― 第二十二話 メガネ立つ ―

 メガネは一部始終を天井から見ていた。
 さすがに天井からギメガを落としてしまったときには観念したが、そのあとの親子騒動、それに引き続く一連の事件、事故が幸いし、なぜギメガが天井から降ってきたのか、誰も気に留めなかった。

 (唯一、ミハダだけは気づいていた。後日、メガネはそのときミハダと視線が合ったことを、『絡み合った』と皆に有頂天になって言いふらし、ミハダのネリチャギで有頂天となる)

しかしながら、仲間四人がみな老人になってしまった後で、メガネが一つ悟ったことがあった。
人間、いつかは男女の壁などなくなる、ということだった。

あのミハダを見よ!
あれほどの美肌と美貌がいまや、他の三体のミイラと何にも変わらない。
まるで干し柿だ。
干し椎茸だ。

悲しいことだが、これが受け入れなければならない現実なのだ。
(いつか自分は結婚するだろう)とメガネは思った。
そして、(いつかはその愛する妻が年を取り、あのような生きる屍のようになるのだろう・・・)と。
(だがしかし!)メガネの瞳は燃え上がった。
(それでも俺はあいつを愛する!俺はミイラの妻でも愛してみせる!)と、メガネは熱く思っていた。
・・・そのときには当然自分もミイラになっていて、自分こそ嫌われる側にいる、ということにはまったく気づいてないらしい。

(しかし、これからどうするか・・・)最後の切り札だったギメガは取られてしまった。
管理室の斉藤も、寝袋で巻いたレンも、そして相田以下三人も皆、開放されてしまった。
これで敵は全員集合。
加えて、あの殺人的な髪型のヤツラは、どうやらプロらしい。
なんのプロか知らんが、あの髪型が怖い。
メガネ、絶対絶命である。
うんざりしながらもメガネは思った。(あ、今日九時、八チャンで『ラッコ物語』だ・・・)

静かに天井から移動を開始しようとしたメガネはふと気付いた。
(このままここにいれば、そのうちメクロ達もこの部屋から外に出るんじゃないか。そうすればギメガを盗み返して、アレにミハダさんを助ける方法を聞き出せばいいじゃないか!)助けようとする人数が少ないような気がするが、メガネ、気にしない。いつもの通り、竹田君、忘れられていた・・・。

「ふふふふふ。これで全ての用意が整った。よし、メルトモよ、皆を呼べ。革命前にちょっと一言、皆に与えることにしよう。ワシが王になるとそんなヒマもなくなるだろうからな、うふわっふっふっふ」
 メクロは上機嫌だった。

メルトモはすぐさま、さきほどエミリーのためのナダ会を行った場所に皆を集めた。
アソウが見物していたときよりも当然、人数は十人近く増えている。
そのため、会場は足の踏み場もないほど狭い。

「えぇ~、皆さん!本日はお日柄も良く・・・」
 もう夜だった。
「このように清らかな日に皆様にお会いできたことを私は何よりも光栄に思うのでございます。」
 さっきも会っている。

「さて皆さん。今日という素晴らしい日までの皆様の忠誠心!これ全て皆様の、皆様による、わたくし様だけのための物だったかと思うと、ただただ感謝の気持ちで一杯になるのであります!

あぁ、わたくし様、あなた方の気持ちがよく分かるような気がいたします!

ゴミのごとき自分の存在、それに比べるとあまりに光り輝いているこのわたくし様。そんな、微生物以下のあなた方が、真っ暗な夜空にただ一つだけ光り輝くこのわたくし様のために、少しでも役に立つことが出来るかもしれないという幻想を抱くこと!

あぁ、なんて素敵で無意味な妄想なのでしょう!

この妄想こそ、あなた方を支え、幸福にしてくれるのです。

この無意味な妄想より価値有るものが、一体この世にあるものなのでしょうか?

もちろんあなた方の、『役に立ってる』感もまた、単に妄想に過ぎず、あなた方お一人お一人のお力があまりに微力過ぎて、わたくし様にとっては、感じることすらできない『プランクトンのオナラ』、みたいなものではありますが・・・

だが、しかぁしっ!

せめて士気みたいなものを高めなさい、と!

まったく利用価値のないあなた方のため、私は敢えて言いたい!

あなた方のミクロの力を結集させよ、と!

