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【2】怒りをたかいたかいする

この連載では、ネガティブだと言われる感情について書いている。今回の「怒り」もネガティブな感情だと考えられていると思う。
確かに、怒っていい気持ちになるひとはあんまりいないし(いい気持ちになるひともいるようだから「あんまり」と言っておく)、怒られることが好きなひともあんまりいないだろう(好きなひとも以下略)。
でもちょっと考えてみたい。怒りってネガティブなだけなんだろうか?と。

価値観をあらわにする
僕たちはいろんな対象に怒りを向ける。自分や他人だけでなく、モノや天気なんかにも怒る。「なんでこんなに暑いんだー!」とか。
そうやって怒るとき、僕たちの怒りは対象そのものに向かっているように見えるけど、実はそうではないのかもしれないと思う。
僕たちが怒るのは、自分のなかにある価値観を脅かしそうなズレが目の前に現れたときなんじゃないか。おそらく、僕たちの怒りは、そのズレに向けられている。
暑さに怒るのは、「涼しいのが心地いい」とか「この時期はこんなに暑いはずがない」といった価値観(些細だけどこれも価値観だ)から、実際の暑さがズレているからだ。
怒りが自分のなかにある価値観を脅かすようなズレによって起きるのだとすれば、怒りはそのひとの価値観をあらわにするのだと言える。怒りは僕たちがどのような価値観を持っているのかを教えてくれる。

他者の怒りも
怒りは自分の価値観を教えてくれると書いた。これは他者の怒りについても同じことが言える。
誰かが怒るとき、その怒りはそのひとの価値観を表す。マンガ『HUNTER×HUNTER』には「その人を知りたければ、その人が何に対して怒りを感じるかを知れ」という台詞が出てくるけれど、この台詞はまさにそのことを表している。

発見
自分が大事にしているものはなんだろうか、他者が大事にしているものはなんだろうか。そういうふうに考えてみると、なにか発見があるかもしれない。
自分の価値観とのズレから、自分が無意識に内面化していたものや、想像力の及んでいない事柄に気づく可能性がある。

たかいたかいする
なにかに怒るとき、その怒りは大事にしたい。自分がなにを大事にしているのかを教えてくれる感情だから。けれど、大事にするというのは、怒りを抱え込むということとは違う気がする。
怒りを抱え込まず、完全には手離さず、少しだけ距離を離して怒りの中身を見つめてみる。
赤ちゃんを頭上に持ち上げるときのように、怒りをたかいたかいしてみる。そのくらいの距離感で怒りと向き合えたらいいのかもしれない。難しいけれど。

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