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◆読書日記.《山田風太郎『銀河忍法帖』》

※本稿は某SNSに2021年11月16日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。


 山田風太郎『銀河忍法帖』読了。

山田風太郎『銀河忍法帖』

 山田風太郎を一躍流行作家に押し上げた大人気シリーズがこの「忍法帖」シリーズである。

 戦後いちはやく「忍者」をモチーフにして忍者同士のバトルを描いたマンガ、白土三平『忍者武芸帖』は山田風太郎と同時期に連載されていた忍者マンガであり、1961年の横山光輝『伊賀の影丸』は山風の忍法帖の影響で書かれた作品と言われている。

 そういった時期的な事からも、内容的な事からも、戦後流行した荒唐無稽な忍術を使う忍者たちが戦う忍者もののルーツ的シリーズがこの「忍法帖」であると言えるだろう。

 戦後、日本の忍者を扱ったエンタテイメント作品の多くが山田風太郎の忍法帖の影響を受けているし、それだけでなく、バトル漫画や「異能バトル」系のマンガやアニメまでもが、遠い影響を受けていると言える――それだけエンタテイメントに大きな影響を与えたシリーズだった。


<あらすじ>

 時は慶長年間。
 徳川幕府を支える老中・大久保石見守長安――彼は個人的な技で支えられる職人仕事や名人芸などというものをあまり信用せず、西洋流の「サイエンス」に没頭し、様々に荒唐無稽な発明を行い、治水、内政に力量を発揮し、佐渡金山や石見銀山、生野銀山などを開発して徳川の財政さえも支え「日本の総代官」とさえ呼ばれた天才的な勘定奉行であった。

 彼は無類の女好きとしても知られ、齢60をとうに過ぎているというのに、異様な若さを保っていた。
 彼の若さの秘密は謎の「女精酒」と呼ばれる酒と言われているが……。

 ある時、長安が江戸から任地の佐渡へ移動している道中、全国六十六か所を巡る六部と呼ばれる漂白の女に目をつけ、これを召し上げようとした。

 女は六部をしていると思われぬほどの美女であった。

 だが、長安の部下が女を連れ去ろうとすると、その間に割って入った男がいた。

 金山で働かせるために駆り集めた人夫を纏めていた男――「六文銭の鉄」と名乗る謎の男であった。

 彼は女を担ぎ上げると、長安の大名行列の中の駕籠を片手で一つひっくり返した。

 駕籠の中から出てきたのは例の「女精酒」が入った甕。その甕が地に落ちて真っ二つに割れると――そこから出てきたのは"酒に漬けられた美女の死体"であった。

 場の混乱に乗じた六文銭の鉄は女を抱えたまま恐ろしい速さでその場を逃げ去ってしまう。――あの男は何者なのか?

 長安に女を召し上げるよう命じられた部下たちは色めき立って男の後を追う。

 その中には、長安の親戚筋である服部半蔵の手下であった手練れの忍者衆がいた。

 そのうちの一人、手練れの忍者・魚ノ目一針が六文銭の鉄を補足する。
 「女を渡せ」と迫る一針であったが、鉄はこの忍者を難なく返り討ちにしてしまった。

 服部の忍者の中でも指折りの手練れを難なく始末してしまったこの男、何者――?

 六文銭の鉄に助けられた女は「朱鷺」と名乗った。彼女は大久保長安に恨みを抱く者であった。

 「あの大魔王のような男が、これまでに流した人間の血にむせぶほどの苦しみを与えて」――女は六文銭の鉄にそう頼み込むのである。

 六文銭の鉄は2日も女を抱かないと鼻血が出る程の無類の女好きであった。

 朱鷺と共に佐渡に渡り、大久保長安に地獄の苦しみを与えて彼女の恨みを果たすのならば、その望みを叶えた暁には自分を抱いて良い。――それが朱鷺の出した条件であった。

 斯くして日本の総代官・大久保長安に対する鉄の戦いが始まった。……というお話。


<感想>

 久々の山風の忍者小説、堪能した。

 未読の忍法帖の中からけっこう適当にピックアップしたのだが、意外と先日読んだ『戦中派不戦日記』の内容に通じるものがあってそこら辺も興味深く読ませてもらった。

 大久保長安というのは無論、実在の徳川幕府の老中だったのだが、本書の設定では異様な科学信奉者として書かれているのである。

 彼は服部の忍者軍団に守られていながらも、「忍術」というものを古臭い個人技だとして否定するのである。

 長安は「伊賀組のみならず、古来日本人は名人芸を得意とし、むしろそれに溺れすぎる。が、当人の素質と刻苦の修練によるその名人芸というやつは、あまりに不毛で不連続的すぎる。その当人が死ねば、その芸もまた滅ぶ、というのは、あまりに効率が悪うて、愚かしくさえある」。