そう!それがまるで、うだるような暑さのサハラ沙漠に吹く微かなそよ風のように、まったく腹の立つほど無意味なものであったとしても!

またあるいは、恐ろしいほど腹を空かせているときに目の前にある腐ったリンゴ!たとえそのような物であったとしても、です!」
ここでメクロは効果を高めるために言葉を切った。

「・・・それでも、『無いよりはまし』なのでございます!
ではっ!私、ここでこの情熱を歌にして一曲歌いたいと思います!
『乱れ牧場の夢たち』!」
 男達は感動して泣いていた。しかも、一人残らず・・・だ。
 きっと、橋が転げても泣く年頃なのだろう。

 メクロが、CDアルバムまるまる一枚分、計十二曲を歌い終え、ようやく楽屋に帰ってきた。
「すぅばらしぃかったぁでぇす!わたぁし、泣きました、そして、笑ぁいまぁした!」
 メルトモが理不尽なことを言った。

「うむ。まぁ、・・・一〇九点。」
 自分への点数付けだろうか?
 百点を越えている。
「おう、そういえば、さっき舞台の上で閃いたんだが、エミリーのフクヅケ式を舞台上でやることにした。」
「そぉれは例外的ぃですねぇ!」
「うむ。ちょっと俺の部屋に行って、ギメガ帳を取って来てくれ。」
「わぁかりましたかぁ!」
 メルトモが楽屋を出て行った。

 メクロの部屋に行く途中、メルトモは忙しかった。
 トウハーツには、暗殺の件の打ち合わせがあるから、集会後に集まるようにと指示を出し、夕食のメニューを『パセリ』と当番に知らせ―『パセリ』と言われた当番、意味分からず―、フクヅケ式を舞台でやるための準備をスタッフに指示し・・・、そして彼がメクロの部屋にようやく向かおうとしたとき、舞台から ― ガガアァァンッ!!!! ― と恐ろしい音が聞こえた。

「どぅしまぁしたかぁ?」
メルトモが大声で聞いた。
「す、すいません!スピーカーの一つを落としてしまいましたぁ!」
 片付けをしていた一人が言った。
「だぁいじょぉぶなぁの?」
「はぁいっ!怪我はありません!」
「あぁなたぁのこぉとじゃぁなぁい!スピーカーでぇす!スピーカー!」
「はっ!だ、大丈夫で・・・。・・・・あああぁ~!メルトモ様ぁ!スピーカー、壊れちゃいましたぁ!」
 男の悲鳴交じりの声が舞台に響き渡った。

「えぇぇ~!なぁんてこぉと!なぁんてこぉと!こぉれからフクヅケ式なのよぉぉぉ!」
 メルトモは舞台へと急いで戻っていった。
 そして、その途中で出会ったトウハーツの一人、モヒカンに自分の代わりにギメガ帳を取ってくるように、と伝えた。

「こぉのおばぁかぁ!おばぁかぁ!この、おばぁかぁっ!」
 歩き出したモヒカンの後ろで、スピーカーを落とした男をメルトモが気持ち良さそうに怒鳴りつけていた。

 ― ギイィ~ ―
 
 モヒカンはメクロの部屋の鍵を開け、ドアを開いた。
 真っ暗で何も見えない。
 部屋の電気を点けた。
 パッと明かりがついた。
 まぶしいほどの明かりの下に、ギメガ帳を持って男が立っている。
 その男はモヒカンを見ると、ニコッと笑った。
 『どきっ!』モヒカンが小さく声を上げた。
 モヒカンの胸中は音にすると本当にそんな感じだった。ただ、普通はそれを声に出しては言わない。

 モヒカンの胸を高鳴らせたその男の子が今、自分に近づいてきていた!
 『ドキドキッ!ワクワクワク!』モヒカンが呟やくように言った。
 彼は待っていた。
 その美少年が自分に近づいてくるのを・・・。

 ヒカンの胸が一体何の期待で高まったのかは、今となっては永遠のナゾである。
 いずれにせよ、モヒカンは幸せだった、とだけは言える。
 高鳴る胸の鼓動と甘い期待・・・それがモヒカンの覚えている最後の記憶だった。
 ギメガ帳を持つ男の手首がすぅっと伸びてきたかと思うと、トンッとモヒカンの首の辺りに当たった。
 その瞬間、モヒカンの意識は完全に途切れてしまった。

