ファミリー _『リファ』#09【小説】
アプリを開き、母からのメッセージを読んだ。さっぱりした母らしく、「お父さんが入院した」と書かれていた。病名や入院に至る説明はない。絵文字もない。
「父が入院したらしい」
そう太一に事実を伝えると、太一はえ……と言葉に詰まる。私は、乱れていた服を整えながら母に電話をかける。
父は数年前に、軽い脳梗塞に罹った。
からだの左側に突然麻痺が起こり、ろれつが回らなくなった。異変を察知した母が救急車を呼び、処置が早かったことで命に別状はなかったが、左半身に不自由さが残った。今回の入院も、その影響だろうか。
1コールで母が電話口に出た。LINEを送ってから、画面前で待っていたのかもしれない。
ならば電話をかけてくればいいものを、母が電話をかけてくることはない。
「寝てた? 時間、ええか?」
自分からかけた電話のようなことを言う。自分の大事な家族の、その生活を一番に考える人なのだ。
「うん、大丈夫やで」
「大変やったんよ。今朝お父さんが、廊下でばたっと前向きに倒れてしもて。手足はふるえて意識も朦朧としてるし、私の力ではからだを起こすこともできへんから救急車を呼んだ。南西病院で診てもらったら、脱水症やて」
一気に説明した。
「脱水症?」
予想もしなかった単語に、関西弁の調子でおうむ返しをする。
父はここのところ、原因不明の下痢が続いていた。便で水分が排出され、摂取するべき水分量が足りなかったため体液が不足したらしい。
「脱水状態は重症化していて、臓器の機能が下がっていると。即入院と言われた。今お父さんはものもたべられなくて、点滴でつながれてる。高齢者の脱水ってこわいんよ。あとちょっと症状が進んでいたら死ぬ危険もあったって」
死という言葉が急に、手の届くところに飛び込んできてぎょっとする。
「どれぐらい入院予定なん?」
「一ヵ月ぐらいって」
一ヵ月が長いのか短いのか。よくわからないし、東京と京都だと物理的に助けられることも多くない。「何かできることある?」と返した言葉が、空中で分解して溶けた。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。コロナで病室に入れないから、お母さんも看護師さんに着た洋服と洗った洋服の交換しかできへん。お父さん寂しそうやけど」
「どんなことに困りそう?」
「困ってることなぁ。背中に、貼りたい湿布を貼れへんことかな。背中は一人じゃ、ようできひん」
とぼけたような声で返ってくる。深刻な状況が苦手で、すぐにふざけるようなところが母にはある。娘を心配させないように、あえてコミカルにしている様子が沁みる。
「入院したことは、お兄ちゃんには言った?」
実家から車で片道四十分の京都市内に暮らしている兄家族なら、私以上に頼りになるだろう。
「心配するから言うてへん。ま、だいじょうぶや。お母さんは、一ヵ月羽伸ばすわ。ネットフリックスで新しい韓国ドラマが始まったから見放題や」
あっけらかんと言い、自分で放った内容に豪快に笑った。
昔から母は、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と誰に頼ることもなく自分で乗り越えようとする。実際、解決もしてきた。
経済的にはサラリーマンだった父が主に支えていたが、精神的な大黒柱はずっと母だった。父も、兄も私も頼りきりのまま、母は七十歳になった。
「そっか。なんかあったら遠慮なく電話してきて」
口先だけの手助けをして、会話を終えた。
コロナで今年の正月は、京都への帰省は控えていた。一年半ほど会えていない母の明るい声を、頭で反すうする。
隣で聞いていただろう太一は、私が観ていた『ゴッドファーザー』を消し、何を観るともなく、配信サービス画面の中をクリクリとリモコンで動かしていた。
「今週末にでも、実家帰っていいかな。葉たちを移動させるのは不安やから、私だけでさっと一泊しようかな」
自分でも意外なことを口走っていた。太一に伝えると、
「いいよ、帰ってきたら。ファミリーを大切にしない奴は、決して本当の男にはなれない」
ゴッドファーザーごっこはまだ続いていた。ドンのセリフで快諾してくれた。その間の子育ては任せるね、という頼みも言外に含まれているのだが、すべて了承してくれたようだ。
父に対面できなくても、母に会いたいと思った。
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