 そして「智慧は名人芸にまさるということだ。智慧というより、系統的組織的な知識じゃな」と服部半蔵に対して「忍術」の非効率性を指摘するのである。

 その信念のために、長安は自分の愛妾たちに自分の考案した様々な武器を与えて身辺を守らせていた。それはその時代からは考えられないテクノロジーの塊であった。

 武芸も何もたしなんでいない長安の愛妾たちはデモンストレーションにと、長安から与えられた武器を使って服部忍軍の手練れたちを手玉に取るのである。

 長安は得意げに「そちらは骨を刻み肉をけずる修練の果て、こちらはほとんどさしたる修行も要らぬことじゃ。すなわちこれがサイエンスの功というもの。――」と言う。

 日本精神の精髄たる服部の忍術が、何の修練も積んでいない女たちに手玉に取られたのである。

 この「科学の勝利」について、山田風太郎は「作者には思い当たることがある」――と、太平洋戦争の日米の科学力の差を例に挙げて説明するのである。

 当初、パイロットの修練で圧倒的優位に立っていた日本海軍のゼロ戦部隊も、わずか数年して現れたアメリカのヘルキャットによってマリアナ海戦では8割の損害を出し、敵をして「マリアナの七面鳥撃ち」と揶揄されるほどの惨状に転落した。
 個人の修練によって勝っていたゼロ戦も、数年で格段に進歩したアメリカの「科学力」によって惨敗を喫したのである。

 山田風太郎が昭和20年の時――23歳の時の彼の日記『戦中派不戦日記』でも、次の様に記述している。

 今やまさしく今次大戦の勝利はすなわち科学の勝利たらんとしている。いまの日本の惨苦は、過去の教育に於て顧みられなかった科学の呪いに外ならぬ。今に及んで少数の天才教育をやればとて、果たしていくばくの効果があろうか。鴎外は日本に科学の雰囲気のない事を嘆じた。
                山田風太郎『戦中派不戦日記』より

 昭和20年8月、大日本帝国の敗戦に及んで山田誠也青年が出した結論は、日本の敗北の原因は「科学」である――という事であった。

 世界で初めて人工雪の製作に成功するという業績を残した物理学者の中谷宇吉郎も、戦後1949年に出版された『科学と社会』にて、第二次大戦中の日本の上層部にいる人たちの壊滅的な非科学性を批判していた。

 山田風太郎は後年、この当時の日記を読んで「今の自分とは別人」と言ってはいるが、この「科学の敗北」という考えは、おそらくそう大きくは変わっていないと思われる。

 本書(講談社ノベルズ版)の解説で荒俣宏は本書を「日米決戦の見立てとして読むことができる。いや、見立てどころか、山田風太郎はこの作品を通じて太平洋戦史の忍法版を構想していたに違いない」と指摘している。

 だが、これは最終的に「科学」を象徴する大久保長安の敗北という結果によって否定されてはいまいか?

 というのも科学の信奉者である大久保長安は、歴史的に見ても、結局はこの「日本」という環境のために没落していく事となるからである。

 本書では、実は徳川家康は、大久保長安の事をあまりよくは思ってはいなかった――という設定になっているのである。

 実際、長安は晩年、様々な代官職を次々に罷免されていく。

 大久保長安ほどの天才的科学者が大きな役割を持っていたとして、日本は果たして変わったのであろうか――?

 その疑問さえも「否」と、山田風太郎は例のシニカルな口調で否定したのではなかろうか。

 長安がいかに今後百年、二百年と続く長大な構想を持っていたとしても、いかに今後の日本の進歩に寄与する大発明をモノにしていたとしても――、それを理解して守ってくれるような環境が日本にあるのだろうか?

 結局、長安の「科学信奉」は理解されず、目に見える成果がなくなった時点で「お役御免」となり、始末される。

 長期的な視点を持てず、短期的な利点によって、目の前の利益に飛びついてしまう。

 ――そんな日本の指導的立場の人間らの近視眼的な「器の小ささ」が、長安の足を引っ張ったのではないか?

 いくら長安のような天才的人物が現れたとして、日本のコセコセした足の引っ張り合いによって、彼の「科学的思考」は否定されてしまうのではないか?山田風太郎は、そこまで考えていたのではなかろうか。

 ――というのも、山田風太郎が『戦中派不戦日記』の時期に感じていた日本人の愚かさというものは、「(太平洋戦争の)最大の敗因は<科学>である」と考えた昭和20年8月16日の敗戦直後、また別種の「日本人の愚かしさ」をイヤというほど見せつけられねばならなかったのだから。

 そんな本書は、山田風太郎によるある種の日本人論の思想が反映されているのかもしれない。

 だからこその「科学VS個人技」のぶつかりあいという構図があり、実は「共倒れ」とさえ言えそうな結末を迎えてしまうのは、山田風太郎一流のシニカルな人間観察の結果の、結論だったのではないだろうか。


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