未明ライナーノーツ⑧「T.S.Q.」
https://open.spotify.com/intl-ja/album/1ZTBIoMaUmEYVoImJHHmeS?si=zKgidQz7TcieERrYq9hN-A
制作時期は2021年の夏〜秋ごろ。前作の「ele-mental」を出した直後に早々に着手した。制作最初期の曲群は、並べる音源数が多くなりがち。この曲と「雷雨」あたりはまさにそう。中華風のパーカッションが裏で打ち鳴らされているところが共通している。これは明確に「中華風アルバム」を念頭において作っており、当初は一曲目にする予定だった。結果、一曲目ではなくアルバムのちょうど真ん中に配置し、レコードでいうところのA面の終わり、あるいはB面の始まりのような役割に。
https://youtu.be/y1TWklG-jAo?si=lPWw6-O5Ud1cYWH3
作っている当初は、四人囃子の短いインスト曲からイメージを受けてたような気がする。先述の通り、音数が多いゆえギターの入れ方に迷った。結果フレーズを決めて弾くと言うよりは、逆再生の効果音的に入れることに。
タイトルは「The Story of Q」の略。つまり魯迅の短編小説「阿Q正伝」のこと。音を重ねていくにつれて、あのラストシーンに向かっていく様子と曲のイメージが結びついていった。
自分の創作の原点に魯迅がいる。
14年前に目標とする大学ではなく、仙台の大学に通うこととなった。もともと行きたかった大学では演劇の授業があり、そこに入学して卒業後は演劇関連の進路に進むことを信じてやまなかった。だが、当時のセンター試験後に、件の仙台の大学に切り替えざるを得なくなった。合格したものの、学ぶ目的がなくなった中、その大学は魯迅ゆかりの地であると知る。魯迅の「故郷」は中学国語の最後の単元だった。唯一、受験勉強・成績云々を抜きにして印象的だった小説。それがフワッと記憶に残っていたため、中国語を学び始め、中国・香港映画にのめり込んでいくことに。まさに魯迅無くして「未明」無し。
当時、中国語の初回授業で、学生に中国語への親しみを持ってもらうためか、1コマ丸々使って映画が放映された。映画の台本を題材に中国語の授業が展開されたこともあった。「北京ヴァイオリン」「インファナル・アフェア」「ルオマの初恋」「藍色夏恋」「狙った恋の落とし方。」などなど…。
大学時代に、演劇や仲間との距離を置き始めてから、何もかもが気に食わなかった(当時から距離を置いてばかりだ)。テレビドラマ、映画、旬のタレント、芸人などなど、エンタメにまつわる何の情報を見ても心がささくれ立つ。14年近く経っている今もそう。同じことで苦しみ続ける。まさに「無間道」(インファナル・アフェアの原題)。
でも、中国・香港映画、台湾ドラマだけは好きで観続けることができた。適度に「距離」があるからか、先述のような苦しさは覚えなかった。むしろ、独特なロマン性を帯びて自分の中の世界観形成の種となったし、「身の周りで自分しか知らない」ことが、多少の自尊心にもなったのだろう。
https://youtu.be/oBgADhsOoog?si=NSTpdL3d4Pfcq08P
「リア友は少し減ったけど それもしかたないや」
まさに、「いーあるふぁんくらぶ」な状態。
就職活動で東京に赴いた際は必ず中古CD・DVD屋に行って、まだ観ていない中国・香港映画のDVD、関連書籍、日本公開当時のパンフレットを買って仙台に帰ったものだ。その時に買ったDVDや書籍類は手放さず自宅の棚にある。この要塞に囲まれて、夜な夜な誰も理解し得ないロマンの中に生きる様子が、後々の「北京オペラのマスキングテープ」にて表れることになる。
魯迅の小説自体も読んでいる(藤井省三さん訳の文庫本)。彼の「鉄の部屋」のエピソードの如く、自分の創作を持って何か希望を見出せるのか。そのためには「故郷」のラストのように、あるものともないものとも言えないが、作り続けて後の人に示していく他なく。
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