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◆読書日記.《山田風太郎/原作・勝田文/画のマンガ『風太郎不戦日記』全3巻》

※本稿は某SNSに2021年11月9日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。

 山田風太郎/原作・勝田文/画のマンガ『風太郎不戦日記』全3巻読みましたよ~♪

『風太郎不戦日記』1

『風太郎不戦日記』2

『風太郎不戦日記』

 本書は小説家・山田風太郎がまだ医大生だった23歳当時(昭和20年)の1年間の日記を昭和48年に『戦中派不戦日記』として刊行したものを原作とした漫画化作品である。

 後に「戦後派天才老人」と謳われた天才作家の青年時代の記録。

 念のため補足説明しておくと、山田風太郎とは戦後に学生をしながら探偵小説文壇に若干25歳でデビュー。
 27歳で早くも『眼中の悪魔』『虚像淫楽』により第2回探偵作家クラブ賞短編賞受賞。この「最年少受賞」は1990年代に至るまで破られる事がなかった。

 後に推理小説文壇の中では高木彬光、大坪砂男、島田一男、香山滋と並んで「探偵小説界の戦後派五人男」と呼ばれるようになる。後年、初の忍法帖もの『甲賀忍法帖』によって流行作家となり、その後も明治小説や晩年のエッセイ等、あらゆるジャンルの小説を書きこなした偉大なベストセラー作家である。

◆◆◆

 ……という事で山風はぼくの最も尊敬する小説家の中の一人なのである。

 とはいえ、いくら山風の小説を愛読しているとは言っても「随筆」までも好きかと言うと必ずしもそうではないし「その作家の青年時代の日記までも読んでみたい」ともなるとさすがにその執念が信者臭くって気持ちが悪いと思ってしまうタイプだ。

 それなのに本書を手に取ってしまったのは「随分と珍しいものを漫画化したもんだなぁ」と思ったからだった。
 ちょっと興味を持って読んでみると、これがなかなか面白い。

 そもそもこの日記が出版されたのは山風が「戦時中の記録の中でも一市民の視点で描かれた記録というものがない」と考えて、という事だったそうだ。


<あらすじ>

 本作では終戦の年である昭和20年の1月1日から12月31日までの、医大生・山田誠也青年が体験した一年の記録となっている。

 当時の山田青年は東京医科大に通いながら、医大に入るまで世話になっていた沖電気の工場仲間の高須さんという人の家に下宿していた。

 既に去年末には東京にもB29が空爆を始めていた。

 東京空襲が始まったのはこの作品の始まる前年、昭和19年の11月24日からで、大晦日でさえも午前零時と深夜、朝方の三回にわたって空襲に襲われていたという時期である。

「除夜の鐘は凄絶なる迎撃の砲音、清め火は炎々たる火の色なり」

 町から青年は姿を消し、銭湯に来る者も老人、中年、少年のみ。

 徴兵検査の時にはちょうど風邪をこじらせて肋膜を病み、不合格。

 今は医大生として、将来軍医となる事を期待されながら徴兵を免れている。

 最も兵士として徴兵を期待されている年代でありながらも兵士として戦う事ができず、どこか冷めた目でこの日本の状況を傍観していた山田青年の壮絶な一年が始まった。――というお話。


<感想>

 この分だとたぶん原作のほうも面白かろうが、マンガとしての本書の特色は、当時の状況を「絵」として再現しようと試みている点であろう。

 まだ若干23歳とは言え、その数年後にはもう『達磨峠の殺人』などをサラっと書いてしまう青年である。さすがに、観察眼は常人とは違っていると見える。

 目の付け所は面白い。
 戦時中の日本の「(物理的にも、人心的にも)汚い所」から目をそらさずつぶさに観察しているこの冷静さはどこから来るのか?――山風の作品解説などでその辺の事情を描いている評論家は多い。

 山風は少年時代、病弱で学校の教練なんかも「員数外」と言われ除外された。その疎外感。

 父は5歳の時に脳卒中で急死、中学時代に母が肺炎により死亡。以降、自らを「みなし子」と自認していた。

 家族や級友の中から外され、自然と集団の外から彼らを観察する「傍観者」の視点を身につけた――というのが、評論家などが良く説明する山風の「怜悧さ」である。

 しかし、山風がこの時期から若者離れしていたのは事実だ。

 頻繁に空襲が起こるようになった帝都にあり、罹災し焼き出され、空襲に右往左往し、配給の少なさにうろたえる人々の姿を、まるで何かの悲喜劇を客席から見ているかのように観察する山田青年。

 究極の異常事態にありながら、山田青年自体も、日本の庶民らも、日常生活は続けていかなければならない。

 そんな当時の東京庶民の事情を事細かに見ていて実に面白い。よし決めた。これは原作も読まねばなるまい。ぼくの本棚の中の「山風文庫」の中から、物凄く久しぶりに『戦中派不戦日記』を取り出してくるかな。

◆◆◆

 漫画版『風太郎不戦日記』には、昭和20年に毎晩のように空襲が襲う帝都の銭湯にて、その空襲被害がひどくなっている状況について「昨晩も、どうも」「うるそうてかなわんですなあ」とのん気に文句を言っている人たちを描いている。

 そんな日本人を観察しながら「みんな長引いた戦争に慣れてきている」と思う山田青年の描写がある。

「例え前の晩に猛烈な空襲があってもこんなもんだ」

 ぼくはこれを読んでいてどこか、現代の日本人がコロナ禍にあって、感染者が急増しているのにも関わらず長いコロナ自粛に慣れきってしまって人流が全く減らない昨今の状況を思い浮かべてしまうのである。

 日本人はあるいは、昔から正常化バイアスが強い生き物だったのかもしれない。

「みんな、長引いたコロナ禍に慣れてきている。つい数か月前まで一日数千人の感染者を出していたとしたって、こんなもんだ。みんなつい最近あった事をもう忘れて、いつものような日常を続けていけると思い込んでいる」……『戦中派不戦日記』を読むと、今も昔も続く日本人の悪い特性が目に付いて仕方ない。


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