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オタク志願者

こんばんは。暑いです。

今日は、この間ふと見かけた言説についてちょっと考えてみようと思います。

「若者はオタクになりたがっている」

「オタクになる対象を見つけるために、いろんな作品を浅く広く読め、アニメは倍速で観ろ」

的な話なんですけど。

どう思いますか。

私は、前半は意外と的を射ているんじゃないかなと思います。後半は同意しかねるけど。

まず、「若者はオタクになりたがっている」って本当にそうだと思うんですよね。何というか、「何かに熱中している」と言う状態を指して、それに成りたい人は多いと思うんですよ。「俺なんて熱中出来るものないからさ」の状態を避けるために、余暇を全力で注ぎ込めるコンテンツを探している、というか。

最近だと、こうした偏愛的な趣味は市民権を得ているように感じます。テレビ番組だと、「博士ちゃん」とかそうじゃないですか。サンドウィッチマンと芦田愛菜という好感度最強コンビの番組。一点にものすごく特化した知識を持つ一般の子供を特集するような番組で、大人顔負けの知識を持った子供が、こんなに沢山、多岐にわたっているのか、と毎回驚きます。「博士ちゃん」に出る子、みんなめちゃくちゃ礼儀正しくて毎回感心しちゃいます。


「何かに熱中している姿」は、「生活が充実している」とも取れます。

今は、死ぬほど沢山ある情報の中から自分の熱中出来るものを探し出さないといけない、それくらい娯楽に溢れています。その数多の娯楽を薄く撫でるように摂取していると、熱中とはかけ離れた、「ただ緩慢に時間を浪費する」状態になってしまいます。

だから、そこを脱したくて、何かに熱中して、生活の充実を図るんじゃないでしょうか。

好きなアイドルを見つけて「推し事」する人もいれば、スポーツ観戦に熱中する人もいる。それぞれが「自分のアイデンティティ」を求めているような気もします。

最初に戻りますが、かといって、オタクになるためにアニメを倍速で観ていいのかといったらそうではないと思っています。

そもそもオタクって凝り性じゃないですか。

同じ本をしつこく何度も何度も読んだり、好きな映画の台詞を覚えたり、キャラクター辞典を読み込んで好きな食べ物を覚えたりとか、するじゃないですか。

オタクはアニメを倍速で観たりしないと思うんですよね。

オタクに凝り性が多い、と言うより、「オタク」になるには「凝り性」という素質が必要だと思っていて、誰でもなれるわけじゃないと思うんです。

そう言う意味では、「若者がオタクになろうとする」のは必ずしも得策ではないのかもしれないですね。オタクになれない人も居るわけですから。


私は今何を話していますか?

一旦落ち着きますね。

何回か別の投稿でも言ったことがありますが、今の時代においては、「何者か」になろうとする人が多いです。自分が社会の一員として馬車馬働きして経済を回すんだ!よりも、自分が自分として何かを成して、結果的に社会に貢献するんだ!の方が増えていると思います。

これからは、どう変化していくんでしょうね。

みなさんは何者になりたいですか。

それでは。

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