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【思い出】KOBEの記憶に雪が降る①

あと5分。あと5分で帰れる。


最後のお客様が帰って30分が経過し、時計の針は0:00を刺そうとしていた。ラストオーダーはとうに過ぎ、誰もいなくなった店内のカウンターの裏で、ぼくはひっそりと閉店業務を進める。

お客様が少ない暇な平日は、営業時間きっちりにタイムカードを押して、人件費の節約に努めた方がいいじゃないか。

ただその理屈を成立させるには、営業時間内に後片付けを完璧に行わなければならないのだ。

こういう日はいつも思う。正しいことをしているはずなのに、何とも言えない罪悪感に襲われるのはなぜなんだろう。


お客様がいないとはいえ、営業時間内に帰りの身支度を整えるということにそう感じるのは、こんなぼくでもプロ意識というものが少しはあったのかもしれない。

外はオレンジ色の照明がゲレンデを照らし、深々と降り積もる雪は闇を明るく染めているようだった。

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PAID印を押した伝票をホチキスで止め、計算が合致したファンドマネーと売上をレジスターから水色の手提げ金庫に移し、シェイカーやまな板をアルコール消毒しようとしたとき、店の入り口から人の声がした。

あわてて霧吹きをシンクの下に閉まった。表のメニューを下げるのは閉店時間になってからという決まりがあったから、状況は想定できた。


「君たちがやるべきサービスは”NOと言わないサービス”です」。


研修で深く刻まれたワードが、瞬時に身体を操った。
あとはすっかり傾いた帰宅モードを切り替えるだけだ。



「あのう、まだ大丈夫ですか」。


人差し指を建てた男性がひとり。薄暗い照明は、申し訳なさそうな顔を一層引き立たせる。

大丈夫ですよ!カウンターへどうぞ。


男性は、あ…と言いながら軽く会釈をすると10席ほどあるカウンターの真ん中に腰を掛けた。

「ジンライムちょうだい。あと、ビーフジャーキー。」


かしこまりました(あっ、この方 関西弁なんだ)。


カウンターに置いたロックグラスに氷を4つ入れ、バースプーンでかき混ぜる。トングで氷を抑え、グラスが冷えたところで溶けた水を捨てる。
カランと音が鳴り、冷蔵庫から冷えたドライジンをメジャーカップからグラスに注ぎ、カットライムを絞ったらそのままグラスに落とし、バースプーンで淵をなぞるように優しく一回転させる。
ここでガチャガチャかき混ぜると、水っぽくなって味やフレーバーが飛んでしまうからだ。

この時点でぼくは経験1年未満の新人バーテンダー。出来上がりが上手くいったら安心するのは仕方がなかった。




お待たせいたしました、ジンライムでございます。


それから、時間はゆっくり過ぎてゆく。
雪は、深々と降り続く。




ところがぼくは、ひたすら迷っていた。





20歳の若造には、あまりにも難しい時間だったからだ。

<続く>


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