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地域医療と医療人類学の視座

ドイツの社会学者のニクラス・ルーマンは近代社会を機能的に分化した社会と捉えました。
「教育」というシステムを担うのは学校であり
「宗教」というシステムを担うのは寺や教会であり
「科学」というシステムを担うのは研究所や大学であり
「政治」というシステムを担うのは議会である。

近代社会のことを高度に専門分化した社会として指摘しています。つまり、教育者に宗教家からの横槍が入っても教育システムはコントロールされないということです。社会の中心が政治でも神でもなく、それぞれのシステムが独自に稼働しているのが近代社会であるとしています。

少し脱線しますが、コロナ禍におけるドイツの社会についてルーマンの弟子のシュティヒヴェー教授は、

個々の人間、個人の生命の維持のために、政治システムが他のあらゆるシステムに対し、行動指示を書き命令を下す。ここの生命以上に尊いものはないとのことで政治システム内でさえ民主的な議論は停止されている。政治には元来他のシステムを飲み込み、コミュニケーションの政治化するという危険性を持っている。その側面がコロナ禍で生命維持のために行使されている。
政治が現在のドイツ社会の中心になっているように見えるがその背後には医療システムがあり、集中医療の処理能力維持のために行動を制限すべしという指令を出す。また、科学システムについても、コロナワクチンの研究開発に期待がかけられ、あらゆるリソースが割かれ、関連が薄い研究分野の研究所や大学は閉鎖されている現状もある。

話を戻すと、
コロナ禍ではなければ、
近代社会は高度に専門分化した社会であるという指摘に納得できる。
医療システムも同様に独立して存在し、それを担うのは病院や診療所である。

文化人類学の歴史と機能分化が大きな関係があります。

文化人類学については↓で少し紹介しましたが、

文化人類学は植民地時代の西洋で生まれました


近代化した西洋人が植民地で暮らす人々がどんな生活や文化を持った人間なのかを調査しに行きました。

当時の西洋社会はすでに高度に専門分化した社会でした。そこに住む彼らから見ると植民地の社会は、未分化な社会で発展が遅れていると解釈し、「未開」という言葉を用いて表現しました。
未分化な社会とは、例えば医療システムと宗教システムが完全に分かれていないということです。ある症状が妖術によって引き起こされたと信じていました。妖術とは神秘的な力が働き、他人に災いをもたらす呪術の一つです。

文化人類学は社会制度で見た時に未分化の社会を対象に研究をおこなってきた学問とも言えます。文化人類学の下位区分である医療人類学の対象は西洋医学とは言えない、医療と呼べないものも含み、人々の生活世界に根ざしているものを対象にしている学問です。
反対に医学とは近代医療を扱い、現代の分化された医療システムの中で広く参照されている学問だと思います。

医療人類学と地域医療って近いのでは?

↑にてオレンジの紅谷先生が

「地域医療とは場所を指す言葉ではなく、地域の声を聞いてそれに応え、地域をハッピーにするためのもの」

とズバッと言っているのを聞きました。オレンジらしいなあと感じました笑

医療法人が、生活から医療だけを切り離してやっていればいいというわけではなく、食、運動、アートなど多様な出会い方のなかで暮らしを、生きるを支えるのがオレンジという会社なんだと思っています。

医療だけを社会から切り離して考えてはいられない。ごちゃ混ぜがいい、というように昔の未分化の社会に回帰すればいいかというとそうではないと思います。

医者がいきなりお祈りを始めたら困ってしまいますよね

現代版の機能未分化社会のあり方を考えようとしている気がします。

そういう観点からも医療人類学と地域医療の親和性を感じている今日この頃です。

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