無駄を愛す

こんばんは。今日も今日とて、ぼんやりした私の思考を書き出していきます。

効率化ってあるじゃないですか。

効率化が好きな人は多いと思いますし、私も好きです。

例えば、文字を音声入力すると時短になる!とか、日々の無駄を無くすために習慣を極限まで増やして行動のコストを効率化する人とか。

基本的に効率化は、それによって「何かを得している」ことを指すと思っています。それは時間だったりお金だったり体力だったり色々ですが。

言い換えると、それらの無駄を嫌うことでもあります。

でも、「無駄って何となく必要そう」みたいな感じ、分かりませんか?

「効率化で時間を有効に!」と言う人もいれば、「人生は長い暇潰しなんだから、無駄を愛しなさい」みたいな指針も存在しているわけで。

どっちが良いですか?

私も色々考えてみたんですけど、今は効率化よりの考え方になっているのですが、ある程度「無駄」を重要視する必要もあると思っています。

なぜなら、これから何が起こるかなんて誰にも分からないからです。

「無駄だと思っていたものが未来につながる」と言う経験、ありませんか。

ただの趣味として聴いていた音楽、観ていたアニメ、ハマっていたゲームが思わぬ場所で思わぬ人と自分を結びつけるツールになったりします。

私には少なからずその経験があります。

そう考えると、何が無駄なのかは誰にも判断できないし、明らかに役に立つ、効率的だ、と信じて集中してきたものがある日突然そうではなくなる可能性だってあるわけです。

じゃあ効率化って何なんですかね。

効率化の先に目的があるのなら、それのみに集中しすぎるのは良くないかもしれないですね。

しかし、効率化そのものを楽しむのは、多いにありだと思っています。目的が効率化で、それによって得る快感のためならば、それは立派な趣味だと思います。

絶対に省かなければいけない無駄なんてほとんどないと思うので、自分が好きかどうかでキャパシティに応じて無駄を謳歌していきたいです。

それでは。

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