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◆読書日記.《『ビギナーズ・クラシックス中国の古典 李白』》

<2023年1月14日>

 角川ソフィア文庫の『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 李白』読了。

『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 李白』(角川ソフィア文庫)

 今年は物凄いスローペース。しかし、これはなかなかノンビリと楽しめた。

 中国の漢詩の詳しいルールとかはすっ飛ばして、李白の漢詩の魅力や代表作の味わい方、李白の人生などを簡潔に紹介した詩仙・李白の入門的一冊。

 李白は漢詩の世界では「詩仙」と呼ばれるほど有名な中国を代表する世界的な詩人である。

 だが、そのスタイルは「高尚」という感じも「難解」という感じもしない。
 むしろ非常に庶民的で平易、子供でも分かるほどの易しいテーマと表現で誰でも分かる。

 美酒に舌鼓をうち、美女を讃え、出世を夢見、雄渾な自然と戯れ、広大な中国全土を放浪して各地に詩を遺した。

 このように李白の書いた作品のテーマを上げ連ねると、庶民も共感できるような身近なものについて、常に具体的な何ものかを歌い、現代で言う所の歌謡曲のような親しみやすさまであった事がわかる。
 だから、学者よりもむしろ庶民的な人気のほうが高いと思われるほどだ。
 李白が古来、庶民に愛誦され続けている人気の理由がそこにある。

 そもそも李白の時代は出版物があるわけでもなく、一般に広くその作品を知らしめるためには庶民の間のアナログなネットワークによって知れ渡るようにならなければ、これほどの名声は得られなかっただろう。

 李白は盛唐の時代(約8世紀)の詩人で、その頃の詩というものは、例えば居酒屋なんかの壁に詩を書きつけて、それを見て感動した人が「そこここにこういう素晴らしい詩があった」と言った感じで、他の地の店の壁に引用して書きつける。
 それを見て感銘を受けた人がまたそれを暗唱して口ずさみ、酒宴の席や名所の風景を見ながら歌い、それをまた他の人が聞いて感動し……といった感じで広まっていくのだそうだ。

 漢詩というのはそもそも「音」がかなり重要で、テーマや内容だけでなく音声の美しさというものも重要視される詩だ。

 だから、五言詩についても七言詩についても、決まった部分で韻を踏んだり、決まった順序のアクセントにしなければならないなど、字数制限以外にも細かな「音」に関するルールが定まっている。
 だから、漢詩は朗誦しなければその本来の美しさを味わいつくせないと言えよう。
(日本の俳句や短歌でも同じように、詩というものはただただ自由に作っていればそれでいいというものでもなくて、ルールは厳しければ厳しいほど高度な技巧が必要となる。厳しいルールがあってこそ、そのルールを完璧に守りながらも独自の芸術性を発揮する事が出来れば稀有な感動が生まれるのだ)

 今でも中国の名所には李白の詩の石碑が建っている場所があり、庶民が知っている李白の詩を歌っていたりもするのだそうだ。

 こういう伝播の仕方は非常に面白いが、アナログだからこそのアヤフヤな所もあるために、間違えて伝わってしまったり、作者名が欠落してしまったりという事もあったという。

 そのために李白の作と言われるものでも、中には偽作が混じっていたり、あらゆる別ヴァージョンが存在したり、などといったような事があるのだそうだ。

 そもそも、李白は出自からして諸説あってはっきりしないのだという。

 古来中国では公的な事は必ず記録に残すという伝統があって、知識人にしても家族や個人の記録はしっかり残して後世に伝えようとという意識が強かったのだそうだが、李白については何故か自分の記録を残していないのだ。

 そのため李白自身についての伝承には不透明な部分も多く、その詩作からその人柄が多少は伺えるものの、謎は多いのだそうだ。

 南北漫遊(北から南まで好きなように歩き回り)
 求仙訪道(仙人や道士を尋ねて道教の奥義を求め)
 登山臨水(山に登り水辺に遊び)
 飲酒賦詩(酒を呑み詩を作る)

本書P.18より引用

 彼の一生をまとめたものだと言われるこの四行詩が李白そのままのイメージと言っていいかもしれない。

 李白は、悪く言えば俗人っぽさのある人ではあるのだが、良く言えば文人だったり知識人などといった堅苦しさの感じさせない、親しみやすさのある人物だという印象がある。

 諸国漫遊しながら酒に酔い、好きな詩作をしながら旅をした一生と言うのは、ぼくからすれば憧れてしまう人生を歩んだとも思えるのである。

◆◆◆

李白「将進酒」

 この詩は李白の有名な「将進酒」という楽府である。

 内容を簡単に言えば、人生は憂いも多いかもしれないけど、今を楽しめるんだったら酒を呑んでいい気分になって歌って楽しもうといった感じ。
 李白はどこまでも庶民的なのである。

 漢詩の書き下し文は、どこか響きが硬質で格好良いな、と以前から思っていた(今回、正月から今まで読んだ事も無い漢詩の本など読もうと思ったのもそれが理由だ)。しかも、これが酒の席で酔っぱらいながら歌う詩だというのが最高だ。

 人生得意須尽歡(人生意を得なば須らく歓を尽くすべし)
 莫使金尊空對月(金尊をして空しく月に対せしむる莫れ)
 天生我材必有用(天の我が材を生ずるは必ず用有り)
 千金散尽還復來(千金散じ尽くせば還た復た来たらん)
 烹羊宰牛且為楽(羊を烹、牛を宰き、且つ楽しみを為し)
 会須一飮三百杯(会ず須らく一飲三百杯なるべし)

本書P.112-113より引用・「将進酒」の一部抜粋

 この作品は才能があるにも関わらず世に認められないという鬱屈とした感情を抱えながらも、そういう悩みはいったん置いておいて、いま楽しめる時に楽しんで置こうじゃないか、人生は短いのだし、といった心境を歌っているのだが、実際に李白も才能がありながら不遇の人生を歩んだ人物であったと言える。

 李白が中国全土を放浪したのは各地にいる著名な人物に会ってお墨付きをもらい、宮廷に推薦してもらう事を狙っていたからで、その夢がかなって皇帝の御用文人として召し抱えられても、宮廷の雰囲気に嫌気がさして酒浸りになってクビになり、再び全国放浪の旅に出る事となった。

 自分の才能を信じながらもそれが世に認められない、といった悩みは、わりといつの時代の人にも見られる普遍的な心情でもある。李白の作品のテーマにこういった普遍性(悪く言えば「まっとうは普通さ」)があるのも、彼の作品が古来から愛されてきた理由の一つなのだろう。

 ぼくは上に引用した詩の、特に下半分のくだりが最も好きである。

天生我材必有用 千金散尽還復來 烹羊宰牛且為楽 会須一飮三百杯

 天がぼくにこの才能を預けたんだ、その内この才能が生かされる日がきっとくるだろうさ。お金を使い果たしたって、そのうちまた入ってくるよ。まぁ今日はとりあえ羊を煮て、牛を料理して愉しもうじゃあないか……といった内容だ。

 馬鹿みたいに楽観的な内容だが、酒の席で高歌放吟するにはとても能天気で相応しい。
 酒飲みの心情は古今東西、変わらない。今日は李白に乾杯だ。

※本稿を書くのに山田勝美『中国名詩鑑賞辞典』(角川ソフィア文庫)も参考にさせて戴きました。ご参考まで。


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