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思考もキャリアも人間臭い男性に、あえて話を聞いてみた。

いまを生きる20代のためのWebマガジン風コンテンツ”orto”。第3弾は、現在トレンダーズ株式会社にて動画マーケティング戦略室室長を務める傍ら、個人で動画編集の仕事をしている長谷川颯也(はせがわりゅうや)さん。

大学在学中、東日本大震災を機にインターネット番組の企画編集やフリーランスで映像制作を手掛けることになったという彼の生い立ちや今後のビジョンについて、詳しく話を伺いました。

ーー普段どおり、「りゅうや君」と呼ばせていただきます。よろしくお願いします。

りゅうや君:そう呼んでくるの淺野さんだけですけどね。他の人からは「はせ」って呼ばれてますが。よろしくお願いします。

ーー最初にりゅうや君と会ったのは去年の「どちゃくそついったらー会」でしたよね。

りゅうや君:そうみたいなんですが、僕は淺野さんのことを全く覚えてないんですよ。

ーーたしかに、初対面の方々が数十人集まっている中で軽く挨拶をした程度しかコミュニケーションしませんでしたからね。その後に、あるセミナーでたまたま居合わせてようやくお互いにはっきりと認識しましたよね。

りゅうや君:そんなこともありました。

ーーでも、正直まだりゅうや君のことをあまり知らなくて、今日はいろいろと教えていただきたいです。さっそくなんですけど、生い立ちからいろいろ教えて欲しいんですよね。

りゅうや君:生まれは新潟で、父親の仕事の関係で仙台に行きました。仙台って地方だけど意外と良い街なんですよ。住みやすいし。

ーー幼少期ってどのように過ごしてましたか?

りゅうや君:自分で言うのもおこがましいですが、小さい頃は超おりこうでしたね。学級委員もやっていたので、”できるキャラ”でした。得意科目は社会で、その中でも特に歴史が好きでしたね。

ーー僕は逆に歴史が一番苦手で、何百時間勉強しても全く頭に入ってこなくてトラウマになりました。ちなみに、なぜ歴史が好きに?

りゅうや君:歴史に限らずなんでもそうなんですけど、小ネタを覚えるのが好きなんですよ。小さい頃からうんちくを語りがちなんです。歴史って特に小ネタの宝庫じゃないですか。それで、うんちくを語れるようになるために歴史の勉強は頑張ってました。

ーー勉強以外にはどのようなことを?

りゅうや君:小3から高3まではバスケをやってました。チームで身長が一番高いという理由でゴール下で接触の多いセンターというポジションを任されてたんですけど、どれだけ筋トレしても筋肉がつかないのが悩みでしたね。スタメンでしたが、どうしても当たり負けてしまい思い通りにプレーができないので、周りから愚痴を言われる日々が続きました。もちろん僕としては真剣にやってたんですけど。ちなみに、その時の経験が今の人格形成に多少なりとも影響を与えているかもしれません。

ーー詳しく教えてもらえますか?

りゅうや君:昔からそうなんですけど、周りからどう思われるのかを気にしがちなんですよね。これはバスケをやっていた時も、うんちくを身に着けたいと思っていた時も同じことが言えると思います。どちらも「周りからこんな風に思われているのだろう」とか「こうすればこういう反応が来るだろう」とか「こういう風に思われたい」とか、常に周りからどう思われるか、思われているのかを考えていたと思います。

ーーでも、そういうことがプラスに働くこともありますよね。

りゅうや君:そうですね。やっぱり周りから良く思われるに越したことないので、高校は地元で一番頭の良い男子校に進学しました。厳格なタイプだった父の影響もありますけど。

ーー進学校に入学できたら、そこからは華やかな高校生活が待ってそうですね。

りゅうや君:ところがそうではないんですよ。それまで自分は周囲よりも優れていると思っていたのに、頭の良い高校に入ったら入ったで、自分よりも優秀な人なんて腐るほど居るんだと知りました。それで、周囲の期待に応えるだけでは到達できないところがあるんだと気づき始めました。

ーー特に印象に残っているエピソードはありますか?

