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偏見と鬱屈 _『リファ』#05【小説】

<<前回を読む_#04ふつうになりたい


 名刺交換をして知った「扇谷(おうぎたに)」という名字から、太一が日本人であることは確認していた。

 苗字を見て、それが本来の日本人のものか、在日韓国人・在日朝鮮人が通名で使っているものか識別できる。在日ならば誰でも持っている、ちょっとした特技だ。

 「ま、ま、ま、ま、ママ、なっとうごはんたべたい!」

 葉の要求で、意識がパッと食卓に引き戻される。葉は、ひどく吃った。

 立ち上がった太一が葉のお茶わんにごはんをよそい、冷蔵庫から出した納豆をのせてくれた。

 小学一年生の葉は、四歳のときから、話し始める出だしの言葉に詰まるようになった。

 吃音だと私も太一も、保育園の先生も気づいたが何をするわけでもなく見守っている。息子本人は喋りづらさや苦しさは今のところ自覚していないようだし、気にすることなく友だちと会話をしていた。

 だからこそ、数時間前に義母にかけられた言葉が、喉に刺さった小骨のように引っかかっている。

 「子どもの吃音は、成長とともにほとんど治るから。梨華さん、気にしなくていいのよ」

 慰めて、励ましてくれた。

 治る? 話す時に言葉が引っかかることは、治療することなのだろうか。

 本人は今のところ一向に問題視していないにもかかわらず、言葉に詰まるままなら何がダメなのだろう。

 吃音なんて、大したことじゃない。気にすることではない。

 そんな反発をふつふつとたぎらせるのと同時に、普通にしゃべれずにみんなと違ってかわいそうと、息子への同情があった。

 義母の言うように、成長するなかで自然と吃音が消滅してほしいと願ってもいる。吃音の専門書を数冊読み、治療のための専門診療所やスクールについて、いくつか調べてもある。

 息子のことも、自分のことも、標準を欲してしまう。

 人並みから外れていることを、恥ずかしく感じてしまう。かわいそうなことと思ってしまう。

「自分らしくいよう」「ありのままの自分でいよう」。そんな多様性の価値観が声高に叫ばれて久しいが、当事者以外の多様性論者の多くには見えていない領域がある。ある種のおめでたさを受け取ることがある。

 ある友人は、持論をこう説いていた。

 「今は、過去の延長じゃない。時間は未来から流れてくる。過去に心を縛られてはいけない。未来だけ向いたらいい」

 目の前の友人ごと、景色が歪んだ。眠っている子を起こされるような、私の中にある鬱屈がうごめき合って平衡感覚が保てなくなった。

 おまえたちは、どこまで学んでいる?

 日本がかつての朝鮮半島を植民地支配した歴史は、現代の価値観では善悪を語れない部分はあるだろう。世界の覇権を握った欧州が各地に支配地域を広げた帝国主義の流れや、ムードがあの時代は大きかったはずだ。

 ただ、日本統治のやり方として、言葉や文化の面でも日本化を強制したことは、その子孫たちも事実をきちんと知り、認め、深く恥じるべきだ。

 当時の警察当局は、朝鮮人の会合や集会、朝鮮人キリスト教の礼拝でも朝鮮語使用を禁止する措置を取った。留学生の雑誌についても、日本語による発行しか認めなかった。日本語習得させようとして、民族のアイデンティティそのものである言葉を奪ったのだ。

 極めつけの暴挙は、終戦の五年前に朝鮮人にも適用した創氏改名だ。

 日本に暮らす朝鮮人は強制的に日本の氏名を名乗らされ、在日朝鮮人も公的な文書には日本的な名前で記されるようになる。

 この時に名乗るようになった日本名を戦後も通名とする在日韓国人、在日朝鮮人は多い。私も、太一を結婚するまでの旧姓は、韓国名ではなく通名だった。

 終戦して、朝鮮半島が独立したときに、もとの朝鮮名に戻せばよかったのでは?

 そういうところが、おめでたい。偏見と差別の残る日本では、名乗れないのだ。

 植民地支配の負の遺産であり、日本社会で生きていくには、朝鮮の文化や風習を見下す日本社会の視線を意識せざる状況が今も続いている。

 お前たちは、自分たちにとって都合の悪いことになると目を閉じ、耳を防ぐ。昔の話だ、終わったことだと取り合わないどころか、歴史を書き換えようとすらする。

 最近だと、日本の加害の歴史を否定したい人たちによって、公立中学で使われる社会科の教科書にあった「いわゆる従軍慰安婦」の記述は削除され、「強制連行」は言葉の表現が「動員」などと弱められた。この国はこれから、近代日本の加害の歴史を知らない生徒が出てくる。

 傷を愛することは難しくても、傷をなかったことにはしないで。なかったことにしようとしているうちは、何も変わらない。過去を切ると、未来を考えられなくなる。

 そして、最初から傷をないものとするのは、いつだって踏みつけた側だ。

 その踏んだ側の声が大きい世界を、私は生きている。

 隠し通せる弱みをわざわざ明かすことで、「チョウセンジン」への蔑みの目線が自分にも注がれ、この身やこの手でつかんだ家族が少しでも蔑まれる可能性があることに、耐えられなかった。

 同時に、すでに日本国民である私は、歴史の責任を引き受けないといけない“間にいる立場”でもあるのかもしれないのだった。

 「梨華のお雑煮、実家の味を完コピだね。すごい」

 太一が、屈託なく料理の感想を並べる。すごい、が、高いところから自分を見下ろしているようだった。

「ほらほら、そんな固い顔してないで。きれいな顔が台無しだよ」

 飲み終わった自分のグラスを、私の缶ビールに近づけてきた。

 私が私であることが、なかったことになっていく。

 言いようのない心もとなさに襲われる。

 私の正月は、雑煮なんて食べて育っていない。

 韓国の代表的な正月料理はトックだ。具沢山のスープにもちが入っているのは同じだけど、韓国のもちの原料は、もち米ではなくて粉にしたうるち米なの。

 太一の左手からお椀を奪い取り、中身を流し台に投げ捨てた。目を見開いた太一が、息子たちと目を合わせて両肩を上げて驚いている。

 私は、太一に何をぶつけていて、何をわかってほしいのか。ポンというシンクの音が、寂しげに響いた。



つづく
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