長田健吾(KENGO OSADA)
聴き方を変えた人にどんな変化がうまれたのか。 それぞれの「聴くが何をもたらしたのか?」のストリーをまとめました。
先日の記事では、聴けるようになる3つのうちの1つである『「何を大切ににしているかな~」と聴く』を紹介しました。今回2つ目の『最後まで聴ききる」をご紹介していきます 聴いてもらえなかったと感じる時は? ワークショップで「聴いてもらえなかったときは?」「言っても無駄」と感じるのはどんな時?という問で自由にお話しいただく時間をとります。 その際に、 「話を遮られて、相手が話し始めた時」 「相手の意識が、話ではない別のところに向けられた時」 「私が伝えたかった結
先日の記事では、聴くは体感で取得するものとお伝えをしました。その体感を得るきっかけになる3つのうちの1つである『「何を大切ににしているかな~」と聴く』について、今回はご紹介していきます。 本当は相手のことを思って発言しているし、行動している。 私は組織開発を企業にご提供しているのですが、企業の経営陣やマネージャーだけでなく、一般職の方々のお話を聴かせていただきます。 その経験の中で感じることは、どんな企業でお話しを聴いても 「この職場を悪い状態にしてやりたい」 「
だれかに話を聞いてもらっている時に、その人から、「聞いていあげている」と感じることはありませんか? もう一方で自分自身に目を向けてみる。 誰かの話を聞いている時に、自分自身の心のどこかに「聞いていあげている」という感覚が少しでもありませんか? 1on1が上手くいかない。 コミュニケーションが取れない。 その裏には、この「聞いてあげる」が聞き手のなかに存在しているのかもしれません。自分が聞かれている時にも。そして、聞いている時にも。 では、その聞くとは何か。聴くとの違
<ただいま> 小さいころ、仕事から帰宅した父親が言う「ただいま」が嫌いだった。 活力なく疲れだけの「ただいま」だった。 笑顔で温かく私といる父とは別人だと小さい頃の私は感じていた。 そして、父を全く別物にしてしまう大人の社会や父が毎日通っている会社というものが怖いという感覚を知らず知らずに得ていたのだろう。 それから約30年後。私も父親になっていた。 企業勤めをしていた仕事帰りのある日のこと。 玄関で言った私の「ただいま」が父親にほんとうにそっくりだったことに気づく。 子