望に受かった嬉しさと悔しさが滲む表情、
お母さんは初めて見たかもな。

頑張ったあなたが本当に誇らしいよ。
次は健斗が頑張らないといけない番ね。


気が付くとすっかり朝日は登り、頬には涙が伝っていた。
そしてリビングには寝ぼけた顔をした健斗が座っている。
顔を見られないようサッと背を向けて涙を拭うと、
「健斗、お父さんとお姉ちゃん起こしてきて」と声をかける。
「はぁい」大きなあくびをしながら階段に向かう健斗を見つめた。
ふと、次にお姉ちゃんを起こしに行くのはいつになるのかなと考えたが、
また少し寂しい気持ちに襲われる前に頭の中から掻き消した。

良いも悪いも起きる人生の中で、過去を振り返った時
少しでも良いことが多いと思ってもらいたい。
悪いことがあっても、忘れられない嫌なことがあっても
あなたの人生が良いものであるように心から願っている。
このお弁当箱を見返すたびに私は色々なことを思い出すだろう。
そしてあなたのことを想い、あなたの幸せを願うよ。


あなたの人生が、この花のように美しいものでありますように。

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