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◆読書日記.《中野美代子『契丹伝奇集』》

※本稿は某SNSに2022年11月14日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。

 中野美代子『契丹伝奇集』読了。

中野美代子『契丹伝奇集』(河出文庫版)

 北海道大学名誉教授であり博覧強記の中国文学者である中野美代子による小説集。

 内容は、短編「女俑」「耀変」「蜃気楼三題」「青海〈クク・ノール〉」「敦煌」の5編に掌編を4編、そして掌編としても短い1ページ物語「翩篇」4編という、いずれも幻想小説をまとめた短編集である。

 去年、河出文庫から新しく新装版の『契丹伝奇集』が出たタイミングで友人が書評を書いていたので、自分もチェックしておこうと購入したまま今まで積読状態になっていた一冊。

 学生時代から古本屋通いが趣味なのにも関わらず、うかつなことに中野美代子の存在に気付いたのはごくごく最近だったと思う。

 中野美代子の本に出合ったのは今からつい十年程前の事だったか。

 古本屋に置いてあった『奇景の図像学』という何だか気になる真っ赤な本を見かけたのである。ちょっと本格的に美術系の評論を読もうと思っていた時期に出会った一冊であった。

中野美代子『奇景の図像学』

『奇景の図像学』が一読、まったく稀有だと思ったのは、よく見かける西洋美術や日本美術に関する評論ではなく、中国をメインにアジア~ヨーロッパに至るまで広大な地域に渡る様々な美について言及されている所であった。
 特に中国美術については、陶磁器や山水画のようなよく知られた美術ではなく、それは人体内部の情景を描いた内景図であったり、奇岩「太湖石」であったり、中国風パゴダ(仏塔)であったり、鞦韆(ブランコ)を描いた中国の宮廷春画であったりと、全くの未知の領域ばかりであり、その情報の幅広さ、稀少さに幻惑されたものだった。

 そういった一般にまだ広くは知られていないあらゆる知識を紹介し、考察し、解明してくれるという点で中野美代子は、確かに本書の解説で高山宏が「古今東西の正史秘史に通じ、ポスト澁澤龍彦の一番手と目されている中国文化史家」と言っているように、澁澤龍彦的なエンサイクロペディストとしての能力を備えた学者なのであろう。

 となるとかの澁澤龍彦がその該博な知識から『ねむり姫』や『高丘親王航海記』といった幻惑の世界を描いたように、中野美代子が中国~アジア圏の知識でもって描いた中華幻想ともなれば期待せずにはいられない。

◆◆◆

 あれから古本屋に寄るごとに中野美代子の著書を探す事はあるのだが、何故か未だにその著書は2~3冊しか持っておらず、恐らく本書『契丹伝奇集』で4冊目くらいなものである。

 あれだけ『奇景の図像学』が気に入っていながらも、その後著者の本を読む機会もなく、中国文化に詳しいわけでもない自分が果たして『契丹伝奇集』を読んだ所で、その書いてある事の意味が分かるのかどうか、その世界に入って楽しむだけの知的レベルに達しているのかどうか、もう少々中野美代子の著作に親しんでから読んだほうが、より楽しめるのではないだろうか……等という迷いもあったが、以前から気になっている本ではあったのでとりあえず今回読んでみたわけである。

 読んでみた感じ、『奇景の図像学』で魅惑された通りの世界観が展開されているという印象があった。
 そこは自分の知らない物珍しいアジア文化の様々な意匠を凝らした、エキゾチシズム溢れる広大な物語世界が展開していた。

 本書の跋に、著者の執筆手順が説明されている。

「いつの頃だったか、十数年は昔になるだろうが、「塔里木秘境考」というヘンな題で長大な小説を書いてやれ、と思ったことがあった。どうしてこんあ題を思いついたのかは、思いだせない。ともかくも、まず題が頭に浮かぶというのが、あらゆるジャンルを通しての私の執筆手順なのだが、この「塔里木秘境考」も、題の意味すら自分でもろくろく判じ得ぬまま放置して久しい」

中野美代子『契丹伝奇集』跋より

 これを見た感じでは、中野美代子の小説の発想法はある種のテーマやカッチリした意図が設定されてから執筆されるものではないようだ。

 無意識に擦り込まれたタイトルのイメージから発想し、著者の持つ膨大なストックの知識のブロックを用いて物語をくみ上げているようである。
 つまり、創作に関しては、思ったよりも感覚的なのかもしれない。

 その発想の元にあるものは、やはり著者の感覚にも馴染んだ得意分野である中国~アジア圏の思考であり文化的感覚であり想像力であったのではないかとも思うのである。

 例えば本書の一編「耀変」にある発想は、良く知られるタイプの異界訪問譚のヴァリエーションであり、そこには中国のフィクションに良く見られる、入り口は狭い「隘路」になっており、その先にひろびろとした空間の広がる「入り易く、出にくい地形」としての「異界」というものであったと言えるだろう。