りゅうや君:中学まではトップクラスの成績だったけど、高校に入った途端に180位〜200位をウロウロするようになってしまったんですよね。そしてそれよりも衝撃だったのが、成績トップ5の生徒の中には勉強をせずにずっとギターを弾いてるような奴も居たんです。そういう変な生徒の巣窟だったんですよね。それで、真面目にやってるのがバカバカしくなってきてしまったんです。その頃から、真面目にやるんじゃなくて「人の記憶に残ること」をした方がいいんじゃないか、ということを徐々に思い始めました。

ーー僕も高校進学時に似たような経験をしているのでとても分かります。それまで自分が浸っていた優越感のようなものを「無」にされる感覚は今でも覚えているし、やはりそこから勉強するモチベーションはなくなりました。

りゅうや君:まさにそんな感じです。勉強する気がますます失せてしまって。でも、やっぱりせっかく高校を卒業するなら良い大学に行っておきたいと思って、理想だけは高く掲げてました。ただ、結局大学受験もうまくいかなくて二浪して、最終的には仙台の大学に進学することにしました。本当はコツコツやらないといけないタイプの人間だったのに、自分を過信してたんですよね。

※炎が揺らめく無駄にオシャレなお店を選んでしまった図

ーー大学では何を勉強してたんですか?

りゅうや君:文化人類学ですね。これがなかなかおもしろい学問で、結局は「みんな違ってみんな良い」という結論しか出てこないんですよ。それをひたすら学問する。このゆるさが好きでしたね。

ーーその中でも、どのようなテーマを研究してましたか?

りゅうや君:僕の場合は「美人はなぜ3日で飽きるのか」を研究してました。もっと真面目なテーマも持っていったんですけど、担当の教授に端に殴り書いたやつを面白がられちゃって(笑)
ただ、これに関しても「そもそも美人とは?」の定義から始まって、その過程で結構な文献に当たるんですけど、結論「みんな違ってみんな良い」に繋がってしまうんですよね。とにかくゆるかったです。こんな風に言っているとマジで文化人類学やってる人に怒られそうだけど、しょうもないテーマでも広く深く、真剣に、自分の頭で考えないと何も始まらない。これは仕事にも言えることですよね。「自分の頭で考えようよ」って。だから、学問自体はゆるかったけど、そこで身につけた考え方は今の仕事への姿勢に結びついてると思います。

ーー文化人類学を専攻したのは、将来それに関わる仕事がしたかったからでしょうか。

りゅうや君:大学進学時は将来のことはまだよく考えられてなかったです。行きたかった大学にも行けなかったですし。ただ、母親がそのクール全てのテレビドラマを見るほどのフリークで、その影響からテレビ局で働くことに興味を持った時期はあります。それで、高校〜大学時代はヒットコンテンツの仕組みについてたくさんインプットしてました。でも就活を意識し始めたころから「二浪したしよくわからん大学に入ったし、テレビ局なんて入れなくね?」って思うようになってしまったんですよね。それで将来どうしようかって考えて情報収集していた時に、テレビの時代は終わりつつあることを知ったんです。そのタイミングからですね。「テレビじゃなくてネットでいいんじゃないか?」って考えるようになったのは。

ーーそう考えるようになってからは、なにか新しい取り組みは始めましたか?

りゅうや君:たまたまなんですけど、その頃に東日本大震災が発生したんです。でもテレビが報道するのは僕たち被災者にとって必要のない情報ばかりでした。ただ、ネットではリアルタイムに必要な情報を手に入れることができたんですよね。これでますますネットの魅力に取り憑かれました。

ーー東日本大震災の時、たしかにTwitterをはじめとしたSNSによって、テレビでは放映されないような情報が飛び交っていた記憶があります。

りゅうや君:で、知り合いの男性が活動するNPOで被災地支援のためのネット番組を始めることになって、手伝い始めました。誇れる学歴もないし、手に職をつけようって焦燥感も手伝って、次第に動画編集の仕事を覚えていきました。

ーー震災がきっかけで動画の世界に入ったんですね。その時に、なにか工夫していたことはありますか?

