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「月曜日のたわわ」を正しく批判する人は殆どいない

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「月曜日のたわわ」炎上の諸問題

日曜日に神崎ゆきさんがTwitterで「月曜日のたわわ」の炎上の問題点をアップロードされていました。

概ね疑問に思っていたことをリストにしてくれました。ハフポストなどは「月曜日のたわわ」の広告が問題だと報道していますが、実際のところは「バッシングが問題」「不可解な炎上」と取れるものだったと言えるでしょう。

こちらの10項目に触れつつも、今回は「的確な批判」について考えたいと思います。

ニュースサイトに向けられても…

①に関しては、私もnoteに書いていますが、日本経済新聞で「月曜日のたわわ」の広告が掲載されたことを記事にしていたコミックナタリーに非難が寄せられているのは、ツッコミどころですね。

ニュースメディアが犯罪を取り上げたら、犯罪者が非難されるものですが、犯罪を取り上げたメディアに向けて言うものでしょうか?広告を掲載した「日本経済新聞」、広告を出稿した「講談社」に寄せられるなら意味はわかりますが、コミックナタリーに向けられたところで、当事者ではないナタリーの編集部が何も答えようがないでしょう。

ただ意見を伝えるのであれば、日本経済新聞や講談社へメールを送れば良いと思いますが、コミックナタリーのアカウントへ送るというのは、ただ反射的にツイートしているだけにしか見えません。

生理的嫌悪感は正当な批判?

そして、コミックナタリーに対しては「キモい」「きしょい」「気持ち悪い」など寄せられていますが、これは正当な批判になりうるのか疑問に感じます。

「批判」と「誹謗中傷」の線引は難しいところですが、そもそも「批判」というのは「良い所、悪い所をはっきり見分け、評価・判定すること」です。物事についてよく調べてよく考えた上で、その良し悪しを判断して、筋道を立てて述べることが、正しい批判であります。

今回の件では、「キモい」「きしょい」「気持ち悪い」を批判の自由として正当化している人は見られましたが、実際のところ、筋道立てた論にはなっておらず、ただ感情をぶつけて文句を言っているだけに過ぎません。これでは「誹謗中傷」ではないでしょうか?

「月曜日のたわわ」は多くの批判は寄せられたと言われていますが、個人的には、ほとんどが「難癖」「誹謗中傷」であり、批判らしい批判が見当たらないと言えます。

「批判」とは悪い表現として捉えられがちですが、実際は「特定の物事を判定したり評価したりすること」という意味を持っているため、良い意味でも使われることがあります。「批判」の目的は、本来は「良いところへ導く」ことが前提になければなりません。

批判するのに感情的である必要はない

「キモい」「きしょい」「気持ち悪い」などに対して、抵抗感を示すと、逆に「批判も表現の自由」という最反論をされるのはよく見られます。

個人的には「キモい」というのは、具体性があり、なおかつ批判対象を過度に傷つけないレベルであるなら、まだ「批判」として受け入れることはできますが、実際は具体性も論理性もなく、ただ感情をぶつけただけの「誹謗中傷」が多いのではないかと思います。

それにあまりにも圧が強い言葉を重ねることは、それはパワーワードを濫用しているだけに過ぎません。パワーワードを重ねるのではなくて、あくまでも具体性を持って、正しい答えを導くことが前提に備わっていることが大切であり、感情的になることは必要とされません。

批判には自己総括の義務が生じる

最後に触れておきたいことは「自己総括」の義務についてです。

個人的には日本の言論環境でかなり問題視していることが一つありますが、それは「自己総括」をあまり行っていないことについてです。

ウクライナ情勢に関して、過去に発言したことを無視して、意見をコロコロと変えている橋下徹や、過去に親露的な外交を行ってきた安倍晋三元首相には、過去の総括は求められるところですが、国の雰囲気としては積極的に総括を行う空気にはなっていないと感じられます。

これは、過去に何度も園子温監督の記事を書いておきながら、性加害が発覚した後に全く報道していないハフポストに対しても、きっちり自己総括をしていただきたいと私は思うところです。

「自己総括」を求められるのは、右派や左派などといった党派性は全く関係なく、言葉で表現したすべての人に義務が生じるものではないでしょうか?

積極的に「自己総括」を求められる空気にならないのは、やはり平然と「キモい」「きしょい」「気持ち悪い」とカジュアルに暴言を履き続ける人間を増長させる遠因となるでしょう。そうなると、鍛えられた技術や表現力でコンテンツを作り出しているクリエーターは、非常に多くの人に配慮を求められ、逆に口だけ言う人は何もリスクを負わないという、非常にアンフェアな状況が続き、とてもクリエーターを守れるような環境にはなりません。

カジュアルに「批判のようなもの」をしたがる人は多いですが、実際問題、それに対する疑問を寄せられるのであれば、誠実に向き合っていただきたいと私は思うものです。

⑦〜⑩の項目が特に当てはまりますが、国連が定義する「性的搾取」と異なったように言葉を使う人が出てくるならば、やはり国連が定義する内容との違いを説明するべきでしょう。ヌスバウム氏が提唱するものと異なって使っていることを指摘されるなら、それも同様に自分の口から説明をするべきでしょう。

しかし、その説明から逃げている人は多く見られるものです。その方々は、自分の言った発言に対しては、自分で責任を取れない人間なのでしょうか?自分が使った言葉に対して、意味などよく考えずに、相手を脅すような使い方で乱用しているのではと感じられます。

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