ふつうになりたい _『リファ』#04【小説】
「『ご実家のおせち料理は、どんな内容なの? お雑煮は、京都だったら白味噌かしら?』お義母さんは、毎年屈託なく聞いてくるよね」
義母の悠長な口調を真似した。パンがないならお菓子を食べたらいいと民衆に放ったらしいマリー・アントワネットも、こんな言い方だったに違いない。
「無神経にああやって聞かれるの、苛つく」
むき出しの心で太一を挑発するのが、気持ちいい。自分の中にある嗜虐性が、膨らむ。
「天気の話題みたいなもんでしょ。会話への潤滑油」
太一は、濁流で荒れる川を軽々とジャンプするように答えた。
私が抱く揺らぎを感知もせず、取り合わないことが、歯がゆい。暖簾に腕押し。そんな慣用句がはまる。
席を立った太一は、冷蔵庫を開けた。氷と炭酸を出して鼻歌を歌いながら、ハイボールを作り始めた。
「いや〜梨華、昼間は演じてたねェ。絵に描いたようなよき妻を。俺のことを呼ぶときも、太一さんてね。外の顔の作り込みに隙がなかった。無理しなくていいのに」
太一は、出会った頃から飲んでいるスコッチウィスキーの瓶のふたを閉めたあと、左の手のひらをでんでん太鼓のようにくるくると回転させて、ニヤニヤしている。
こちらの挑発に応じない夫を、つかまえたい。
「日本人同士なら、雑談で済むよ。私が在日韓国人であることは、伝えたよね、結婚する前に。なのに、食文化は日本人のそれと同じと疑うことすらしないのは、ええ年して無知からくる暴力でしょう。自分の息子や孫は可愛くても、その嫁がどんな人かへの興味がないのだろうけど」
体内に注がれるアルコールが、私の口を滑らかにする。
誰にぶつければいいのかわからない怒りが、ダムから放流される水のように勢いよく吐き出される。
私は、日本人になりたいのではなかったのか。
在日である自分を「梨華さんは梨華さんよ」と受け入れてくれた義父母に、喜んだではないか。
そうではなくて、私の本心は、自分自身のルーツを守りたいのか。
私のわからなさを、太一は受け止めない。どこまでも論理ではね返してくる。
「だったら、違いますって、説明すればよかったんじゃない? 伝えればいい。妄想で固められた自分の中に閉じこもって、びくびくしながら笑顔で受け流すことをやめればいい 」
グラスを持って席に戻ってきた太一の口調は、ゆったりとした微笑みを残したまま、鋭く変化した。身がすくむ。
太一は、私より優位性を持っている。
年齢差はない。性差でもない。
自分から上下をつくって下にいるほうが、どこか居心地よく感じてしまう私の卑屈さも関係しているのかもしれない。
私の威勢は瞬く間に小さくなり、喉の奥にいろんなものを押し込めた。
笑顔を貼りつけて、同調することをやめる。そんなことが楽にできるなら、三十歳半ばを過ぎて二児を授かって家族を作ってもなお、「自分は何者なのか?」という実存的な自問にあがき、苛まれることはない。自分の両手を伸ばした先に広がる世界の存在に、怯えることなんかいない。
両親が日本国籍を取得したあとも、食卓に和食と韓国料理が並ぶことは珍しくなかった。
結婚披露宴で撮ってもらったのだろう写真の母は、色打掛姿の和装と、チマチョゴリ姿の韓国装の二枚あった。祖父母たちは、日本語と韓国語を器用に混ぜながら会話をしていた。
ありありと耳に残っている韓国語は、「アイゴー!」だ。英語でいうところの「Oh、my God !」らしい。「信じられない!」と驚くときに、祖母の口から飛び出した。アイゴーの放つ感情表現に替わる日本語はないと、今も思う。
韓国を感じるものが緩やかに身の回りに流れていたものの、他人には隠して生きてきた。
その一点を語ることで、朝鮮人と雑に属性分けをされ、私という個人がうしろに回る。大きな何かで見られてしまう。
枠に収めようとされる気持ち悪さも、自分が低く見られることも、我慢ならなかった。
肌の色が青とか緑なら一目瞭然だが、肌の色も顔の造形もからだつきも日本人と差がない。
幸か不幸か、私は東アジア人離れした彫りの深い顔をしてもいる。自分から明かされない限り、バレることはない。自らすすんで明かすメリットは、まったくなかった。
でも、だからこそなのか。裸になった自分と深くつながれる他者に、一人でいいから早く出会いたかった。
自分は異性愛者というマジョリティーだと自覚した十代から、一人の雄を探した。このダサい言葉しかないからこう書くしかないが、結婚が、したかった。
自分の味方でいてくれる相棒を、ずっと求めていた。そんなふうにロマンチックにも言うこともできる。思想と生活を共にする異性が必要だったのだ。
打算はあった。相手が日本人男性であることは、譲れない条件だった。婚姻で夫の戸籍に入り、完全な日本人になる。かなり重要なミッションだった。
自分の人生を引っ張り上げてくれる戦力を、探していた。異物である自分を、中央につないでくれる相手と手を組むことで、自分を世界と接続させる。
ふつうに混じるのだ。
それは、恋に落ちる前にそうなるように、プログラムされていた。
出版社に勤めていたとき、太一が、編集者として手がけた新刊を扱ってくれないかとうちの編集部にやってきた。その対応をしたのが、編集記者として書評コーナーを担当していた私だった。
ちょうど話を聞いてみたい著者だったところから、インタビューの依頼をした。取材と撮影日に、私は記者とし立ち会う。
大御所の部類に入る作家にも、太一はへりくだることも尊大になることもなかった。誰に対しても公平な立ち振る舞いをする男は、同じ二十代だった。
引き当てた。そう思った。
取材と撮影の日程調整や、取材の立ち合い、原稿確認などメールで何度かやりとりを往復するなかで、太一が担当する作家を聞き、作品の感想を交わした。
やりとりのメールの最後に交換する雑談から、距離が近づいた。
私から食事に誘う。自分から誘うことは、最初だけにしておいた。
好きな小説も映画も、話も、食の好みも、からだも合う。関係が発展するのはあっという間だった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?