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鶴、と聞いて1番に思い出す暖かくて寂しい思い出がある。それは、親友のような存在の祖母との最期の寂しくて暖かい思い出だ。
私の尊敬する祖母は、亡くなる前によく、鶴を折っていた。最初は病気で動きにくくなる手の硬直を和らげるためだと言っていた。だがどんどんと「鶴の折り方が思い出せないから」と私に折り方を教えてくれと頼むようになった。昔は器用に紙1枚でなんでも作って、色んなものの作り方を教えてくれた祖母が、私に頼むようになったのだ。私は、そう言われる度丁寧に教えた。祖母は悲しそうな、それでいて私を愛で包むような眼差しで「ごめんねぇ、ありがとう。」と言った。
日に日に祖母は痩せていった。毎日顔を見ていてもわかるほどに痩せた。けど、それは言わなかった。私はできるだけ、時間が許す限りは祖母の家へと足を運んだ。そして、また鶴の折り方を教えた。ある日祖母は突然、ぽつりぽつりと、言葉をこぼすように話を始めた。「ばあちゃんの知り合いに、栗原(仮名)さんって人がいたんだけど。その人のお葬式で鶴を配っていたの。その人が入院した時に作っていた鶴をね、みんなに。」その先のことは言わなかったけど、祖母の命の灯火がもう長くないということ、生きた証をみんなの手に渡るように遺したいのだということを察した。「そうなんだ、素敵だね。」と、私はギュッと熱くなった喉を無理やりに押えて何とか声を出した。

それから程なくして、祖母は天国へと旅立って行った。最期、祖母に会った時はもう鶴を折れるような状態ではなくて、ベッドに横になっていた。目を開けるのがやっとな祖母の手を握り「また来るね、愛してるよ」と言うと、祖母は弱々しく手を握り返してくれた。心做しか、頬が緩んでいたように見えた。祖母の葬式には、彼女がとんでもない有名人だったのではないかと錯覚するほど人が来た。コロナ禍で人数制限を行っていたのにも関わらず、最後に挨拶をしたいという人が、老若男女問わず、途切れることなく列を成していたのだ。祖母と折って、形になった鶴はほんの15羽程度だったから、それを配ることは出来なかったが、祖母がこんなにもたくさんの人から愛されていたのだと思うと私は嬉しくなり、自分に流れる血がなんだか誇らしく思えた。祖母は長生き、とは言えなかった。鶴は長寿の象徴ともされているから、なんだかちょっと皮肉にも感じていた。
そんなふうに思いながら過ごしてたある日、不意に鶴には他に、どんな意味があるのだろうと気になった。スマートフォンを手に取り、鶴、意味、と検索をする。すると、鳥の名、長寿を表すもの、の後に続いてあったのは「天と地を繋ぐもの」であった。

祖母が上手く動かなくなった手で必死に折ったこの鶴はきっと、天にいる祖母と、今地で必死に生きる私とを繋いでいるものなのだろう、そう思うとまた目頭が熱くなった。

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