◆レビュー.《フランシス・コッポラ監督『地獄の黙示録』》
※本稿は某SNSに2019年5月27日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。
フランシス・コッポラ監督の映画『地獄の黙示録』見ました!
今回は特別完全版を見たんですが、何しろ時間が200分(3時間20分!)もある作品であることを知らずに軽い気持ちで見始めちゃったもんですから、昨日はそれだけでかなり時間喰っちゃいました……(;´Д`)
でも、ぼく的にはどのエピソードも凄く楽しくて、あっという間の3時間でした!
<あらすじ>
舞台は1960年代末、まだベトナム戦争真っただ中の南ベトナム。
諜報員としてCIAの請負仕事や暗殺など様々な諜報活動を行った過去のある空挺部隊将校ウィラード大尉は、戦場に帰りたくてサイゴンのホテルで飲んだくれ、荒れていた。そんな折、彼は突然上層部に呼び出される。
元グリンベレー隊長の超エリート士官カーツ大佐が上層部の命令に背き、カンボジアに逃れて現地の住民を従えてジャングルの中に独自の王国を築き上げているという。
上層部の将校は、ウィラードに命令する。
「いかなる方法をもってしても良い。カーツを抹殺せよ」。
ウィラードは再び狂気渦巻くベトナムの戦場に乗り込んでいく。
<感想>
見始めてすぐ、本作はあまりに分かり易い「地獄巡りの旅」だと理解した。
ダンテの『神曲』のように、主人公のウィラード大尉はベトナム戦争という名の「地獄」を、ベトナムの川をさかのぼりながら、順々に巡っていくわけだ。さしずめ、彼らが上っていく川は地獄のアケローンといったところか。
カーツの元にたどり着くまで、ウィラード大尉はいくつもの戦場に立ち寄る。そして、立ち寄る場所立ち寄る場所、全てで狂気が渦巻いている。これが戦場なのだと。
格好良いことなんて何にもない。散文的で、ドラマなど何もない。誰もが狂っているようにしか見えない。本人たちは本気であったとしても、どう見てもギャグスレスレの馬鹿馬鹿しい悲喜劇にしか見えない。どこにも英雄的な闘いなど存在していない。笑ってしまいそうなアホらしい殺戮行為が存在しているだけ。
最初の戦場描写から、この映画はとんでもない喜劇なのだと告げている。
最初の戦場まで、ウィラード大尉は第一空中騎兵師団のヘリに送られて行く。「ベトコンがビビるぞ!」と言う理由で、ヘリからはスピーカーで大音量のワーグナーを響かせながらベトコンの拠点に襲撃をかける。まったく親切なことに、敵に「いまから攻撃しますよ」とお知らせしてあげているわけだ。
ベトコンの拠点に降り立ったヘリ部隊の隊長は大のサーフィン好き。まだ銃弾や迫撃砲が飛び交っている中で、そこの波打ち際から波の状態を見て上機嫌。「おれのボードを持ってこい!」と言って、まだ戦闘中なのにサーフィンする気マンマンだ。ベトコンから狙い撃ちにあいます、という部下の制止も振り切って裸になる始末。
そのうえ、その拠点を制圧した夜、彼らはお祝いにバーベキュー・パーティーを開いて盛大なドンチャン騒ぎを繰り広げる。
――兵士たちは戦争を実感できず、ベトナムの単なる観光旅行者となってしまう。(カーツ大佐の論文より)
立ち寄る戦場で待っているものと言えば、こんなバカ騒ぎばかり。誰もがどこか、常軌を逸しているのである。
本作で描かれているベトナムの戦場での、この馬鹿馬鹿しいエピソードの数々は、本当にこんな連中がいたのかどうか、寡聞にしてぼくは知らない。あったかもしれないし、これは映画的に幾分か誇張が含まれているかもしれない。
だが、本作に描かれている戦場というものは、少なくとも監督のフランシス・コッポラ自身の「戦争観」が色濃く反映されている、ということはまず間違いないだろう。
――カーツが愛想を尽かしたのも無理はない。この戦争は能天気なお偉方がない知恵しぼって演出している道化芝居だ。勝てるわけがない。(ウィラード大尉の独白より)
ただ、そんなだらしない軍人たちの中でも、本作では唯一と言って良いほど英雄的に見える人物が存在している。カーツ大佐だ。カーツ大佐は、文字通りアメリカの英雄だった。軍人として優秀で幾つもの輝かしい戦果をあげ、将校さえ夢ではないほどのエリートだったのだ。
だが、彼は軍を裏切り、アメリカを裏切り、地獄の奥底に己の王国を作り上げてそこに引きこもった。
つまり、彼が神を裏切り、地獄の最低部に氷漬けされているルシフェルというわけだ。
ウィラードはカンボジアにいるカーツ大佐の元に行く間、上層部から渡されたカーツ大佐の経歴や情報を少しずつ読んでいく。
カーツ大佐は優秀な軍人でありながら、軍上層部に批判的であった形跡が見られた。
カーツ大佐はグリンベレー在籍の時、二重スパイが疑われる南ベトナム兵を処刑した。どう考えても疑わしく、また見逃せない証拠もあった。処刑後、部隊を悩ませていた敵からの奇襲も目に視えて減った。
だが、上層部はカーツ大佐に殺人罪の容疑をかけたのだった。
――人殺しが人殺しを非難することを何と言うのか?――欺瞞だ。(カーツ大佐の台詞より)
カーツ大佐がアメリカを裏切ったのは、人生を賭けた戦争に疲れ、忠誠を尽くしたアメリカ軍上層部に失望し、心がバラバラになってしまったからだった。
フランス退役軍人「はっ!アメリカ人は――あれは……1945年だったか……対日戦争終結のあと、ルーズベルト大統領はインドシナからフランス人を追い出そうとした。で、――ベトナムにベトコン組織を、ここに植え付けたんだ」
ウィラード大尉「……何て?」
フランス軍人「事実だ。ベトコンはアメリカが作ったんだよ」
カーツは地獄の最奥地で魔王と化した。
つまりこの作品は、ベトナム戦争という実際に起こったリアルな地獄を、『神曲』の地獄に重ね合わせて見せているのである。戦争は英雄叙事詩などではなく、「地獄」なのだと。
――これが、ここでのわれわれのやり方だった。マシンガンで撃ちまくって、バンドエイドを手渡す。――欺瞞だ。見れば見るほど、欺瞞に胸がムカついた。(ウィラード大尉の独白より)
この映画は明確に反戦映画だ。
いやと言うほど戦争の馬鹿馬鹿しさを観客に見せつける。
かつてどこの国にも存在していた「命を懸けて正義のために戦う戦争は英雄的な行為なのだ」という概念を徹底的に冷やかして、笑い飛ばしている。
戦争は「英雄的」なんてご立派なもんじゃない。
そんな事は実際の戦場に行けば、一目ですぐに分かる。
そんな簡単なことが別らないのは、戦争を知らないからだ。戦争を、体験していないからだ。
もしくは、頭のネジがトンでる奴くらい。
「正規軍上層部」の本質とは、そういう連中の集合体だという事なのだ。
――私は地獄を見た。お前(※ウィラード大尉)の見た地獄を。だが、お前には私を殺人者と呼ぶ権利などない。私を殺す権利はある――だが私を裁く権利はない。地獄を知らぬ者へ――何が必要なのかを――説いて、分からせようとしても、それは……不可能だ。地獄の恐怖には顔がある。それを友とせねばならん。恐怖と――それに怯える心を、友とせよ。さもなくば、この二つは恐るべき敵となる。真に恐るべき敵だ。(カーツ大佐の台詞より)
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