見出し画像

反出生フェミニスト界隈の暴言から見る自己責任論とSNSの距離感



はじめに

 こんにちは。前回noteを書いてからしばらく経ちましたが先日、twitterで過激な反出生主義とフェミニズムを語る人達の過激なワードをまとめ、注意喚起をかねたツイートをしました。

まとめながら思いましたが、18禁同人ワードなのかってツッコミをもらうほど、「なんじゃこれ」なワードです。ツイートのツリーを見ていただくと更に詳しくわかるかと思いますが、それでも一部です。これらの言葉を突然他人に向ける人っておかしいですよね。

例えば…

このツイートに対してのこのようなリアクションです。

他にも、性加害被害のツイートや育児の辛さや愚痴を呟いたツイートに対して、「じゃあなんで産んだの?」「産まれなければよかったのに」なども。

なぜそんなことを言うのか…。

他にも以下のような例があります。

画像2



また、他の方も「飯炊きオナホって言われたくらいで傷ついちゃうんだ〜。メンタル弱いね」という発言もありました。

SNSといえど、画面の向こうには生きた人間がいます。適切な距離感と発言をするのが望ましいです。同じことをリアルの人間関係でできるでしょうか?SNSだから出来るノリはありますが、リアルの世界でもタブーならSNSでだけ許されるわけではないです。

相手だって言っているのだからと許されるわけでもないし、それが何かの思想、特定の人のアンチでもそうです。言葉のナイフで平気で人を傷つける。そうやって傷つくと、「それくらいで傷つくならSNS向いてないよ?」「twitterやめたら?」という声もでます。

暴言を言う人こそ、SNSに向いていないし、SNS疲れで休むことが必要なことはあっても「言われた側の心の弱さ」にするのはおかしいですね。


暴言を問題にしつつ、今回改めて、反出生主義とチャイルドフリーについて少し触れたいと思います。

1.チャイルドフリーについて

 反出生主義については、こちらのnoteも触れていてわかりやすいです。

反出生主義も一般的認知度は少ないですが、チャイルドフリーも同様に認知度は低いです。反出生主義だと思っていたけれど実はチャイルドフリーだったという方もいます。チャイルドフリーについてはwikiで簡単に。

『 チャイルド・フリー(Voluntary childlessness、childfree)は、子供を持たない人生の方が豊かであり、子供を作るつもりがないと考える人々のことである』

つまり、自分は生まないという個人主義に近いです。

 反出生主義で多くの誤解がありますが、反出生主義は反生存主義ではないということです。

なので、反出生主義だからといって「なんで生きているんですか?」というのは反出生主義の人からすれば、それは関係ないことになります。恐らく反出生主義への疑問であり、実際にそうしろとは思って言っていないこともあるでしょうが、“自殺教唆なのか?”と受け止められます。

…とはいえ、突然知りもしない主張を振りかざしながら、「産むな」「なんで産んだんだ」という意図を含めて赤の他人に暴言ワードを投げたら相手を理解しようとは思われないでしょうし怖い集団として認知度が広まるでしょう。 

 チャイルドフリーを支持する人の中には、フェミニズムを支持する女性もいます。産まないというのも女性としての権利だと考え、社会で望まれる「女性」としての生き方ではなく、「個人」として生きられることを重要視しているからです。

結婚・出産をするのが女性にとってスタンダードにされているのは刷り込みや社会構造のせいだから、男尊女卑の多さがあるから、結婚や出産は男性による女性の搾取、家父長制だから等々…、女性差別であり女性軽視を助長するという考えをもつ人もいます。

また、チャイルドフリーの他に、産まないと決めた女性のことを「ノンママ」「選択子なし」というワードもあるようです。

 他の理由としては、

・自分の病気や身体的特徴が子どもに遺伝してほしくない

・自分には子育てをする能力がない

・そもそも子どもが好きではない

 反出生主義は、人類は出生をやめるべきであり、”先に出生押し付けられている”、”生まれてくる命、こどもへの暴力”だと考えているので、人それぞれでいいというのを良しとしていません。自分個人が産まないのはチャイルドフフリーの思想で反出生主義ではない、という主張もあります。

