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『人』 対 『人』

私の知人で 
お店屋さんに買い物に行って  
「お客として店員からサービスを提供されるのは当然の事。」と 気が利かない店員には 
 「なってない!」とクレームをつけたりする人がいるのよ。

病院に入院して 職員にわがままと言えるような発言をしたりして 
「それに対応するのが仕事でしょ」と
自分の主張を通そうとしたりするし
身内が入所している施設の職員が感染症になって 院内消毒していることを受けて 
「施設内に病気を持ち込むなんて文句言ってやらないといけない」 と発言したり
まあとにかく 自分の行動や発言が正義で 
意にそぐわない人を批難するの。

私達ってその時々によって サービスを提供する側になったり 逆に受ける立場になったりするじゃない?
病院や施設なんかではお世話する立場の場合もあれば される立場になったりもする。 
学校では教える立場 教わる立場
駐車場なんかでは誘導する側される側。

どちらが上でどちらが下ってことはないわよね。

今は自分がお世話しているけど 将来子供の代になって 逆にお世話になる場合もあれば
先祖の代でお世話になっていて 今の時代で逆に 
お世話している場合もあるかもしれないし。
 
私達はいつどの立場になるかわからないし
同じ心を持った人間同士なのよね。

言葉って鋭い刃物ように人を傷つけたり
逆に勇気や希望を与えてくれたりするものでしょ

誰もがわかってる事だけど
いつの間にか忘れちゃうのかしら。

その知人も昔はそんなんじゃなかったのよ。 
何でもできる 気の利いた素敵な人だったわ。
周りの人達はその人を褒め 持ち上げたり 頼み事をしたり 相談したり。
いつしかそれが 『自分は凄い人』と勘違い
してしまうようになったのね。

彼女の暴走はクレーマーと化し
自分が正義であるかのように振る舞い 
自分のものさしで人を図り 
言葉の暴力で人を刺す。

私も何度も刺されて傷ついたわよ。
彼女に助言する人もいなくなっていったわ。

沢山の便利なものに囲まれて
人と関わりを持たなくても生きていける時代になったけれども基本は
『人』と『人』
だと思うのよね。

今朝 友人がコンビニで
「いってらっしゃ~い」
と言われたそうよ。
サービス というくくりではなく
人が人に声をかけて 声をかけられて
素敵な1日が始まっている。

例えば レジ横にロボットがいたとして
「いってらっしゃ~い」と発しても
嬉しくもなんともないわよね。
面白いかもだけど。

心が伴わない言葉に
人の心を動かす力はないと思わない?
 
どんな便利な時代が来ても
「人」と「人」のコミュニケーション
大切にしたいなあって思ったわ。

大変な朝の始まりだって
素敵な言葉が溢れていれば
ちょっぴりでも いい気持ちで出撃出来そうよね。
  










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