見出し画像

客観的に「月曜日のたわわ」広告を分析する

こんにちは。
10110000110110001010000000001010001001110001110001です。
呼び方はみなさんにお任せします。

有料記事ですがすべて読めます。
良かったら投げ銭お願いします。

話題の「月曜日のたわわ」広告

4月4日に日本経済新聞で「月曜日のたわわ」広告が公開されてから2週間経過しましたが、未だにTwitterでは騒がれています。

広告が登場したのが4月4日の新聞のみであり、現状ではすべて終了している状態でありながら、ハフポストでの報道が問題視されていることもあり、国連も巻き込んだ表現の自由に関する問題として発展しているように感じられます。

※個人的には広告そのものよりもハフポストの報道を問題視しています

ただ、あまりにも飛躍しすぎる意見も目立つため、この件については情報を整理する必要もあるように感じられます。つまり「みなさん好き放題言いすぎているので、無駄を削ぎ落としてスッキリしよう」ということです。

客観的に分析してみよう

しかし、この広告に関しては、広告に描かれていない情報が飛び交っている印象が強く、この広告自体がどういったものなのか、あまり精査されていないように思えます。

そこで客観的な分析をしてみます。

客観的とは「自分や特定の人物の立場ではなく、物事を見たり考える」と定義されます。どの立場の人が見ても妥当であると納得できる情報を整理するべきでしょう。あらゆる意見が飛び交っては、意見がすれ違うだけでは議論にはならないので、やはり最初に整理するべきことは「お互いに共通して認識している」ことを洗い出すところから始まらないと、まともな議論など成立しません。

前提条件

しかし、いくら「客観的」に考えると言ったところで、どうしても筆者である私の考え方が含まれやすいことは留意しないといけません。それをなるべく避けるために最低限の前提条件を3点定めてみました。

  • 広告を把握できる正常な視力・色覚があること

  • 日本語を読解できること

  • 広告以外のものを判断条件に入れないこと

まずは、広告を判断する上では、最低限の視力は持っていないと話になりません。そして色覚異常を持っている方も除きます。あとは日本の新聞ですので、日本語を最低限読めることが必要でしょう。そして、あくまでも「広告」である以上は、「月曜日のたわわ」の内容には一切触れないことを条件に入れます。

誰が見てもはっきり分かること

では、日本経済新聞に掲載された「月曜日のたわわ」の広告を分析してみましょう。

青い

まずは、青いです。

見ているすべての方々が、正常な色覚を持っていれば、間違いなく青く見えるでしょう。

横向きの女性が立っている

まずは横向きで女性が立っているということです。

これはまず誰の目から見ても確かでしょう。ワイシャツ、スカート、ソックスを着用しており、カバンを肩掛けで持っています。左腕で隠れていますが、大きな胸を持っていることが推測されます。そして服装から考えると、高校生ぐらいだと考えられるでしょう。

断定はできない

しかし、あくまでも絵なので、この広告だけで判断するならば、本当は女性ではないのかもしれません。あくまでも「女性である可能性が高いと考えられる」と断定しない方が良いでしょう。自分が生まれ持った体の性別とは異なる装いをする「クロスドレッサー」である可能性も少々ながら頭に入れておくと良いでしょう。

あとは、大きな胸を持っていたとしても、彼女自身の胸である可能性ではないことも考えられるでしょう。パッドが入っているのかもしれません。

そして、パット見高校生のように思えますが、実際そうでない可能性も十分に考えられるでしょう。大方、胸の大きな女子高生であると考えられると思いますが、若干そうでない可能性も頭に入れておきましょう。

タイトルが「月曜日のたわわ」

このポスターのタイトルは「月曜日のたわわ」です。

「月曜日」とは、日曜日と火曜日の間にある1日です。
「たわわ」とは、実の重さなどで木の枝などがしなうさまです。

要は「日曜日と火曜日の間にある1日の実の重さなどで木の枝などがしなうさま」ということでしょう。

そして「ヤングマガジンにて連載中」「最新単行本その❹が4月4日(月)"本日"発売!」ということから、おそらくコミックであろうと考えられます。そして、「単行本第①〜③巻も大好評発売中」ということで、すでに3巻まで発売されていることまでは分かるでしょう。

右下には「比村奇石」と書かれていますが、これは作者と考えていいでしょう。その上には「Twitterフォロワー数100万人超!」と書かれているように、Twitterでのフォロワー数が100万人を超える人気の漫画家さんであることがわかります。

そして縦文字で「今週も、素敵な一週間になりますように」とメッセージらしきものが書かれています。

誰の目から見ても明らかなこと

ここまでが「誰が見てもはっきりと分かる要素」と言えるでしょう。「月曜日のたわわ」の広告からは、客観的な観点からハッキリと分かることは以上になるでしょう。

「どこの誰が見ても単一のイメージを持つ」ということを「客観的」の定義として考えていますが、色覚異常などを持っている人には必ず青には見えない可能性はありますし、同時に「女性でないのでは?」と考える人は一部いることは考えられるので、「客観的に分析する」というのも限度があるのは前提として踏まえると、以下の7点が考えられるでしょう。

  • (断言はできないが)女子高生である

  • (断言はできないが)胸の大きい女性である

  • ヤングマガジンで連載中の漫画である

  • 作者はTwitterフォロワー数100万人を超える比村奇石さん

  • 4月4日に最新単行本の4巻が発売される

  • 「今週も、素敵な一週間になりますように」と書かれている

  • 全体が青い

それ以上の情報については「誰が見ても同一である客観的なイメージ」と捉えることが難しいと考えられます。

そもそも「性的」なのか?