・子どもが望んでいないのに産むのはおかしい

 この主張については、「子どもは親を選んで生まれてくる」という思想もあり、その反論としては理解できる面があります。生まれていないので子どもの意思がそもそもあるわけではないし、子どもの意思がわからないからと産むのがおかしいに繋がるのが正しいと思えません。

ですが、「子どもは親を選んで生まれてくる」については反論したいと思います。

2.「子どもは親を選んで生まれてくる」?

 この言葉は飢餓や戦争のある国でも、病気をもってうまれても、虐待する親の元にうまれるのも、「子どもは親を選んで生まれてきてくれた」という考えです。私自身が虐待サバイバーでもあるのでこの考えには明確に反対します。

つらい境遇の子どもに投げかけられる残酷な言葉の一つです。

「子どもは親を選んでくる」、この考えは「胎内記憶」の中でもいわれています。

では胎内記憶とは何か。こちらで簡単にまとめられています。

『胎内記憶とは、子どもがお母さんのお腹の中にいたときの記憶のことを指します。』

小さな子どもが生まれてく前は〇〇していたよ、おなかのなかはこんなふうだったというエピソードを語ります。

一見それだけは、そこまで問題がないように思えるかもしれません。

こちらでは、胎内記憶の問題点を指摘しています。

『胎児に意識があり、胎内での記憶を語る赤ちゃんがいたとしても胎児は自らの意志で流産を選択したり死産を選択したのでしょうか?』

そもそも医学的根拠もない、妊娠・出産のスピリチュアル思想です。

「ママのためにうまれてきた」「パパとママに命の大切さを伝えるためにきた」「親を幸せにするために」「親を成長させてくれるために」「帝王切開でうまれたのもこどもが選んだ」・・・etc。

生まれてくる子どもは、親のケア要因なんかではありません。

「生まれる前にこどもが選んだこと」とキラキラコーティングでありがたがるようなスピリチュアル思想の人達、本当に恐ろしい。

“「虐待をする親を選ぶ子どもがいる」など、「不幸や不遇も自分で決めた」と取れるむちゃな理論”

胎内記憶は、虐待さえも肯定するとんでもない主張です。正直、そんな主張をする人間は私でも産むべきでないと思ってしまいます。

短い記事ですが、タイトルからわかる通り、こちらも子どもの意見を口封じするための恐ろしい言葉として使われています。

「子どもは親を選んで生まれてくる」とは、子どもにあらゆる自己責任を押し付ける、とんでもない妄想です。


そういった面からいえば、反出生主義の方の言う「産まされた」ともいえるかもしれないし、「だれが産んでほしいと頼んだ」と怒りが湧いてきます。子どもは、空の上から親を選んでやってきません。

私自身も親に対してはそのように思っていたこともありますが、反出生主義では無いのですべての親にたいしてそのように思ったり他人が出産するのを否定したりしません。
多くの人は幸せを目指して、新しい命の幸せを願って産んでいるからで、それがエゴであったとしても、あらゆることがエゴです。

3.過激反出生主義とフェミニズム

 SNSでは「反出生」「アンナタ」という言葉も使われながら一部のコミュニティで過激さが強まっています。過激さから、アンナタカルトとも呼ばれています。最初は妊婦さんやベビーカー利用の方、赤ちゃんにも優しかったのにコミュティに染まるうちにどんどん過激な発言も増えていく人もいます。

子どもは自由意志でうまれるわけでもないし、スピリチュアルな思想にも明確に反対します。けれど、すべての親がそのような考えでもないし、虐待をするわけでもありません。

出産することが暴力であり虐待とも考える思想は私は支持できませんし、「繁殖脳」「子産み奴隷」「強産魔」などのワードを使ったり、人が亡くなったニュースまで叩く口実に使って暴言をしていい理由にもなりません。


反出生主義には生まれてくる苦痛、生まれてきたことでおこる苦痛があるから生まれてこないほうがいいという主張です。

不幸な子どもや大人をつくらないためにすることが、暴言ワードで妊婦や育児をする親に向けることでしょうか。

その人たちへ暴言を言って、見ている人はどう思うでしょうか。反出生主義ってなんだかよくわからないけど怖い、ではないですか?

