見出し画像

短編小説『旅の神様は11人いる』

 旅をすると、11人の神様と出会える。

 寸景の神様は、カメラを持っている旅人が出会える。息を呑むような絶景や目を惹くオブジェだけがシャッターチャンスとは限らない。その土地土地で営まれる何気ない、でもかけがえのない日常の一コマ。そんなスナップショットのほうが永く、深く心に残る。最近はインスタ映えとやらが流行っているらしい。けれど、寸景の神様には誰も気づかない。

 礼遇の神様は、謙虚な旅人が出会える。その土地にお邪魔させてもらっているという心持ちは、相手にも伝わる。人は写し鏡。敬意をもって受け入れる者は皆に受け入れられる。旅人を歓迎する者は、旅人にも歓迎される。ただし、日本の過剰な「OMOTENASHI」とやらは、礼遇の神様もちょっと引き気味だ。

 碧空の神様は、上を見て歩く前向きな旅人が出会える。下を向き、心も俯いてばかりの旅人は決してお目にかかることができない、抜けるような青空。どこまでも広がる碧色は、まるで宙の海を泳いでいるような気分を感じさせてくれる。飛行機に乗ったら窓の外へ目を向けてみよう。そこにはいつでも碧空の神様が待っていてくれる。

 昧爽の神様は、うっかり夜更かしをしてしまった旅人が出会える。旅行の醍醐味は夜にある。昼間の賑やかさとは様相の異なる夜の喧騒は、見知らぬ土地のまた違った一面を見せてくれる。そんな夜を時間を忘れて楽しんでいると、いつの間にか眠っていた街が徐々に目覚めていく。それもまた、新しい一面だ。すぐに寝てしまう方もご安心あれ。早起きをする健康的な旅人にも、昧爽の神様は微笑んでくれる。

 幸先の神様は、退屈な日常に飽いている旅人が出会える。鬱屈した気分をリフレッシュするため。ままならない人生を変えるヒントを得るため。そんな理由で旅を行う者は多い。しかし、その行動自体がすでに変わり始めるきっかけとなっていることに気づいているだろうか。旅は良いことばかり起こるとは限らない。それさえも幸先の神様の仕業と考えられるかどうかは、旅人の心持ち次第だ。

 生ひ優る神様は、幸先の神様と出会った旅人が旅の最後に出会う。見知らぬ土地を訪れ、見知らぬ人と出会い、新しい体験をする。旅は目に見えない様々なお土産をもたらしてくれる。それはきっと旅人の成長の糧となっている。変わった気になっているだけ? そんな気分になれただけで、生ひ優る神様のご利益は充分だ。

 奇偉の神様は、驕らない旅人が出会える。ご立派な建築物や風景。観光地を訪れる旅人は、たいていそういったものをこの目で拝みにいく。人の叡智に、自然の偉大さに圧倒され、己の卑小さを恥じ入る。立派な人格を持つ人物に出会えることもある。いつか自分も、奇偉の神様に声をかけられるような存在になりたいと願う。

 差添いの神様は、旅先で困った者が出会える。旅にトラブルは付き物だ。どれだけ入念に準備をしていても、思わぬアクシンデントに必ず一つは遭遇してしまう。そんなときに周囲から手が差し伸べられると、心まで救われたと感じる。旅は人の優しさに触れる機会でもある。差添いの神様は、あなたの心の中にもきっといるはずだ。

 恋草の神様は、がっついている旅人は決して出会えない。ひと夏の出会い、というものも確かにある。しかし、旅の恥はかき捨てなんて気持ちでいる輩が行うそれは、恋情ではなく劣情でしかない。前のめりすぎる旅人もダメだが、後ずさりが過ぎる旅人も同じかそれ以上にダメだ。恋草の神様は気まぐれで厳しいのだ。

 今年は、炎節の神様が大活躍だ。

 他の神様と違って、炎節の神様は一年でも限られた期間しか出会うことができない。まるでレアモンスターのような神様、そう、まさにモンスターのごとく猛威をふるっている。あまり歓迎されることがないのも、他の神様と異なる。長年のストレスが爆発しているのだろうか。

 彼に勝てるのは一人しかいない。
 涼飇の神様、どこ行った?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?