この上記の「客観的な分析」をもとにして、そして批判されている理由について触れてみます。

  • 痴漢を助長する

  • 女子高生を性暴力に晒すつもりか

  • 性的搾取を奨励している

  • 男に都合がいい女を描いている

  • 女子高生や露出度、胸の大小が問題ではない

  • 女子高生を性的アイテムにして朝から元気をもらうメッセージが受け入れられない

  • 女性蔑視のステレオタイプを固定化する

ほとんどが「性的」な意味で批判の理由として挙げられていますが、上記で示した「誰が見てもハッキリ分かる要素」として、この広告が「性的」であると断言するのは難しいでしょう。

「青い」
「(断定できないが)胸の大きい女子高生」
「ヤングマガジンで連載中」
「作者は比村奇石(Twitterフォロワー数100万人超)」
「4月4日(月)に最新4巻発売予定」

この広告から確実に確認できる情報はこの程度であることを考慮すると、この広告を非難する側の主張は、客観的に分析した要素の中に含まれていると言い難いでしょう。

また、あくまでも「広告」が批評の対象としているということで、漫画で描かれている内容を用いるのは、基本的に「買って読んだ人でないとわからないこと」ですので、広告の批評として用いるのは不適切と言えるでしょう。そして、同時に内容を読んだところで、客観的な観点で「性的」とは断言しきれないことも事実です。

逆に「性的でない」ということも断定的に決めつけることはできないため、まずは「性的」であるかどうかの結論は保留した上で議論をしないといけないでしょう。

描く人も主観、見る人も主観

主観的な要素を徹底的に取り除いて、ポスターを客観的に分析してみると、誰の目からもハッキリ見える情報というのは、ごく僅かに限られていることがわかります。

そして、「月曜日のたわわ」の広告に関する、主たる話題になっている要素については、発言者がそれぞれ感じた主観を元に語っていることであり、決して客観的な観点をベースに語っていないと考えられます。

3年前に書いた記事ですが、ここでは「主観芸術と客観芸術」について書きました。この世の中にある芸術の大半は「主観芸術」であるように、今回の「月曜日のたわわ」に関しても、内容も広告のビジュアルに関しても、比村奇石さんによる「主観」であり、この広告を目にするすべての人にとっての印象も、全ては「主観」であることには変わりありません。

つまり「作る人も主観ならば、見る人も主観に過ぎない」ということです。

グルジェフは「客観芸術」というものは、「その作品に対して作用は絶対的に一定」と定義しています。見た人が全員感じることが一定であることが「客観芸術」の定義とされています。

そう考えると「月曜日のたわわ」の広告を、あたかも「どこからどう見ても性的である」というような断定的な発言に関しては、現状、多様な意見が多く見られる状況下では、不適切と考えられるでしょう。

なぜなら「その作品に対しての作用が絶対的に一定ではない」からです。

そもそも紙であり、データでしかない

ここまで長く書いてきましたが、実際のところ、私が情報整理した「客観的な分析」というのも、本当に客観的なものとは言い切れないというのは、認めざるを得ません。

なぜなら、これはあくまでも「紙」であり「データ」であるからです。

「女子高生」がいて「月曜日のたわわ」というタイトルで「4月4日に発売」で「今週も、素敵な一週間になりますように」と書かれていても、私達が見ているのは「紙」であり「データ」でしかありません。

そこにたまたま現れているものに対して、勝手に感情を高ぶらせて、勝手に喚き叫んでいては、勝手に「規制しろ」とか「キモオタが喜ぶのが気持ち悪い」など言っているだけであって、そこで見ているものは「紙」であり「データ」であり「スマートフォンやタブレットやPCの液晶」ということであるのは、最も客観的かつ絶対的な答えであり、絶対的に一定に近い答えと言えるでしょう。

このように4000字も越えて分析をしてみて感じることですが、2週間以上も経っているにも関わらず、未だにいろいろ言われている「月曜日のたわわ」に関する様々な意見を見ていると、人は「主観」と「客観」の切り分けができていないのかと感じざるを得ません。

この広告で勘定を高ぶらせている方々は、一度冷静になって、「主観」と「客観」と分類するなど、情報を整理してみるのがいいのかもしれません。

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?