りゅうや君:自分が被災しているからこそ「真面目なことばっか配信してもつまんないよね」ということに気づきました。インフラが戻ってからは「情報を正しく伝える」ニーズが減っていったので、今でいうYouTuberのように「好きな街をより面白く伝える」ことにシフトしていきました。あとは、動画制作を通して自分の価値観も徐々に分かってきましたね。

ーー価値観とは?

りゅうや君:動画の企画も制作もおもしろかったんですけど、自分自身が出演したり、注目されたりするのは好きではないんだなと。自分が目立つんじゃなくて、生み出したコンテンツに視線が集まっていると安心するというか(笑)
その中で自分が意図してつくった瞬間に受け手の喜怒哀楽を引き出せたときはすごく嬉しいですね。そして、徐々に動画を作る楽しさも増してしまって大学5年生になります。

ーー二浪からの留年。失礼ですが、これだけでもコンテンツとしては十分な気がします。

りゅうや君:まぁ、そんな状況だったので親からも半分見放されましたよね。それで実家を出てシェアハウスに住むようになって、その家賃を捻出するためにフリーで動画制作を請け負ってました。その後、ここでは言えないんですがちょっとしたハプニングが起きてシェアハウスを出ることになって、何も考えずに上京することにしたんですが、たまたまSNSでトレンダーズの採用情報が目に留まったんですよね。それで本当にたまたまトレンダーズを受けて、たまたま採用されました。

ーートレンダーズに入社後はどのような仕事を?

りゅうや君:サービスの開発ですね。商品開発をしてます。最近のトレンダーズのサービスリリースのほとんどに関わっていて、売り方まで考えているので営業同行することもあります。

ーー今後のキャリアについては考えていますか?

りゅうや君:将来については、正直なところ半歩先の未来が明るければそれで良いと思ってます。それ以降の未来の話は考えてないですね。「わからない」を不安に思ったり、恐れていたりすると、ネガティブになって次の一手が遅くなる気がしていて。だから、とりあえず今は目の前の事業を成功させたいというモチベが高いです。普段から「これがあったらおもしろいんじゃね?」という好奇心と妄想を繰り返すことが好きなので、まずは自分が打席に立ってそのアイデアを形にするために行動しています。打席に立たない人よりは打席に立ったほうが出世もしやすいですし。

ーー好奇心というか妄想力というか、その原動力はどこから来るんでしょうか。

りゅうや君:最終的に、やっぱり自分のことが好きなんだと思うんですよ。だから自己肯定感も強い自覚があります。だからこそ、社会から自分はまだまだ認められてないなって強く感じてしまう。都度自分の動きを柔軟に変えつつも、いつか自分が認められる社会になったらいいなと思うし、変えていきたいとも思ってます。ちなみにこんなこと言うのも変かもしれませんが、人間は働いてない姿が一番美しいと思うんですよ。だから何をしてるときが一番楽しいかって、やっぱり女の子と遊んでる時とか、お酒飲んでる時とか、寝てる時とか、あとTwitterやってる時とかですね。

ーー確かに女の子のこと好きそう。

りゅうや君:シンプルに目の前の女の子が喜んでくれたらいいなってつい思っちゃうんですよねよね。だから、もしも自分が結婚する時は結婚式で自分が作った動画を流すのが直近の夢らしい夢です。高校の時の国語の先生が最後の授業で語った「漢は浪漫」という言葉が印象に残っていて、それが自分の人生のモットーになってるってのが背景にあるのかも。これからも「浪漫って一体なんだろう?」を追い求めながら、半歩先から願わくばその先までずっと明るい未来をやっていければいいなって思ってます。

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