「ほっ、お手前、なかなか筋がよろし。」
 ギメガの表紙には、メクロが開けたままの、あの男の顔があった。
 吊り上った細い目、筋の通った鼻、薄い唇、そして高飛車な態度。
 見るからにお金持ちのボンボンだ。そのボンボンがメガネに言った。
「はぁ、そうですか・・・」
 『お金持ちのボンボン』という人種に初めて会ったメガネがどことなく恐縮して言った。

「ほっ、まったくあやつめ、ムチャしおるぞえ。ちと、ワテ、お腹が立ったえ。・・・これより攻め入る。法螺を吹けぇぇええ!」
「いや、持ってないですから、そんなもの・・・。しかも、敵は何十人っていますよ。真正面から責めるのは無理ですね。」
 もっともな意見だ。
「ほっ、そうでごじゃるか。・・・頭が高いっ!」
 いきなり新ギメガが叫んだ。
 メガネ、とっさに新ギメガを持つ両手を高く掲げる。
 貧乏人の悲しい性と無知だ。

「おまんが頭を下げればよいものを・・・。ま、そう気張らんでもよろし。うほぉっほっほっほ」
「あの、ところで、名前を聞いても良いでしょうか?」
「ワテの名か?ワテは尾道じゃ。」

― 尾道 ― 

 メガネの母、エッセンスの夫の名であり、メガネの父の名でもある。
 ・・・が、当の両人がそれを忘れている。
 記憶をなくしているメガネが分からないのも無理はない。
 しかし、尾道が自分の息子を分からないのは・・・子供へのただの無関心のようだ。
 最低の父親の鏡である。

「尾道さん・・・ですね。どこかで聞いた覚えがあるような、無いような。」
「うほぉっほっほっほ。まぁ、ワテら尾道財閥のことは昨今の受験問題にも出ておじゃるから当然、知っておろう。」
「はぁ、ま、そんなものですか・・・。まぁ、それはいいとして、この四体を元に戻したいのですが。」
 メガネが部屋の隅に座っている、ミイラのごとく干からびた老体四つを指差して言った。
 皆、手の茶碗は与えられたときのまま、ブツブツと盛んに何か独言している。
 昔日の栄光話か何かだろうか。

 尾道、それに目を向けた瞬間「無理」と言った。
 むげもない。
「ど、どうしてですか?」
「では聞くが、こんな体のワシがそんなことできると思うか?」
 ‟本”である尾道がもっともなことを言った。
「まぁ、確かにそうですけど・・・。」
「な?」
「はぁ・・・。じゃあ、どうすれば良いんですか?」
「簡単なことだえ。お前がやればよろし。」
 尾道が偉そうに言った。
「ぼ、僕にできるんですか?」
「出来る。」
「おぉ!」
 尾道の偉そうな態度も今は逆にかっこよい。
「その方法じゃがな・・・」
 メガネ、尾道の言うことを忘れないように必死である。
 何度かの練習の末、ようやくモノになりそうになってきた、という時だった・・・

「おおっ!モヒカン!・・・お、おのれぃ、おぬし、何者?」
 声がした。メガネがハッと振り向くと、ドアのところでチョンマゲがさっそくの抜き身の刀で構えている。
 本気で殺す気だ。
 捕らえるとか考えてない。
 真性のバカだ。
 これは怖い。

「ちょ、ちょっと待ってください!怪しい者じゃありませんよ!・・・僕が部屋に入ったらもうこの人、倒れてたんです!今、みんなを呼びに行こうって思ってたところなんですよ!」
 メガネが言った。
「お、おぉ、そうであったか。それはすまなかった。よし、ここは拙者に任せて、おぬしはすぐ皆に知らせに行くのじゃ!」
「わかりました!」
 メガネがチョンマゲの横を走り抜けようとしたときだった。
「ちょっと待てぇいっ!」 
 チョンマゲが鋭い目をメガネに向けた。

 (くっ!)メガネは一瞬、チョンマゲの秘孔を突こうと身構えた。
「おぬしの使っておるシャンプーは何だ?」
「え?・・・『シャン・イン・シャン』ですが。」
「ふっ・・・。では行けぃっ!急いでな!」
「は、はいっ!」
(何だったんだろう?何だったんだろう?)まだ心臓はバコバコ鳴ってる。
メガネはエレベーターまで走ると、急いで下に下りていった。


(第二十三話に続く)

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