反出生主義でフェミニズムを語る人たちは、”フェミニストは法律婚もせず子どもを産まない”、”法律婚をして育児をしているフェミニストは家父長制や女性差別に加担していている”と考えているようです。その点は、チャイルドフリーを支持する女性と似ている印象です。

チャイルドフリーは、個人主義の面があるため反出生主義と分ける考えもあります。

反出生主義はみんなで出生をやめるべきだという考えです。反出生主義は先に出生を押し付けられていると考えています。過激な反出生主義の方は暴言くらい平気、暴言とも思っていないと主張していました。

また、反出生主義者個人が幸福かどうかは関係がないという主張もあるので、幸せになればいいという反論も平行線でしょう。

反出生主義者にとって出産を罪のように捉えていようが、そうでない人にとって赤の他人によく知らないか主張を突然言われる筋合いはないですし、他の人にわからせる目的だろうと暴言や造語で煽られては、ただただ怖い集団です。

そもそも一般的にはそんな主張知りません。

その思想を支持しているからといって、暴言も許されるわけではないです。思想として正しいからといって、社会的に正しいとは限らない。勝手に主張されても困ります。これは何の思想でも言えますよね。

主婦が愚痴を呟けば、この通り。

「オスガキ産んでる時点で、結局この人も加害者」

「産むのは加害行為なんですけど」

出産していることで叩かれる。

他にも…。


こんな世の中に産むのは加害者。

女児を産んでも男児を産んでも叩かれる。

反出生主義だとか関係なく、苦しみや死を恐れながらも、なるべく幸せに生きたいというのは一般的に多くの人が望んでいることだと思います。

また、繰り返しますが、反出生主義であろうとフェミニズムだろうと過激なワードですでに妊娠しているひとや家庭を持っている人に罵倒してはいけません。

 この記事の中に、次の文があります。

『もちろん生きている人を不幸にする可能性もあるので、生まないということを押し付けようとしているわけではない。むしろ産後うつに悩んでいるSNSのアカウントに対して“反出生”と名乗っているアカウントが“だったら生まなければよかっただろう、お前の自己責任だ”みたいなことを書いているのを見て、母親や子どもの苦痛を減らすという思想にも反していると感じているくらいだ。』

この視点で反出世主義でフェミニストの方に指摘をすると、中には「アンチフェミニストだって言っている」、「反出生主義にはこんなこと言っているのに」と反論がありました。

暴言は誰であれ、発言するべきではないです。言われたから、先にやられたからと同じやり返しをしたら相手と同じですし、赤の他人にやったら八つ当たりですね。社会不安があるのに妊娠したのも、病気になるのも、社会で苦痛があるのも、うまれなければ起きなかった。生んだからいけない。生んだ親がすべて悪い。これも邪悪な自己責任論です。

4.わかりあえない人たちとどう付き合うか

 そもそも、自分と相手の主義主張、思想はそれぞれ違ったり同じところがあったり、一人一人違って当たり前です。

日常生活において身近な人やSNSの中の人に自分の考え、気持ちをどこまで望むのでしょうか。

理解されないのを相手のせいにしたり、無知だと騒いだり、これは正しい思想だから理解するべきだとなって過激になっていきます。

しかし、理解してもらおうとするわけでもない暴言や行動は一過性のストレス発散です。解決もしません。

怒りから理解はうまれにくいし、怒ってばかりでは自尊心や自己肯定感は低いままです。
他者のせいではありません。



子産み、強産魔、ナタカス、繁殖脳、ピュ係のネットスラングをリアルで発言できますか?

