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【ネタバレあり】 貴志祐介『新世界より』を読んで。

先ほど、貴志祐介さんの代表作である『新世界より』を読み終えた。

うん、面白かった。

ジャンルで言えば、SF小説に該当するのだろうが、俺は、これが単なるSFの世界だとは思えなかった。

舞台は1,000年後の日本社会


この小説の内容を簡単に解説するなら、1,000年後の日本を舞台にした話だ。

1,000年度の日本列島では、人間は皆、『呪力』という超能力を持っている。

自分たちと同程度の智力を持つ『バケネズミ』という種族を奴隷として、食べ物や労働を肩代わりさせて、使役している。

バケネズミというのは、現存している「ハダカデバネズミ』に呪力で人間と同じくらいの智力を与えた、この世界の架空の生物だ。


『バケネズミ』Wikipediaより引用



『ハダカデバネズミ』


俺がこの小説を読んで、なぜSFだと思えなかったのか?
それは、この『新世界より』の世界観が俺たちの住んでいるこの世界をオマージュしていたと感じたからだった。

俺にとってこの小説に登場してくるバケネズミは人間を表しており、呪力を持った人類は、ヒト型爬虫類の『レプテリアン』を彷彿とさせたのだ。

ちなみにレプテリアンとは、人類の創造主のことである。


『レプテリアン』

現在の社会では、人類の誕生はダーウィンの進化論を採用している。

一般的にも、サル科の哺乳類がアウストラロピテクスからホモサピエンスなどに進化したという説が1番有力視されている。

だが真実追及者など一部の人類の間では、人間は、高知能を持った種族により、その当時地球上に存在した類人猿と高度な知能を持った宇宙種族の遺伝子組み替えによって誕生したという説を重んじられている。

(実際、俺自身も後者の説を信じている。)

そう思う背景などについての説明はこの際飛ばすが、この説が定説だった場合、このSF小説は、正に現代社会と何ら変わらないのよ。

実際に、レプテリアンは、俺たち人類以上に高い知能と高い科学テクノロジーを持っていることはもちろん、超能力や魔法などと読んでいる非科学的な能力を自在に使える。

人類も本来であれば、レプテリアンの遺伝子を組み替えらているため、こういった第六感を伴っているはず。
しかし、レプテリアンにより伝子組み換えの際、意図的に第六感は切り取られてしまったようだ。

理由としては、第六感を伴っていると、レプテリアンが人類を支配しにくくなるからだそうだ。

例えば、自分らのような別の種族や高次元的な種族とテレパシーなどでコミュニケーションを取れたり、それこそ魔法のように、何事も想像した通りに自在にできてしまうからだ。

こんな生き物を管理するのはレプテリアンでも到底無理なので、自分たちが管理しやすいよう五感だけを感じれるよう人類を創造したようだ。

『バケネズミ』は現実世界での人間と同じ


話は戻るが、この小説内で出てくるバケネズミも同様である。

智力に関しては人間に全く引けを取らないが、呪力を呼ばれる自分たちにはない力を人間が持っているがために逆らえないのだ。

人間は逆に、呪力があるが故に、バケネズミを自分たちより下等種族と見なし、奴隷のように使い、命令に逆らえば、簡単に殺す。

バケネズミは自分たちにはない未知の力である呪力を恐れ、人間を『神様』と呼び、表上は人間に対して従順な姿勢を見せている。

『神様』の正体はレプテリアン


話を現実世界に移すが、俺たちが信仰している宗教には必ず神という存在が出てくる。

人間は、神という自分たちより高次元な存在を敬い、救いを求め、すがる。

先ほど登場したレプテリアンは、太古の昔、人類を支配するために、宗教という考え方をすり込んだ(そうだ)。

レプテリアンたちが刷り込んだ宗教というものの本質は、自分たちが支配コントロールしやすいよう、人類に自分たちレプテリアンを神様だと敬わさせ、教えや救いを請わせることだった。