 この入口が「隘路」になっており、「入り易く、出にくい地形」としての「異界」という舞台設定は「青海」のル・ツァン国にも当てはまる空間構造であった。
 因みにこの「青海」に出てくる「隘路」の途上に、主人公と色っぽい関係を交わす女性が待ち受けており、その先に広がる空間が、女王が支配する「女性の空間」になっているという発想は、恐らく中野美代子も『奇景の図像学』の中で指摘している「子宮を含む女性性器のアナロジー」と見て間違いないだろう。
(因みにこの「隘路に続く隔絶された異空間」という空間構造が「子宮を含む女性性器のアナロジー」になっているという発想は、酒見賢一の中華ファンタジー小説『後宮小説』の作中にも「後宮哲学」という形で出てくるものである。やはりこれは中国に特有の考え方なのかもしれない)

 この「異界」の地形構造は、中野美代子の著作『ひょうたん漫遊記』によって中国人の空間デザインの思考様式として考察がされているし、『奇景の図像学』の中にも「天の井戸と地の井戸…境界としての幻想空間」「桃源郷をめぐる風水…堅坑と井戸と「天井」」にて説明されている。

 それは「子宮を含む女性性器のアナロジー」というだけでなく、ひょうたんのような構造であり、『西遊記』の水晶宮であり、『聊斎志異』の「査牙山洞」に出てくる「井戸の先に広がる世界」であり、桃源郷または山中他界と同じような構造を持つ、中国の物語には頻繁に洗われる空間構造であった。

 短編「耀変」で面白いのは、主人公が迷い込む建陽の隔絶された村落は「空間的な異界」というだけでなく、日本の民話「浦島子(浦島太郎)」等にも見られる「時間の混乱」をももたらすものだという事である。

 入り口が隘路になっているこの建陽の隔絶された空間は、著者が『奇景の図像学』の中の一文「桃源郷をめぐる風水」でも指摘しているように「時間を変換させる機能がひそんでいる」のである。これは中国の物語にもよく出てくる洞窟や石室の構造でもある(このような石室内の時間の混乱というものは掌編四話の内の一編「屍体幻想」にも見られるモチーフである)。
 それは「浦島子」のように、世間一般との時間の流れの差という「混乱」だけではなく、現代日本の人物と南宋時代の中国の人物とがオーバーラップするといったような「時間の混乱」も見られるのが興味深い点であろう。

 この「時間の混乱」は「耀変」とはまた別な形で――それも非常に奇妙な形で――冒頭の短編「女俑」にも出てくる。
 この短編の舞台は漢王朝の時代のはずなのに、まず登場人物がベンツに乗って登場し、リンカーンコンチネンタルを乗り回し、ピストルによって暗殺が行われるという「時間の混乱」が見られるのである。
 作中、主人公の侍女が使える主人が勤めるのは「漢帝国」だという記述が出てくるし、漢の武帝時代の政治家・東方朔まで登場してくるのだから奇妙な事だ。

 このように緩やかに前後の時間が混ざって混乱を来し、短編「蜃気楼三題」のように幻想的に別空間が混入してくる混乱も来す所が、どことなくアジア的な雄大さを感じさせないだろうか。

◆◆◆

 短編「耀変」には武帝時代の政治家・東方朔が登場すると言ったが、それ以外にも本書には「蜃気楼三題」の第一話に古代チベットの王ソンツェン・ガンポが登場し、掌編四話の内一話「海獣人」にも中国南宋の官僚・著述家であった趙汝かつ(舌にしんにょう)が登場する。

 ぼくはアジア史には左程詳しくないので分からないが、恐らくそれ以外にも実在した歴史上の人物や中国史上の有名な出来事等が絡んでいるのだろうと思わせられる。

 このように本書のそれぞれの短編には広大なアジア圏を睥睨するエキゾチシズムに溢れていて、そういった所も他の幻想譚とは一線を画す所とも言えるだろう。

 また、これまで見てきたように、それぞれの短編には著者の研究分野の中から暗に陽に様々な知識が組み込まれており、そういった意味を発掘してくるのも、本書の楽しみの一つになるだろう。

 ぼくもこれから未読の中野美代子の著作を一つずつ読んでいくうちに、本書に書かれた幻想の意味であったり象徴するものであったりに行き当たるのではないかと思えば、まだ積読状態になっている蔵書をひっくり返し、ページをめくるだけの意義が出てくるというものだろう。

 そう、それはまるで――旅の途中でふいに現れた千仏洞に驚愕する喜びのような。


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