きっと、していないはずです。

つまり、ネットで言っていることは暴言の自覚はあるわけですよね。

世間一般からしたら理解が広まるわけではありません。

「反出生主義のほうが命を大事に考えている」と言えるでしょうか?

倫理や道徳を説いてる姿を見た時は目を疑いました。過激な反出生主義の方々の暴言からは、とても読み取れません。

子どもが嫌いという人はいます。

それ自体は自由でも、
子どもが嫌い、親が嫌い→だから反出生主義を後付けして暴言を正当化するのは反対です。


リアルで発言したら理解してもらえないことをネットで発言したら、理解してくれる仲間が増える。

そしてどんどん過激になり、理解者が増えたように感じて発言が過激になっていきます。


「轢かれねーかな」も「肉芋虫」もやばいですよ。

5. まとめ

 私たちは生まれてきてよかったと思えることも、生まれたくなかったと思うのもどちらも否定できないし、悪いことではありません。人間が人間らしくあること。幸せになるため、幸せを守るために、生きることは厳しくても、誰からも幸せを奪われず生きること・育つ権利があります。

人はわかりあうから一緒にいられる。だからわかりあえないとき、一緒にいるためにもっとわかりあおうとするでしょう。それも必要です。しかし、この方法しかもたないと、わかりあえないと一緒にいられなくなってしまう。排除するしかなくなります。

①他者はわからない、という想定を出発点とし、大切なことは自分の存在や居場所を守り、相手にも認めること。

 わかろうとするための方法よりも、それは時に難しい。けれど、「わからない他者」のまま、他者と一緒にいる方法の模索をしつづけたいし、間違ったことには意見をする。

分かり合えなくても暴言で排除をしない。

暴言や罵倒をしない。無知だデマだと騒げばいいわけでもないし、なんでわかってくれないの?って怒ってばかりいない。

多様性が叫ばれるようになり、○○には配慮するべき、話せばわかるはずだという期待や、分らなければいけないという圧力がある種の暴力性を帯びていきます。

これは社会のせい、性別や個人のせいにしたりして「やめろ」というのは理解されないし、わかってくれないのはなんでもかんでも相手のせいではない。

あなたのせいだ!と自己責任論を押し付けない。なんでも他責思考をしないこと。

繰り返しますが、自分たちの発言の責任を、他責しないでください。


SNSの負の面でもありますが、仲間内で過激な言葉を作り出して罵倒すると、言ってやったぞとスカッとするのでしょう。

嫌いな思想、特定の個人を叩くために新しく用語を作ってはしゃいで罵倒をしても理解は深まりません。

過激な反出生主義の方々は『不幸な子供を増やさないために』と暴言や誹謗中傷を手段にします。

そのことで相手が傷ついても自業自得だと。「ナタカス」「強産魔」と蔑称で呼んでいいと考えている。

そもそも、出産は加害だという思想は世間に認知されていません。

先に出生を押し付けた加害をしていると言われても伝わりませんし、暴言の正当化になりません。

男性を敵認定して、「女性が酷いことをされてきたから同じ目にあえばいい」「苦しめ」と無関係の人に八つ当たりもします。



SNSでも、画面の向こうには生きた人間がいます。思想で誰かを傷つけるのは本当にその思想としてあっているでしょうか。理解されるでしょうか。

今一度考えてほしいです。


そして……


界隈が造語ではしゃいでいたので追加しました

このような造語を使う人や話が無理な人は、無理せずブロックしましょう。

フェミニズムを口実にして、汚い言葉を吐くだけです。

画像1

以下、おまけとお礼文のサポート欄です

ここから先は

1,036字

¥ 500

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?