人類にとって、自分たちにはない超能力も持った種族は恐怖でしかない。

逆らえば、自分の身に雷を落とされ殺されたり、念道力などを使い、突然、息の根を止められたりするのだ。

人類は、自分たちにはない力を持った生物に敬服し、神として崇めた。

そうして人類は今に至るまで、レプテリアンなどの高智脳を持った種族を神様だと恐れ、宗教などを通し神様という存在を崇拝している(ようだ)。

これが現実世界での神様という存在の成り立ちだと言われている。

まさに『新世界より』という世界観である。

バケネズミは人類と同じ種族だった


さて、この小説を読み進めると、バケネズミの正体が自分たちと同じ23本ずつの染色体を持った人間だと判明する。
つまり、ハダカデバネズミとは全く別の生き物であり、自分たちより下等種族だと思っていた生物は人類の同胞だったのだ。

実際に、人類はバケネズミを自分たちより下だと思い、都合よく使役したり殺しているが、バケネズミの一部は、自分たちは人間と対等であり、もっと尊重されるべきだと不満をもっていた。

物語は進むにつれて、そういう反人類による制圧社会という思想を持った一部のバケネズミを筆頭に、呪力を持った人類VSバケネズミという異類戦争に発展していく。

バケネズミも人類も、同じく高い知能を持った生き物に変わりないのに、呪力を持った人類がバケネズミを一方的に服従させようとすることにより、共に尊重しあい平和に生きるという道は選べなかった。

なぜ人類は争うのか?


ここで思ったのが、人間は、どうして、そこまで勝ち負けや他を征服させたがるのだろう、ということだ。

現在の地球上でも、やっていることはあんまり変わらないしな。

人類は、地球上にいる生物は皆、自分たち人類より劣っていると思い込み、自分たち人間にとって都合のいいように扱っている。

勝手に捕獲したり、実験したり、遺伝子組み換えしたり、飼育したり。

同じ種族同士である人間間でも同じだ。

スケールの大きな話で言えば、国同士の戦争、逆にスケールの小さい話で言えば、1:1の人間関係でも、どちらが上でどちらが下という主従関係ばかりではないか?

そこには必ず、支配する側と支配される側という明確な優劣がある。

人類の歴史を辿れば、全て、争いと支配で成り立っているのは明白だよな。

だから、俺は思う。
全ての存在に敬意を持っていたい。

また、同じ土俵で争おうとせず、自分が嫌なことからはそっと離れるのが自分を守る上で1番いい。

バケネズミはどうしたらよかったのか?

現実問題、俺たちもバケネズミ同様の立場に置かれている。

だが、この社会の支配者層に不満があったり、やり方が気に食わないため、「自分が社会を変えよう」だとか「俺が日本を変える」などと同じ土俵で闘う無謀だ。

この社会のルールはすべて、支配者側にとって都合のいいものになっている。

じゃあ、どうすればいいのか?

俺はこの社会が生きにくいと思う人は、あえて自分からこの社会のレールから外れたほうが生きやすくなると感じている。

この方法なら誰もが個人単位で実践できる。

支配者層からしたら、自分たちの作ったルール上で、文句を言いながらも従ってくれる限り、自分たちの立場は揺るがない。

だが、個人的にそっと無人島にでも行かれ、自給自足生活を始められたら、どうしようもないのだろうな。

もちろん、無人島生活を勧めているわけでもないし、現在あるテクノロジーは有効活用するべきだし、お金などを全く使わないなどはこの貨幣社会の真っ只中では難しいと思う。

少しずつ、自分がどうしたいかっていう理想的な選択肢を増やしていくのがいいんだろう。

何事も逃げるが勝ち、だと思う。
争ってもいいことは何もない。


『新世界より』は、一見高知能に思える人類の、醜く救いようがない精神性の低さをよく表していると思う。













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