◆本日の短歌20200605
※再掲時注:2020年6月5日によそのSNSに投稿した記事である。近ごろ久々に珈琲豆を買ってきてこの遊びを楽しんでいるので、この古い文章を引っ張り出してきた。6月に書いた記事なので、現在とは季節感がズレた印象を受けるかもしれないが、そこはご愛敬。
<本日の短歌>
湯に膨らむ珈琲粉のおもしろし みじか夜の独りいまを念へば
ホイジンガなんかがどう分類するかは分からないが、ぼくにからしてみればコーヒーを淹れるのは、ちょっとした「大人の遊び」なのである。今回はぼくの遊び方をざっと簡単にご紹介しよう。
ということで先日カルディーで買ってきた「モーニングブレンド」の豆を、さっそく深夜に挽いてみることにしてみた。
何しろせっかく「モーニングブレンド」等と言う名前が付けられているのだから、深夜に淹れて制作者の意図を台無しにしてさしあげなければ、せっかくのコーヒーを豆からゴリゴリ挽く面白みがないというものだ。
豆の袋を開けたときに香る香ばしさというのは、誰もが納得する愛おしさだろうと思う。
人間の嗅覚というのはすぐ馴化する。
先日読んだデイヴィッド・J・リンデン『40人の神経科学者に脳のいちばん面白いところを聞いてみた』にも書いてあったことだが、脳というのは様々な知覚の「変化」に対しては非常に鋭敏だが、持続する刺激については感覚が鈍化する傾向にある。
嗅覚と言うは特にそうで、強烈で危険な匂いでない限りはすぐ嗅ぎなれてしまって匂いが分からなくなってしまうものだ。自分の体臭の濃さが自分ではなかなか気づきにくいのもそういう理由がある。
珈琲豆の匂いと言うのも、袋を開けた瞬間が最も華々しい。これが珈琲遊びの第一ステップだ。
それにしても、珈琲豆というのはいい。
まず、この形と大きさがが実に絶妙だ。色もいい。このマッチングが、驚異的でさえある。
まずは一粒、指先で摘まみ、指先で豆の形状を十分に楽しむ。
掌の上に何粒か乗せて楽しんでみるのも良いだろう。
一粒ずつ、コーヒーミルに装填していって楽しむのも可だ。
手の内からころころと零れ落ちる豆がコーヒーミルの臼の中に吸い込まれていき、やがて満タンになるまで溜まるプロセスというのは、何とドラマティックな事だろうか。
コーヒーミルのハンドルを回して珈琲豆を磨り潰す音は、けっこう男性的だと思う。
コーヒーミルを買って実際に回してみるまでは、もっとかろかろと軽やかな音が鳴るものだとイメージしていたが、現実はゴリゴリとかなり暴力的に豆を打ち砕いている様子が分かった。
実際にコーヒーミルを回してみた時に連想したのはプロレタリア文学の名作、葉山嘉樹『セメント樽の中の手紙』である。
まるまると可愛い珈琲豆のひとつぶひとつぶが、ぎょりぎょりと回転する鋼鉄の刃に次々と飲みこまれ、砕かれ、破壊され、悲鳴と絶叫をあげながら磨り潰されて行く様をぼくは思い浮かべる。
だが、慣れてみればこれもこれで、なかなかに趣き深い響きがあるものだと思うようになった。ゴリッ!ゴリッ!とひとつぶひとつぶの割れる手ごたえもなかなかに官能的である。
磨り潰した珈琲豆は火薬のような妖しげな粉に変身する。
こういう変化のプロセスを感じるのも、心楽しい体験とは言えないだろうか?
お次はコーヒーカップの上にドリッパーを乗せ、フィルターをセッティングする。
フィルターに珈琲豆の粉を注いだら、上から熱湯をかけることとなる。
ここでの熱湯の注ぎ方等と言ったものにはあまり詳しくはないのだが、注いだ直後にムワァ~っと粉が膨らむのを見る瞬間が、ぼくは特に好きだ。
まるでオーブンに入れたチョコレート・ムースのように膨らむ様は見ていてウットリするし、その肌目もまさしくチョコレート・ムースのようにまろやかだ。
この膨らみはすぐに萎んでしまうが、二度三度と湯をかけて生き返らせる事もできる。だが、最初の肌理の美しさには敵わない。この湯のかけ加減も、実に巧妙な駆け引きであると言えよう。
粉末に湯をかけてフィルターで濾過する様を観察していると、ぼくはいつも小学生のときの理科の実験を連想してしまう。
改めて考えてみれば珈琲を作る過程と言うのは実に科学実験的で、オトコノコ心をくすぐる要素に溢れているとは思わないだろうか?
出来うるならばあの本格的なコーヒーサイフォンをアルコール・ラムプで熱し、硝子管を通ってガラスボールの中を黒い液体が上下する様を、いつか自宅でじっくりと鑑賞してみたいものだと思う。きっと出来るコーヒーも、啓蒙主義的な苦みの心地よい味になるに違いない。
ドリッパーに数度に分けて湯を注いでいくと、最終的にフィルター上に黒い池と化していたものも、じわじわと枯れて行く様が見られる。栄枯盛衰の趣き有り。
ドリッパーから滴り落ちる黒色の雫には、ついつい見とれてしまう魅力がある。
何しろこれまで様々な紆余曲折を経たあの黒い粒の遍歴の、感動のフィナーレなのである。
さりさりと滴り落ちる黒光りする液体を見ながら、ついつい自分の今までの人生などふり返ってしまったりもする。
そして改めて顧みて、自分の現状はどうなのか等と考える。
深夜にモーニング・ブレンドを飲むなどという洒落で、ちょっとテンションが上がってしまっている独り身の短夜というのは、如何ばかりか。
近ごろは夜でも少々汗ばむほどの陽気になってきたが、深夜に淹れたモーニング・ブレンドの味は、心地よい苦味で、だが心なしか、厳しい苦さであった。
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